― 第十九話 アソウとメクロと仲間たち ―

 さて、メガネ達と別れた後のアソウの行動だが、大胆というか、無策というか、アホというか・・・。
 ま、結論からいうと、彼のナダ会への潜入は成功した。

 メガネ達と別れたアソウはそのまま、円筒形の螺旋階段のその向こう側の壁に設置してあったエレベーターに乗り、二階へと上って行った。
 もうこの時点で彼が、<エレベーターが開いた瞬間、敵が目の前にいたら?!>などと考えてなどいなかったことが分かる。
 しかも彼はエレベーターの電光数字を見ながら鼻歌なんて歌っていたのである。気分は我が家だ。
 
 エレベーターが開き、外に出ると、アソウの目の前、そして右手、の二方向に薄暗い廊下が広がっていた。
 正面の廊下をずっと行った先には、『目苦呂』と真っ赤な文字で書かれたドアがうっすらと見える。
 (あいつ、コードネームに漢字はご法度やとあれほどエッセンスはんから言われとったのに!)アソウが廊下をそのドアに向かって進もうとした時だった。

「メクロ様ぁ~!メクロ様ぁ~!」
 不気味な合唱が右手から聞こえてきた。
 アソウはちょっとためらった末、声の聞こえてきた方に行くことにした。

 歩くのに不自由するほどではなかったが、極端に照明の落とされた廊下だった。
 その廊下もあとすこしで終わろうとしたとき、正面に光が見えた。
 アソウは足を止め、体を廊下の壁にくっつけると、顔だけ出して中の様子を窺った。

 そこはちょっとした広場のようになっており、二、三十人の男が立ち並んでいる。
 皆一様にこちらに背を向け、正面を向いている。
 正面には、おそらく舞台があるのだろう、スポットライトを浴びたメクロ、その横にメルトモ、そして椅子に座らされ、恥ずかしそうにしている若い男が一人、皆よりも頭二つ分ほどの高みに居る。

「さぁ、何も恥ずかしがることはない、エミリー!」
 メクロがその若い男に、厳かに告げた。
 (は?エミリー?)鳥肌が立った。
「ワシの言葉を繰り返しなさい・・・。
   メクロ様 メクロ様、はいっ!
   〈メクロ様 メクロ様〉
   あなたは今ぁ、はいっ!
   〈あなたは今ぁ〉
   私のオフクロ様ぁ、はいっ!
   〈私のオフクロ様ぁ〉
   あなたのお乳をぉ、はいっ!
   〈あ、あなたのお乳をぉ〉
   くださいぃ、はいっ!
   〈くださいぃ〉        」

 (おい、おい。ちゃんと繰り返しとるがな、エミリーちゃん。そうとう恥ずかしいやろな・・・)そう思い、アソウがちらっと手前に目を移すと、アソウの居る場所に一番近いところで立っている男が咽び泣いており、しきりと顔を手で拭っている。
 (・・・どこや?どこで泣いとるんや、こいつ。こわいっちゅうねん、ほんま)アソウはその思いをぐっと胸に押し込めると、泣いている男の横までそっと歩いていった。
「ぐふぇっ!ぐふぇっ!」
 横に並んでみるとその男が、ともすると大きくなりそうな自分の声を必死で押さえつけながら泣いているのがわかる。
「くくぅ~っ!」
 その男の傍に立ったアソウが、男に負けじと泣き出した。
「ぐふぇっ!・・・」
「ぐくぅ~っ!・・・」
 二人のくぐもった声が辺りに響く、かと思いきや、周りの男達も皆、号泣したい気持ちを必死で抑えていたようで、男たちの、まるで巨大な腹鳴りのような、くぐもった音がその場に満ちていた。

 アソウが耐え切れずに、隣の男の肩に摑まって泣き出した。
 掴まれた男も堪えきれずにもらい泣きを抑えられなかった。
「ホ、ホンマ、すてきや!なぁ?ぐふっ!」
「そうだな。・・・う!い、いかん、お前、な、泣くなよ!」
「な、泣くなっちゅうたかて・・・ぐふぅっ!あ、あんたかて、泣くのやめなはれ!」
「と、止まらないんだよぉ!ぐわぁあああ!」
「や、やめなはれ!男やろ!お、おと、・・・ぐふぅううう!」
 とうとう男とアソウの二人はお互いに抱きしめ合い、声を張り上げ合って泣き出した。

「グスッ!と、ところでこれ、いったい何の儀式なんや?」
 ひとしきり泣き上げたところでアソウが男に聞いた。
「ひっく!な、何だ、お前、そ、そんなことも・・・」
「ひぐぐぐぅっうっ!」
「うぅ!や、やめろぉ!もうこ、これ以上泣かせないでくれぇ!ナダ会が台無しになっちまう!」
「ぐふぅっ!そ、そやな。で、あの舞台に立つエミリーってな、何者なん?」
「はぁ?お前、なんでそんなことも知ら・・・」
「うぐぅぁっ、はぐぅっ!」
「わぁっ!もうやめてくれぇ!な、泣くなぁ!あ、あいつは昨日来た殺人集団、トウハーツのリーダー、チョンマゲの弟じゃないか。」
「そ、そうやった、そうやった。うぐっ、ひっく。で、トウハーツって今ここに居るん?」
「うぅ・・・、い、いや、あいつらならさ、さっき世界公務員達を始末しにヤツラのアジトに向ってるはずだ。」
「そうなんやぁ・・・。うぅぐ。で、トウハーツって、も、もしかして三人組で、モヒカンとか居るんじゃ・・・?」
「あ、当たり前じゃないか。ふぅぐっ。チョンマゲ、モヒカン、ベンパッツンって言ったら裏の世界じゃ有名らしいぜ。うっうっ」
「ふぅ~ん。」

「なんでもな、メクロ様の大切な物を世界公務員達に取られたってことでメクロ様は大そうお怒りで、ウガンダから彼らをわざわざ呼んだらしいぜ。そしてな、お前、知ってるか?」
「ん?何をや?」
 男が声を低めて言った。
「メクロ様は首相の暗殺もそのトウハーツに命令してるってよ!」
「ホ、ホンマか?」
「おい、でも、これは内緒だぜ。誰にも言うんじゃねぇぞ!俺も偶々昨日、メクロ様の部屋の前を通ったときに聞いちまったことなんだから。」
「メ、メクロ様の部屋って、エレベーターの向かい側にある部屋やな?」
「そうだよ。お前、ほんと何にも知らねぇな。」
「す、すんまへん。で、このナダ会ってまだ続くんでっか?」
「いや、あと一時間くらいで終わりだ。」
「はぁ、ほうでっか・・・。じゃあナダ会終わったらまた会議でもあるんやろか?」
「自由時間らしいぞ。でも外出は禁止されてるけどな。ま、外に出たとしてもここには何もないし。」
「そうですな。じゃあ皆部屋で待機ってことやね。」
「ま、そういうことだな。」

「下の階で皆生活しとるわけでんな・・・。メルトモ・・・様とかも下の階でっか?」
「そうだよ。そうそう、メルトモ様の部屋のこと知ってるか?あの人、『解剖室』に住んでんだよ。ひゃっひゃっひゃ!笑うだろ?」
「『解剖室』?」
「そう、『解剖室』。一番広い部屋だってんでメルトモ様が自分で選んだ部屋がなんと、『解剖室』。ほら、あの人、漢字読めないから。」
「ほほう。じゃあエミリーもこれが終わると下に来るんでっか?」
「そうだろ。トウハーツが帰ってきたらすぐにフクヅケ式するってプログラム表に書いてあったからな。」
「フクヅケ式?」
「ほら、お前も受けたろ?あの、メクロ様と二人っきりでする、スゲー気持ちいいやつだよ。」
「あ、あぁ~!あれ・・・ね。あ、あれはすごかったなぁ~。なんか耳の尖った宇宙人とか来ちゃって・・・」
「何の話してるんだ、お前・・・。メクロ様と二人きりで受けたアレだよ。」
「そうそう二人っきりで!脱がされて・・・」
「脱がされねぇーよ!まぁ、メクロ様が額に指を突き立てるのにはびっくりするけどな。」
「そ、そうそう!爪痕がすぐに消えたら若さのあかしって、な!」
「お前、アレって何か知ってるか?あれはな、お前の過去の嫌な記憶をメクロ様が取り去ってくれるんだよ。」
「記憶を取り去る?」
「そぅ。本人がその記憶を嫌だと思えば思うほど気持ちよく感じるんだってよ。」
 なぜかアソウはそのとき、この建物を病院臭いとすぐに看破した吉田の実家には、はたして冷蔵庫はあるのだろうか、とふと思った。

「あ、でも、ワシ、記憶はちゃんと残ってまっせ?」
「そりゃそうだ。メクロ様も俺たちくらいのヤツらだったら完全に記憶をなくすまではしないんだよ。まぁせいぜいその嫌な記憶を吸い取るくらいなもんらしいぜ。」
「はぁ、そうでっか。」(確かにこいつ、いかにも雑魚って顔しとるわ・・・)

「でもよ・・・」
 男がアソウに顔を近づけて言った。
 男の口からは腐った納豆の魚のような臭いがした。
「メクロ様が恨んでる相手とかだとそりゃもう、ひどいことになるらしいぜ。」
「どうひどいんで?」
「なんでも、体から汁気を全部吸い取ってしまうらしくてよ。結局、後に残されるのはただ干からびたミイラみたいな体だけ!だってよ。」

「ひ、ひどいやんか!それで、メクロのヤ・・・様の恨んでる相手っていうのは例えば誰なんでしょうね?」
「はははは。冗談だろ、冗談!メクロ様が怒ったときには『ギメガ帳に載せるぞ』って言うらしくてさぁ、それを聞いたらあのメルトモ様でさえ真っ青になっちゃうんだって。はははは。メルトモ様もジョークが分かんないよなぁ。大体、本気で殺したいってほど人を怨む人間なんてそもそもいるわけねぇじゃーか。ホント困っちゃうよ。ははははは」

 (何てヘブンなヤツなんや、こいつは・・・)
「あ、ワシ、ちょっとトイレ行ってきますわ。」
「おう、すぐ戻って来いよ。また共に泣こう、同志よ!」
「もちろんですわ!ほな。」
 アソウは男と別れると、まっすぐにメクロの部屋に向かった。
 舞台では上半身裸になったエミリーが、両手に蝋燭を持って掲げられた棒の下を上向きでくぐっている。

― カチャッ、カチャッ ―

 むうぅ・・・。開かない。
 (あのむっつり、いっちょまえに鍵なんてかけとるで。世界公務員日本支部代表をナメんなよ)
 アソウは周りを見回してピッキングに使えそうな道具を探したが何も見つからない。
 最初彼は、静かにドアを押したり引っ張ったりしていたが、イライラしてくるにつれ、その方法は荒っぽくなっていき、ついにアソウはドンドン!と足で思いっきりドアを蹴り出した。
 その甲斐あって、ようやくドアが開いた。

「はぁ、はぁ、はぁ、人間様をなめるなよ、ドアの分際で!はぁ、はぁ、はぁ」
 アソウは肩で息をしながら勝ち誇って言った。
 そして、メクロの部屋にいざ足を踏み入れようとした時だった。
 彼は、全身に視線を感じてふと後ろを振り返った。
 そこにはメクロ、メルトモ、そしてその他大勢、がずらりと並び立ち、無言でアソウを見ていた。
 あの、涙男もいて、アソウと目が合った。
 涙男がアソウに向かって小さく手を振った。
 ちょっと恥ずかしそうだった。


(第二十話へ続く)

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