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OrgofA「Same Time,Next Year-来年の今日もまた-」特別対談〜ELEVEN NINES 代表 納谷さんを迎えて〜前編〜

 2024年1月中旬。OrgofA「Same Time,Next Year-来年の今日もまた-」の稽古場。
 今回の創作を続けている中、ELEVEN NINES代表であり、今春オープンする北八劇場の芸術監督に就任された納谷真大さんのお時間をいただき、演出の増澤ノゾムさん、今作品で飛世と共に再演に挑む、遠藤洋平さん、OrgofA代表の飛世早哉香の4名で対談を行いました。
 公演終了後ではありますが、「Same Time,Next Year-来年の今日もまた-」の作品について、北八劇場のこと、翻訳劇への取り組み方、そして、次の世代に向けてのエールもいただきました。前後編に分けてになりますが、全文公開いたします。


■稽古見学の感想〜「再演は続演にあらず」

左から 遠藤洋平・飛世早哉香・納谷真大・増澤ノゾム

増澤ノゾム(以下、増澤) 稽古見学ありがとうございました。

納谷真大(以下、納谷) こんなに集中力途切れずに何かを見ることは久しぶりですよ。だって3時間半ですよ!?2回くらいですよ休憩したの。

増澤 役者やってるととんでもないですね。

飛世早哉香(以下、飛世) どういうことですか?(笑)

納谷 しかも二人芝居やから、俳優は疲れますよね。

増澤 俳優やってるときって、1時間に1回とか休憩入れようよって思わない?

納谷 思いますね。歳なので年々そんなに持たないですよ。何回かしたら早く終わってこのシーン!みたいな。

増澤 演出やってるときは途切れないんですよ。でも役者やってるときは15分に1回は休憩入りたい(笑)

飛世 本当に!?

納谷 すごいなと思いました本当に。稽古の集中力とか、演出家と俳優さんと対話する演出なんだなということも含めて、勉強になりました。

増澤 いやいや、とんでもないです。


稽古見学の感想

納谷 僕は俳優でもあるし、台本書いたりもするし、演出もするじゃないですか。そういう意味では、今日1場と4場を見させてもらったんだけど、1場はもうほぼほぼできてますもんね。あれ何分くらいあったのかな。

飛世 20分くらいですね。

納谷 あれを見てるときに、50年近く前に書かれた本なのにとても面白いストーリーだなと思いました。時代性というものもあるから台詞の言語のセレクトに関しては個人的に思うこともいっぱいあったけど、物語の展開に関しては50年経っても色褪せないものなんだなということを明確に思ったし、それが分かるってことは俳優さんがそのことが伝わる状態ができてるので。あとどのくらいで本番ですか?

増澤 あと3週間?

飛世 3週間ない、あと半月くらい。

納谷 あと半月ある状態で冒頭シーンがこのクオリティでできていると、俳優という意味では大変だなと思いましたね。こっから2週間以上これをどういう風にブラッシュアップして、どのレベルまで上がっていくのかなと。しかも再演じゃないですか。
僕の出身である、富良野塾の師匠には「再演は続演にあらず」と言われているのです、新しく作るという意味で。僕は初演を観れていないので初演と比べてどれくらいの革命が起こっているのかはわからないんですけど。そういう意味では兄さん(増澤)のつくる芝居は早いんですね。3週間前にもうこのクオリティで冒頭はできてるんですね。

「再演は続演にあらず」

増澤 いや~、今回再演で改めて思ったのは、答えを俺自身も俳優も知っている。一回答えを出して提出しているじゃないですか。それでまた改めてやるときに答えを知っているから、答えから答えに行こうとするんですよ。点と点を追ってその過程を端折ってしまうというんですかね。

納谷 そうなんですね。でも稽古ではその過程を物凄くしつこくやっていましたけどね(笑)

増澤 だから尚更ですよね。俺自身も発見することがいっぱいありますし、改めて考えたときに、あっこれ前に思っていたことと全然違う意味だわと思ったりだとか。じゃあそれをもう一回やり直そうかってなると一回解体してもう一度組み直すという作業になる。

納谷 いや~、大変ですよね。俳優の立場でいうとバラバラの状態から組みあがる瞬間って(クオリティの)上昇率が高いじゃないですか。でもある程度できてきたときに、安定期に入り出すとっていう。
でもそのあとの4場の稽古を見ると、頭の方が固まってきててそこからこういう風になっていくところの段階なんだなとは思いましたけど、最初のシーンを見てたときにこれ俳優さんすごいなと思いましたよ。3週間近く前にこのクオリティが出来ていてこっからどういう風になっていくんだろうと、俳優としては思いました。

飛世 今、再演に向けての稽古をやっていて私は、あっ全然違ったんだなっていうことと、初演で気付かなかった言葉が大量にあったんだなということを今、改めて叩きつけられているみたいな感じがしていて。

納谷 最初のシーンはもうあれで劇評できるくらいのクオリティができていましたよ。だから色んなことを考えましたし。

飛世 調子に乗っちゃおう…!(笑)いや、調子に乗っちゃダメだ(笑)

「ちゃんともう一回物語をディープに新しい骨組みを改革していってる」

納谷 いや、本当に思いましたよ。50年前に書かれたこの戯曲が今もやられていて、30代半ばの人たちが子供3人いて不倫という物語の展開の中で…。今おいくつですか?

遠藤洋平(以下、遠藤) 僕いま34歳です。

飛世 35歳です。

納谷 これ加藤健一さんと高畑淳子さんでやられているんですよね、青井さん(青井陽治さん)の翻訳の日本で最初。その時って、たぶんほぼ同い年くらいだと思うんですよ。でも何ていうんですかね、その時代によって肉体が若返っているじゃないですか。これたぶん日本でやったのは僕が大学生くらいの時、高校生くらいだったかな。80年代半ばでしたっけ?

増澤 そうです。

納谷 その時代の30代半ばと今の30代半ばは全然違う身体になっているなかで、彼らがそれをどういう風にやっていくのか。そして“不倫”というね。その時代の不倫と今の不倫は全く違ったりするじゃないですか、捉え方が。その辺をどういう風に公演として時代をリフレクション(振り返り、再構築)していくんだろうという風には思いながら見ていたんだけど。そのあと1場終わってシーンの演出をしているじゃないですか。あっでももっと、この物語を今の時代にリフレクションしてとかはこれからで、やっぱりちゃんともう一回物語をディープにディープに新しい骨組みを改革していってるんだなというのは演出を見ていて思いましたよね。

演出は本当に勉強になりました。戯曲は知っていたし、俳優としてはある程度はライバルとして見るし。でも演出は僕なんかとは全然違う演出のやり方をなさるし、あんなに対話するんだと思いましたよ。
僕はあんなに対話しないですよ。すべてお願いベースですけど。昔は「やれや!」って言ってましたからね僕。そんな風に言ってたのを「こうやってやってもらえる?」っていう風にはなりましたけど(笑)

飛世・遠藤 (笑)

納谷 それでも時代が変わってそうはなったとて、ああいう風に対話でなかなか僕はつくれていないので、すごい勉強になりました。お二人ちゃんと対話に応えて会話しますもんね。

増澤 昔は僕もそうですよ。僕も「やって」って旗振ってましたけどね。

納谷 それで、変わっていったってことですか?

増澤 最近は、自分が歳とったっていうのもあるんだと思う。だから結局、俺が言ってることは50代後半の発想かもしれないとかって思いだすと、じゃあ彼らの身体から出る言葉ってなにかな、って考えると、そういうものに預けちゃったほうがいいのかなっていう。

納谷 勉強になりました。どこかでね、ある程度何回かやったりしながら対話して、途中で「その方向性で一回つくってみて。それでしばらくやってみたあともう一回話しよう。」みたいなこと言われていましたでしょう?あれめっちゃメモりましたもん。演出ってこういうことやなって。
どうしても演出家はそこで答えを出したくなるし、なるほどね、考えとけじゃないんや、「しばらくこのままでやっていって、それで何か改善がみられたらもう一回話そう。」って言ったじゃないですか。「もう一回話そう」なんて演出の言葉、僕は出たことないですよ。もう一回話そうなんや…!と思って、メモりましたよ。

3人 (笑)

納谷 「もう一回話そう」って良い演出方法ですね。一度預けて、もう一回検討していこうっていう。でもこれ二人芝居だからできることで、大人数だったらできないですよね。

増澤 できないできない。これは対話だからできるっていうのはある。大人数だと、色んなベクトルで色んなバイアスが働いて動くから。ある程度は試せるけど、二人だからこそできるつくり方もあるのかもしれないですね、もしかしたら。

納谷 この二人だから今みたいなことが成り立っているのかなとも思いますね。演出の立場としてはその関係性も含めて、遠藤さんと兄さんのお芝居を何度も観たことあるので、たぶんそこのリレーションがあるからこういう対話になっているのかと思いました。

増澤 それもある程度はあると思う。

「新しい試み」

飛世 今回、スペシャルキャストもあるから。

納谷 それ見てびっくりした!僕なんとなく情報を見てたんですよ。まっちー(町田誠也)が出たり愛美ちゃん(小野寺愛美)が出たりするじゃないですか。
これ二人(飛世と遠藤)でフルにやるのもあれば、その(別の俳優がフルでやる)バージョンもあるのかと思ってたんですよ。違うのね!

飛世 あー!違うんです!

納谷 二人が真ん中世代をやるんでしょう?それすごいですね。

増澤 だから3・4場はこの二人しかやらない。全体で6場あって、最初の2場を本庄(本庄一登)と愛美ちゃん、最後の2場をまっちーと有香さん(太田有香)。

納谷 それがスペシャルキャストね!面白い企画考えるね~!それは増澤兄さんのアイデア?

増澤 いや、飛世が。

飛世 私のアイデアですね。でもなんか、すごく怒られたんですよ。たくさんの人に。

納谷 まあそうでしょうね(笑)でも怒られるくらいのことをやった方がいいと思うんですよ。怒られるっていうことは新しい試みなので。何人かは「これは二人で書かれててそこを演じるのが俳優だ」ってことを言う人はいるでしょうし。でもいいんじゃないですか、新しい試みですよ。

飛世 なんかその世代の歳じゃないと出ない音とか言葉ってあるなと思っていたりして。

納谷 ただ、リスキーですよね。一貫性を整えるっていうのは演出大変ですよね。

増澤 それはもう演じる人が頑張ってもらって。

飛世 え~!(笑)

増澤 結局一貫して繋いだときに若い二人からこの二人にスイッチするじゃないですか。それをお客さんが繋がって見てくれればいいけど。一応ルールは知ってるから、そうなんだろうなと思って見てくれるけど、それを肯定的に見てくれるか否定的に見てしまうかっていうのは、演じ手がリレーションしている意識があるかどうかだと思うんですよ。

納谷 僕ほとんど芝居のときに自意識ははたらかないんですよ、俳優のときは。演出家のときの方が僕は自意識がはたらくんですけど。そのパターンだと僕がやるとしたらまっち―ってことでしょう?結構これは自意識はたらくなあ〜。だってこの人(遠藤)の劣化版になっちゃいけないわけじゃないですか、歳をとる毎により魅力的になっていかなきゃいけないから。しかも元々遠藤さんが(フルで)やっていくものだから、遠藤でよかったじゃん!って思われると俳優として最悪やから。そういう意味では俳優としてはめっちゃビビるかな。

遠藤 でも確かに。リレーをしてまだ通ししてないんですよ。そしたらまた変わってくるなと思って。

納谷 そうですよね。本庄くんがなんか芝居に動きのクセ入れてきたりするかもしれない(笑)

遠藤 (笑)それは楽しみがいがある。

飛世 そうですね。

納谷 そういう意味では楽しみもありますよね。色んな賛否両論があったとしても僕は面白いし、そっちも観てみたいですね。

飛世 うれしいです。ありがとうございます。


■北八劇場と翻訳劇について 

飛世 北八劇場でも翻訳劇の上演を予定されていますよね?

納谷 はい、めっちゃしますよ。なんだったら翻訳劇ばっかりでいいなと思ってるので(笑)

飛世 そうなんだ(笑)

納谷 小田島先生とお知り合いですか?小田島恒志さん。

増澤 知ってはいますけど、お知り合いではないです。

納谷 僕、小田島先生と懇意にしてもらっていて、小田島先生作品をガンガン北八劇場でやっていこうと思っているんですよ。

増澤 あー、いいんじゃないですかね。

納谷 ただ、翻訳劇って難しいですよね。お二人の身体はやっぱりオリエンタルな身体を持っているし、その身体でニュージャージーって言葉が出てきたりL.A.という言葉が出てくるってことのバランス。なので僕は基本的に日本に置き換えちゃうんですよね。

増澤 あ~、翻案するのね。

飛世 えっ、これ聞いてもいいですか?『そして誰もいなくなった』の上演が決定してますけど、これも?

納谷 日本にしてるんですよ。

飛世 あー、そうなんだ!

納谷 日本に置き換えてるんですよ、初演のときも。でもね、これは権利問題で非常に難しくて。

飛世 そうですよね。

納谷 『そして誰もいなくなった』はアガサ・クリスティ作、福田逸さん翻訳なんですけど、仲が良かったので書き換えていいよって言われました。
北八劇場のこけら落としでやる『あっちこっち佐藤さん』っていうのも元々はレイ・クーニー作の『Run For Your Wife(ラン・フォー・ユア・ワイフ)』で、これも小田島先生に日本にしてもいいよって言われたんでやったんですけど、なかなか難しいですね。
これ(「Same time〜」)は一個もテキレジ(台本修正)してないですか?原作のまま?

増澤 カットは入ってます。

納谷 ああなるほど。そこの問題が難しいですよね、翻訳ものやるときに。

飛世 そうですね。

納谷 でも、北八劇場では翻訳ものをたくさんやっていきたいとは思っていますね。本を書くのがしんどいので僕。

翻訳物の難しさ

飛世 翻訳ものをやっていて、演出としてお二人、何か難しさとか感じたりしますか?

増澤 難しさというよりも面白さで捉えちゃうけど、日本人との違いとか。例えば、さっき「この時代の不倫と今の時代の不倫は違う」って話をしたじゃないですか、60年代~70年代頭にかけてヒッピーカルチャーが

納谷 そうですよね、フリーセックスみたいな時代があってってことですよね。

増澤 そうそう。それをバラバラに解体してじゃあもう一回ちゃんと夫婦関係見直そうかってなったときに女性の方がどんどん社会進出が強くなってきて家庭内の男女の均衡が破れたりすると、いい夫婦関係ってなに?みたいなのが80年代はすごく動いたわけじゃないですか。
そういう背景で生まれた作品だよねっていうのを知っておけば、日本人だと絶対ここでこういうこと言わないけどこいつらは言うよねとか、逆にそういうことを読み解いていくみたいな作業が楽しかったりする。
で、原作者の意図があって、そこに翻訳者の意図がひとつ被さってる。これをどういう風に翻訳者が読んだのかっていうのが一枚被ってて、これに乗っかっていくのが楽しいのか、もうちょっとダイブして原作では何て言ってる?っていうのを考えたりとか。

納谷 そうですよね。『12人の怒れる男』ではそれやりましたね。額田やえ子さんの翻訳なんですけど、何回も「ほんまかい額田!?」と思って原作を見てね。
でもシェイクスピアとかだと何人もの方が翻訳をなさったりするけど、そういう有名な戯曲じゃないとね、ひとつの翻訳なので、それは必要ですよね。

増澤 そうそう。だから、本当にこういう意味?って疑うときが時々あるじゃないですか。そういうときに調べてやっぱりこうじゃんって思うとちょっとそれが快感になったりするから、そういう楽しさは翻訳ものじゃないと出てこない。だから読み解く面白さみたいなのは翻訳ものの方がやっぱりある。

飛世 なるほど。今回も原作を演出助手の子が買ってくれてて、発注もしてないのに。「持ってますよ!」って言って見てくれて、チェックしながらやってますもんね。納谷さんはどうですか?

納谷 僕ね、『12人の怒れる男』は翻訳ものといっても役の名前出てこないんですよ。あれ陪審番号しか出てこないし、『そして誰もいなくなった』は日本に置き換えてるし。っていう意味では翻訳ものをそのままやったんですよね。
去年、斎藤歩さんがかつて青山(円形劇場)でやってた、僕らのお芝居は『ブリテン罰符の錬金術』っていう名前に変えてるんですけど『Cash on Delivery(キャッシュ・オン・デリバリー)』っていうレイ・クーニーの息子さんのマイケル・クーニー作のやつを歩さんに日本に変えちゃダメですか?って聞いたら「ダメだ」って言われてそのままやったので、難しかったですね。

飛世 どういう難しさなんですか?言葉とか?俳優がなんか…

納谷 身振りをどうするのかとか、やっぱり身体が海外の人とは骨格も違うし、色んな演技論があるじゃないですか。
ルコックシステム(ジャック・ルコック氏が考案した身体表現方法)みたいなものを使うなら骨格から少し変えた方がいいとか、そういうことをやるにはなかなか俳優の能力値みたいなものが追いついていかなくて、学んでいくときに。
どのようにしてその演技法を捉えていくのかっていうときに、まずやっぱり横文字の名前をその人の名前のようにどこまでハイブロウ(知性的)に言えるのかっていうこともあるし、コメディーって文化ならではのコメディーみたいな部分があるから、けっこうそれをね『あっちこっち佐藤さん』なんかは完全に札幌の話にしてるのでそういうところも端折ったりしてるんですよ。イギリスだから面白いものとかは飛ばすみたいな。

増澤 イギリスのコメディーってすごいシニカルだから、それを日本に置き換えるときにこんなシニカルなことで笑えねえぞっていうのあったりするじゃないですか。

納谷 そうでしょ?で、小田島先生アフタートークに来てくれたんですけど、日本に置き換えていればきっとそうは言われなかったんですけど、そのままやってるからめちゃくちゃ突っ込まれましたよ。

飛世 え~!

納谷 イギリスとかって、知ってます?ドア閉めて家の中の内鍵も鍵らしいよ。

飛世 つまみを回すんじゃなくて鍵をかけるんだ!

納谷 だからこそ成り立つコメディーがあったりするわけですよ。室内に閉じ込められることなんてあり得ないでしょ?でもイギリスは鍵だから、この鍵だけ誰かが持って行っちゃえば閉じ込められるみたいな。文化を分かってなかったから適当に内鍵とか外鍵でやってたら「違うんだよ!」って怒られて、怖!って思いましたけどね。だからその自信は僕にはないですよ。だからこうやって作品を原作通りやってるのは尊敬に値しますし、難しいですよね。

飛世 OrgofAは『エアスイミング』っていう作品をやったときには文化アドバイザーとしてイギリスの人に稽古場に何回も来ていただいて、恰好とか、この台詞ってどういう意味?とかたくさん教えてくれました。これはこう拭かないねとか、膝をつくつかないとかもめちゃくちゃあって、「えぇ、そんな恰好する!?」みたいなのが。

納谷 ちゃんとしてるね!そうやってつくるのすごいですね、文化アドバイザーって。

飛世 その時は岩崎さん(岩崎正裕氏/劇団太陽族・演出家)に「ちょっと無いと翻訳劇はできないんじゃない?」って言われて、札幌市にかけあって探してもらいました。

アメリカ人を演じるっていうスタンスが面白くない

納谷 今回のお芝居(「Same time Next Year」)って増澤兄さんはやったことあるんですか?ご自身で。

増澤 ないです。

納谷 あ、やったことはないんですか。観たことはあるんですか?

増澤 何かので観たことはある。

納谷 僕初めてなんです。戯曲は20代で読んでたんですけど、初めて生で観るかなあ。

増澤 でも加藤健一さんみたいな劇場でやってるのは観たことないです。もっともっと小さい箱でやってるのは観たことあります。

納谷 あー、なるほどなるほど。

飛世 翻訳劇って難しいですね。

納谷 難しいですよ。やるほうも難しいでしょう?

遠藤 アメリカ人になろうと思ってやってる?

飛世 いや、思ってない。

遠藤 そこなんだよね。なんかもう僕なんて最初から日本人顔だなあと思ってやってるから。でもこれ前回はなんかそこに近付けなきゃいけないなと思ってやってたんだけど、やればやるほどなんか自分が観たくない翻訳劇に。

増澤 最近思うのは、演じてるっていうことがもうね、面白くないんだよな。

遠藤 うんうん。

増澤 翻訳ものをやるときに、アメリカ人を演じるっていうスタンスが面白くないっていうか。だからその違和感があろうが何だろうが、その人としてそこにいるっていうのが一番理想としてはいいと思うんですよね。

納谷 分かります。

飛世 理想ですよね。

増澤 でもやっぱり翻訳ものだから、俺はジョージだぜっていうアメリカ人的な芝居をしようとしたらたぶん途端に嘘になると思う。

遠藤 いやそうなんですよ。なんかあの、なだぎ武さんみたいな。

飛世 ヘェ~イ、アッハ~ン、みたいな(笑)

遠藤 ビバリーヒルズの(笑)やっぱあれを真剣にやってる色んなものを札幌で翻訳のもの観てきて。

飛世 あ~そうだね。

遠藤 なんか(身振りを)こうやってるとか。

納谷 難しいよね。習慣性じゃないですか。例えば、僕なんか妻のことをほぼ名前で他人に言うことはないですからね。「妻」って言うし「奥さん」って言うし。特に初対面の人に僕の妻のことを名前で言わないけど、これ名前を嘘つくっていうシーンあるじゃないですか。初対面の人に自分の配偶者のこと名前で言うなんてことは、たぶん日本文化にはなかなか無いですよね。

増澤 そうかも。「うちの奥さん」って言う。

納谷 奥さんって言うでしょ?僕の妻チエって言うんですけど「チエがね、」って絶対言わないですもんね。僕の妻のことも知っている人には言うけれども、そうじゃない人に自分の家族の名前をなかなか言わないでしょ?

飛世 言わないですね。「うちのお母さん」とかって言っちゃいますよね。

納谷 そうでしょ?だからそういう意味ではああいうところが面白いですよね。だからそことかが堂に入っていれば、ちゃんと日本人にはない一個飛んでるところにいくっていうことになるんじゃないかなと思いましたけどね。

4名の話はまだまだ続きます。
後編はこちら



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