「ぼっち・ざ・ろっく!」と考える「承認欲求」と「孤独」(後編)「孤独」と「不安」と「芥川龍之介」
こんばんわ俺やで
今期のダークホースアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」という話題作がある。先日最終回を迎えた。未視聴の方にもわかるよう「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公をさらっと解説しつつ、我々現代人や、物語の主人公が抱える「承認欲求」と「孤独」を考えていきます。今回は「孤独」がテーマです。
これが前編です。別に読まなくても大丈夫ですが一応貼っておきます。
1.ぼっち・ざ・ろっく!とは?
「ぼっち・ざ・ろっく!」についてご存じない方に説明します。女子高生4人がバンドをします。主人公がぼっちをこじらせています。以上です。この主人公の「孤独」にスポットを当てるので他のキャラクターは紹介しません。
主人公 後藤ひとり
彼女は主人公の後藤ひとり ギターがめちゃくちゃうまい。が、
陰キャでコミュ障で中学まで友達がいなかった。そのためバンドメンバーからのあだ名は「ぼっちちゃん」ちなみは彼女はあだ名が今までなかったので喜んでいる。数多くのコンプレックスがあり、それらを刺激されると人間の姿ではなくなる。
えー以上で「ぼっち・ざ・ろっく!」終わります。この先は「孤独」について考えていこうと思います。
2,「孤独」の意味
まず孤独の意味だが、
とのこと。まぁ意味はわかります。
しかし「孤独」は多くの捉え方ができる。なぜなら「孤独」を楽しめる人もいれば「孤独」を苦痛に思う人もいる。「孤独」の状態の人間を「孤高」などとかっこよく称する人もいれば、「ぼっち」のように馬鹿にする言い方もできる。「孤独死」なんて言葉も聞くこともある。
また「孤独感」と聞くと、なんともいえない、心のどこかに漠然とした虚しいイメージとなる。この「孤独感」からくる「漠然とした虚しさ」は多くの現代人が一度は思ったことのある感覚ではないだろうか。
現代人は物質的には不自由を感じることが少なくなり、昔に比べればかなり快適な生活が可能になったが、たとえ欲しかった物を手に入れたとしても、ほんのしばらく気が紛れるだけで、この虚しさが消え去ることはない。
現代人の多くはスマホを持っており、電車の中や、街角や観光地でも多くの人がスマホを手にする姿はすっかりおなじみの光景となっている。横断歩道を渡る時や人と話しをしているときでさえ、スマホから目を離さない人も決して珍しくはない。
『我々が「孤独」を必死で避けようとするのは、「孤独」から逃れ、「孤独」な存在であることを感じないようにするためである。』
『人間は「孤独」な存在であり、人間は「孤独」に対して根源的に恐怖しており、できるだけ「孤独」を感じないようしている。』
と哲学者ハンナ・アーレントは言う。
3,私たちはなぜ「孤独」を恐れるのか?
我々は「孤独」にたいして根源的に恐怖している。
ではなぜ我々は「空白の時間」を避けるのか、なぜ「孤独」は恐れるものであるかを解説する。
その理由は我々人類の祖先にまでさかのぼる。
我々は狩猟採取民族であり集団生活をしてきた。
遥か太古のの時代、人々は協力し連携して食料や集落を守ってきた。逆を言えば人々と協力をしなければ食料を確保できなかった。
つまり孤独になる(ぼっち)となってしまうことは死に直面する重大な問題であった。男性と女性のコミュニケーションが少し違う理由などもこれら狩猟採取民族のなごりが残っているためである。
男は狩りを行い、食料を集落に持ち帰る。
狩りは集団で行い、協力しなければならないので一人では食料が確保できない。
女は集落を維持し、コミュニティを保つ。
もし仲間外れにされ、コミュニティから外されてしまうとこちらも食料が確保できない。
つまり、ぼっち=死 が我々人類のDNAに刻まれているのである。
主人公ひとりも自分がぼっちなことを自覚しており、
幼い頃から友人のいなかったひとりはギターをおぼえて人から注目を集めれば「一人ぼっち」から脱却できるのでは!?と押し入れに籠って一人黙々とギターを練習し続けるの日々を送っていた。
しかしそれだけではギターの演奏技術は上達しても友人などできるはずもなくぼっちのまま中学を卒業。
このままではだめだと高校ではその状況を変えるべく、
「ギターを持って登校しロック少女をアピールしてバンドメンバーに誘われる」作戦を思いつきギター同伴で投稿する。
終わりだよこの娘
もちろん現代の人間は「ぼっち」でも生きていける。しかし、脳やDNAレベルに刻まれた情報はすぐにはアップデートされない。太古の人類の祖先の名残が今でも残っているのというのが通説である。
この人間が「孤独」を恐れる話は、脳科学や恋愛心理学などでもそこそこ有名な話しなのであまりここは掘り下げないが、詳しく知りたい方は「モテるために必要なことはすべてダーウィンが教えてくれた 進化心理学が教える最強の恋愛戦読んでください。恋愛戦略とか書いてますが普通に進化心理学の読み物として面白いです。
4,「孤独」って良いこと?悪いこと?
我々人間は「孤独」になりたくないDNAが刻まれていることがわかった。続いては「孤独」の是非について「哲学」と「科学」の観点から考えていく。
哲学者の「孤独」についての発言の有名どころは、
など調べれば腐るほどでてくる。
一応言っておくが哲学者はひねくれもので友達が少なかったため「孤独」を推しているわけではない。と思いたい。
「哲学」では「孤独」を称賛しているが、
「科学」の観点から「孤独」の是非を問うと「孤独」は悪である。
まずは健康面と「孤独」の関係だが、
など2022年だけでもたくさんの論文が発表されている。
なかでも『「孤独」は「喫煙」よりも体に悪い』というのは衝撃の研究結果である。
健康面では「孤独」は悪影響といえる。
では続いて「孤独」と「幸福」についての研究だが、
被験者の人生を10代から老年期まで、75年間という長期間にわたり、記録した、ハーバード大学の長期研究が有名である。
この長期の研究の結果、
幸せな人生と健康に最も必要なのは、「良い人間関係」
ということが海外の多くの研究で実証された。
人生の「幸福」にとっても「孤独」は悪である。
また「孤独」で生じる経済的損失はなんと約4.7兆円とイギリスの調査わかった。(どんな計算をしたのかはよくわかりません)
国の金銭面でも「孤独」は悪である。
つまり現代科学における「孤独」とは「悪」である。
もちろん「孤独」の研究や論文はたくさんあるだろうし、「孤独」は体に良いという研究結果や、これからも新たな研究結果が出てくるだろうが、現時点では2022年発表の最新論文とハーバード大学の75年という長期にわたる研究結果を信じてみたいと思う。
先ほど述べたように人間は「孤独」を根源的に恐怖しており、「科学」では「孤独」を「悪」としている。
しかし最近では「孤独は人生を豊かにする」や「孤独になると結果が出せる」という本や、メディア関連でも「孤独のグルメ」や「ソロ活女子のススメ」や、また題名にもあるが、「ぼっちキャラ」を推したアニメや漫画のように、現代人の悩みのタネの人間関係から離れることができる「孤独」がブームとなりつつある。これもうわかんねぇな。
5,芥川龍之介の「ぼんやりした不安」と「承認欲求」と「孤独感」
我々が抱える「孤独感」は他人とのつながりをもとめてしまう「不安」が原因である。「承認欲求」を求めてしまうのも「不安」が原因である。
承認欲求やつながりをもとめSNSを使って孤独を感じないようにし、一時的な喜びは得られても、しばらくするとまた「孤独感」に襲われる。そしてまた「孤独感」を本能的に回避しようと、またSNSなどでつながりを求めてしまう。
「孤独感」を本能的に回避し、人とのつながりを欲してしまう理由は上記で示した通り、我々にはぼっち=死が刻まれているためである。
前回の記事でも触れたが文豪芥川龍之介の死因は『自殺』であり、その自殺の理由は、「ぼんやりした不安」である。
上記は芥川龍之介が旧友(久米正雄)に宛てたと手紙に書かれた文章であり、自らの自殺の理由は「少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」と告白している。
この「ぼんやりした不安」という言葉は現代人の我々の心にも宿る感情である。あなたにもなんともいえない不安、焦りを感じたことがあるだろう。
我々が持つこれらの感情を「ぼんやりした不安」という言葉に集約させている。
みなさんにも悩みが1つや2つ、もしくはそれ以上あるだろう。
人間関係、金銭面、仕事関係、健康面など人それぞれである。
しかしどんな悩みの理由はあれど、その根本の原因は「不安」である。何に対しての「不安」かといえば、自分の「死」についての不安である。すべての悩みの種は「死」についての不安なのである。
主人公ひとりももたびたび未来に不安を感じ顔面を崩壊させている。
すべての悩みの種は自分の「死」についての不安というのは長くなるのでまた別記事にします。ごめんなさい。
すべての悩みの種は「死」についての不安なのであると理解しても、私含め我々は「死への不安」から逃れることができない。
芥川龍之介は、我々の人生を「人生は狂人の主催したオリンピックに似たものである」と表し、人生というゲームから一足先におりたのであった。
6,ハンナ・アーレントと「孤独」
ドイツ生まれの哲学者ハンナ・アーレントは「全体主義の起源」にて、彼女は人間が一人である状態について、「孤独」と「孤立」と「隔離」(見捨てられていること)の3種類があると述べている。この記事でハンナ・アーレントについて語ると大変なことになるので今回はざっくりまとめます。
「孤独」には2種類あり、
「自分自身と対話できている状態」と「自分自身と対話できない状態」がある。
この「自分自身と対話」とはあなたの脳と心の思考だと思ってくれていい。この脳と心の思考をざっくりいうと、
脳は理性の場であり、
心は感情、欲求、感覚(直感)の場なのである。
脳(理性)は物事のシミュレーションなどをする。この働きによって分析や予測、反省や計画など、過去や未来のことを扱う。
一方の心(感情)は直感的、即興的に反応する。また脳(理性)のような理屈や理由づけをいちいち伴わないのが特徴である。
たとえばあなたが夜中にラーメンが食べたくなったとしよう。これはあなたの思考の心(感情や欲求)である。しかし食べたいと思う一方、こんな夜中にラーメンを食べてしまう太ってしまう、体に悪いのではないかと考えてしまう方もいるだろう。これは脳の理性が冷静に分析しているといえる。
あなたも一度ぐらいはこのように頭と心が違うことした経験があるだろう。
自分自身との対話ができずに、脳が心をコントロールする状態となると、太古の本能が働き、「ぼっち=死」が強く働く。
その結果、「孤独」に恐怖を感じ「人とつながっているかどうか」「人にどう思われているか」といったことに執着し周りの目をうかがうようになってしまう。
前回の「承認欲求」の記事でも出てきたが自分に自信がない人ほど、「承認欲求」が強くなる。
自分自身を自分が認めることができないため自分以外の他者から承認を求めてしまい、「ぼっち=死」を避けるため「人とのつながり」をもとめSNSでその欲求を満たそうとする。
しかし、我々が「人とのつながり」をを得るためSNSを使ったり、気を紛らわせても、我々が感じるなんともいえない虚しさや寂しさは拭いきれない。もし仮にSNSで「孤独感」が癒せるのなら現代にこれほど「孤独感」が問題視されることはなかっただろう。
この我々が感じる虚しさや寂しさや孤独感の原因は、
「人とつながっていなかったから」ではなく、
「自分自身とつながっていなかったから」である。
我々人間は「孤独」を恐怖してしまうが、だからこそあえて「ひとりの時間」を作りだし、自分の抱えている「孤独」と「承認欲求」と「不安」と真剣に向き合うことではじめて新たな着想や生き方が見えてくるのである。
7,主人公ひとり(陰キャ)と喜多(陽キャ)の互いの憧れ
「ぼっち・ざ・ろっく!」第12話「君に朝が降る」(最終回)にて学園祭のライブ終了後の主人公ひとりと後輩の喜多が保健室で会話するシーンがある。
後輩の喜多は陽キャであり、主人公ひとりは陰キャである。
「みんなからの人気者」の喜多と「コミュ障陰キャ」のひとりは作中でたびたび対比されるシーンが描かれていた。
喜多のコミュ力や適応力の高さに主人公ひとりは尊敬と憧れ抱いていた。
陰キャが陽キャにあこがれるのはよくあることかもしれない。
しかし保健室で会話で喜多はひとりに対して、
『私は人を惹き付けられるような演奏はできない』
『けど…みんなと合わせるのは得意みたいだから』
と短い言葉で珍しく自分の心境を告白し保健室から出ていく。
短い会話だが見事に2人の関係がみられるシーンである。
上手く人に合わせることが出来ず孤独を感じるひとりに対し、
喜多は人に合わせることしか出来ないと話す喜多。
主人公ひとりは「孤独」にもがき苦しんでいたが、そんなひとりと真逆の位置、「孤独」と程遠い位置にいた喜多からは全てを持つ輝く存在に見えていた。
学校の人気者であり、ひとりやみんなからも憧れられる存在である喜多が、「孤独」であるが、「孤独」故に、人にはない自分の武器を持っているひとりに対しても憧れを抱いていたのがわかるシーンである。
みんなからの人気者で友達の多い「孤独」と真逆の喜多は「人とのつながり」を尊重する。尊重してしまう。逆に「孤独」でいられるということは周りに迎合せずに自らの武器を磨くことができる。
上記にもあった現代の「孤独」ブームの理由はやはり周りの目なんか気にするな!といった主張なのであろう。
互いに互いにないもの持っており、互いに憧れていた。それを短い会話で表現しており、最終回にふさわしい名シーンでした。エモい。
えーそんな「ぼっち・ざ・ろっく!」がAbemaにて1月7日から無料で一週間の間、なんと一挙放送しています。やったぜ
サンキューAbema
8,まとめ、感想
前回と今回の記事で伝えたかったことをまとめると、
我々は「不安」から「孤独」を避けようとしてしまう性質があり、他者からの承認や人とつながりで誤魔化しても「承認欲求」は一時的にしか満たされず、「孤独感」と「不安」は残り続ける。だったらあえて自分から「孤独」になり、自分の抱える「不安」の正体に向き合おうね。ってことと「ぼっち・ざ・ろっく!」はエモいってことです。
「承認欲求」と「孤独」はまだまだもっと語りたいことがたくさんあるので必ずまた記事にします。記事にまとまりがなく中途半端で悔しいです。記事内では偉そうなことを書いていますが私自身、「孤独」のうえ「不安」と向き合わず現実逃避しています。NOTEを書いているときは少しだけ自分と向き合えている気がするのでNOTE運営さんと数少ないここまで読んでくれる方に本当に感謝しています。もっと読みやすく面白く記事をかけるよう頑張ります。ありがとうございました。
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