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150年の価値とは

場所の価値は歴史で語られる

人は住んでいる場所を誇りたくなるもので、そんな時にまず語られるのが歴史である。

旧石器時代や縄文時代を置いておくとしても、現在の日本に通じる歴史が始まったのが、建国日である紀元前660年2月11日とすると、2700年。
各地に歴史の痕跡としてみられる寺院は1400年、天守を有する城で400年前の痕跡を辿れる。
日本は歴史の深さを感じることができる場所に溢れているから、歴史の話をする時は、1000年単位で語られることがザラである。

そして、そんな歴史から人々が感じたいのは、「再現できない」という価値なのだ。

神戸の歴史とは何を指すのか

神戸人が神戸の歴史を語ると、解釈が始まる。

例えば、平清盛が改修した中国貿易の拠点港「大輪田の泊」、一時京都が移された福原、楠正成が北朝軍に敗れた湊川の戦い、豊臣秀吉が好んだ有馬温泉、などなど。

どの歴史も断続的で現在までのつながりが少なく、受け取る側が戸惑ってしまうものばかり。
とどのつまり、現在の神戸の歴史は、神戸が開港された1868年からだと考えるのが妥当だと考える。

北海道人と神戸人

出会ってきた北海道人の多くは、「北海道は歴史がないから」と自嘲気味に言っていた。それは自嘲「気味」なだけで、同時に地域への愛を感じる言い回しだったりもするのだけれど。
確かに、1869年に明治政府が開拓使を設置したことで北海道の開拓が始まったので、150年と少しの歴史であるのだが、彼らからは、世代をつないで新しい街として開拓してきたという力強さを感じる。

対して、神戸人は、同じく150年と少しの自分達の歴史、そして文化を高らかに謳う。

神戸市が他都市の住民向けに行なったイメージ調査結果の上位には、港、異国情緒、お洒落なファッション、六甲の山と緑、グルメが上がる。

2022年の全国開港別貿易額では5位にとどまり、異国情緒はレトロで流行らないハリボテと化し不人気観光エリアに、ファッション街には東京のブランチが並び、一時はげ山となった六甲山が植林されたのは明治時代であり、ミシュランは8年来ていない。

これが多くの神戸人が自慢する神戸のリアルである。

神戸が150年で築いたもの

神戸が開港してたった150年の間に大都市となったのは、まさに港のおかげであった。
港に選ばれたのは、湾岸線の水深が深く、潮の干満の差が少ないといった要因以外に、当時、湾岸に住民が少なく、開発の余地が大いにあった点も言及すべきである。
更に言うと、当時の湾岸地域には文化的な下支えが地域になかったからこそ、押し寄せるように港に入ってきたモノだけでなくヒトも含む有象無象を節操なく取り込めたのである。

ここでは、新しいものを受け入れ、その雑多性を許容していった歴史こそが神戸の魅力だと断言したい。

にも関わらず、過去に誉められたモノを集め、賞味期限が過ぎても飽きられていても気にせずに、擦り続ける神戸人が多いように感じる。
港に例えて言うと、倉庫が過去に評価された文化でいっぱいになってしまっていて、新しい文化の発信ができないのは言わずもがな、そもそも、受けい入れる隙間もないのが現状である。

雑多性と共に場当たり的に時代を超えてきた神戸人のエネルギーを取り戻すためには、しがみついている過去の遺産を整理、もしくは廃棄することで、物質的にも情報としても流動性を作ることが重要だと主張したい。

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