「ぼっち・ざ・ろっく!」と考える「承認欲求」と「孤独」(前編)「承認欲求を否定しないこと」と「芥川龍之介」
こんにちわ 俺やで
今期のダークホースアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」という話題作がある。先日最終回を迎えた。未視聴の方にもわかるよう「ぼっち・ざ・ろっく!」のキャラクターをさらっと解説しつつ、我々現代人や、物語の主人公が抱える「承認欲求」と「孤独」を考えていきます。
1.ぼっち・ざ・ろっく!とは?
ぼっち・ざ・ろっく!とは女子高生4人がバンドをする漫画であり、2022年10月からアニメ化が放送され話題作となっている。視聴していない人が、
「女子高生 バンド」と聞くと「けいおん」を連想するかもしれない。
ぶっちゃけ令和版「けいおん」と思ってくれてよいと思う。ただ「けいおん」と明確に違うポイントがある。
それは主人公がぼっちをこじらせ完全にイカれている点である。
主人公、後藤ひとりの被害妄想と承認欲求や陰キャエピソードや自虐ネタが豊富に盛り込まれておりクセになる作品である。
「ぼっち・ざ・ろっく」に登場するキャラクターをざっくり解説する。この記事のテーマである「孤独」と「承認欲求」は主人公でぼっちの女の子から考えるので主人公の彼女以外はとくに解説しない。
・後藤 ひとり
主人公。通称「ぼっちちゃん」ギターがかなり上手い。が、
ぼっち。根暗。ネガティブ。煩悩まみれ。陰キャの化身。被害妄想が激しくたびたび奇行に走る。情緒が不安定。会話の前に「あっ」とつく。極度のコミュ症。陰キャ特有の謎の行動力。そして後悔する。自分に自信がないが心の中に承認欲求モンスターを飼っている。「青春」という言葉にコンプレックスを抱えている。コンプレックスを刺激されたり、陽キャのオーラを浴びると彼女はたびたび顔面崩壊する。
ぶっちゃけ彼女を眺めるアニメだと思っていい。
この彼女の抱える「人といても孤独を感じる」と「自分に自信がないが承認欲求は人一倍強い」は彼女だけでなく全人類が抱える問題であり、今回の記事のテーマです。この記事では「承認欲求」にスポットをあて、次回の記事で「孤独」を解説します。
・伊地知 虹夏
虹夏ちゃん。元気な娘。聖人。陰キャにも優しい大天使。めずらしくまともなキャラクター。Twitterで「虹夏」と検索すると検索候補に「虹夏 彼氏」と真っ先にでてくる。脳を破壊された者たちの末路 終わりだよこの界隈
・山田 リョウ
リョウ先輩。クールでかっこいい。見た目もよくユニークなキャラだが借りた金を返さないなど問題行動があり、作者からも『クズ』と呼ばれる。
・喜多郁代
喜多ちゃん。陽キャ。後輩。かわいい。二次創作でよく主人公とカップリングされている(気がする)。以上。
えーなんと「ぼっち・ざ・ろっく」の解説パートはこれで終了です。この先は「承認欲求」についての解説となりますので「ぼっち・ざ・ろっく」の考察記事だと思った方はごめんなさい。ありがとうございました。
2.承認欲求とは?
まず「承認欲求」の意味は、
とのこと。知ってます。
有名なのはマズローの欲求の段階だろう。マズローの欲求の5段階は有名なので説明を省く。
大事なことは「承認欲求」は全人類がもっている感情であり切り離すことができないものである。「承認欲求」はなくすことは不可能である。
「ぼっち・ざ・ろっく」の主人公ひとりも人一倍強い承認欲求を抱えており、バンドを始めたきっかけは陰キャでもバンドをやれば人気者になれるチャンスがあると知ったためである。
「承認欲求」と聞くとまずSNSが思い浮かぶだろう。日々「いいね」ほしさに様々なツイートや動画投稿がみられる。
彼女も自分自身が「承認欲求モンスター」にならないようにSNSを自制している。えらい。
なお世に中には『「承認欲求」を捨てなさい』のようなくだらない戯言が出回っているがそんなことは不可能に近い。
アドラー心理学()が書かれたベストセラー「嫌われる勇気」で一躍有名になった言葉に「承認欲求を否定せよ」なんてものがあるがアドラーはそんなことを言っていないし、アドラー心理学は心理学でもない。この部分は記事後半で解説します。
また「承認欲求」で勘違いされがちなのは「人から認められたい」というプラスの感情だけでなく、「恥ずかしい思いをしたくない」「馬鹿にされたくない」という自分の評価が下げたくないと思うことも「承認欲求」のゆえの感情なのである。
あなたは「承認欲求」をどう思うだろうか。
人から認められたい、大切にされたいという欲求であり我々を振り回している存在ともいえるし、「承認欲求」のために頑張っているともいえるし、また苦労をしたり苦しんだりしている。なかにはこの「承認欲求」のせいで命を絶ってしまう人もいる。
我々は見えない何かと競い続け、競い勝った瞬間は喜びや達成感はあるものの、すぐに追いつかれるのではないか、あいつに負けてしまうのではないか、という不安や焦りによりまた競い続ける。そして競い勝った瞬間にひと時の喜びはあるものの、また不安や焦りに駆られまた競い始める。
これらはすべて、人に認められたい、自分の存在を理解してほしい、馬鹿にされたくないという「承認欲求」によるものである。そして「承認欲求」によって常に競わされ、見えない何かと終わらない戦いを続ける。
このように競い続けた先にあるのは墓場である。
常に不安と焦りと抱え、一時の喜びを求め人生を終える。これが「承認欲求」に振り回される我々の人生である。
別にこれが悪いわけではない。大なり小なり全人類このように「承認欲求」に振り回されるものだから仕方ないのである。
上記でも述べたが人間から「承認欲求」を消し去ることは不可能である。仮に「私は承認欲求なんてものは一切ない」という人がいたならば、その人は嘘つきか詐欺師か人間以外の何かです。理由はまた別記事で。
この常に不安と焦りと一時の喜びを求め、「承認欲求」に振り回され続ける人間の一生を思い、そんなのは馬鹿馬鹿しいと吐き捨てるように、自ら命を絶った文豪がいる。その名は芥川龍之介である。
3.芥川龍之介の「ぼんやりした不安」と「狂人のオリンピック」
かの有名な文豪 芥川龍之介の死因は『自殺』であり、
その自殺した理由は、「ぼんやりした不安」である。
上記は芥川龍之介が旧友(久米正雄)に宛てたと手紙に書かれた文章であり、自らの自殺の理由は「少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」と告白している。
この「ぼんやりした不安」という言葉は現代人の我々の心にも宿る感情である。
我々はだれかと過ごしたり楽しく過ごしているときでさえ「孤独」を感じる生き物で、暇があれば過去を悔やみ、未来を憂う。
この「ぼんやりした不安」を解説すると長くなるので次の記事「孤独」で詳しく解説します。
我々は「承認欲求」により行動をし、焦り苦しみ、何かを手にしたところで人生にゲームのようにラスボスが存在し倒してゲームクリアというわけにもいかず、また「承認欲求」により行動を開始する。そしてまた苦悩する。立ち止まりたいが「承認欲求」はリタイアを許さない。この終わらない戦い、増え続ける悩み、何のために生きているのかわからなくなる。
この我々の「承認欲求」に振り回され続ける人間の一生のことを芥川龍之介は、「人生は狂人の主催したオリンピックに似たものである」と表した。
こんな狂人の主催したオリンピックからは一足先に降りさせてもらうといわんばかりに、彼は自ら命を絶ったのである。
「狂人の主催したオリンピック」は説明しなくてもニュアンスがわかると思うので解説はしないが、「承認欲求」に振り回される我々の人生を詩的な一言で表しており、芥川龍之介の苦悩と文才が垣間見えるすさまじい言葉である。
4.「承認欲求」を否定するな
ここまで聞くと「承認欲求」なんてないほうが良い気がしてくる。
そんな現代人の心の隙をつきベストセラーとなった書籍がる。
それがアドラー心理学で一躍有名になった「嫌われる勇気」である。
この「嫌われる勇気」の有名な主張は、「承認欲求を否定せよ」と言われている。
上記でも述べたように承認欲求とは、「他人から認められたい」という欲求あり、喜びもあるが苦しみももたらす現代の悩みのタネとなっている。
「嫌われる勇気」では「承認欲求」を否定している。
理由は、承認欲求を満たそうとすると他人の期待に沿って生きるようなってしまう。他人の期待に沿う生き方は、自分自身の人生を生きていることに繋がらないから、他人に承認される必要なんかない。だからこそ承認欲求を否定するべきだと主張している。
「嫌われる勇気」を要約すると、
他者から承認される必要などない。
むしろ、承認を求めてはいけない。
「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない。
自分の好きに人生を生きることが大事だと。
これだけ聞くとアドラー心理学の「嫌われる勇気」の主張はいい感じに聞こえる。いや実際に聞こえが良かったからベストセラーとなったのか。
しかし大事なポイントがあり、アドラーは承認欲求が全てダメだとは言っていない。「嫌われる勇気」での「承認欲求を否定せよ」の部分のインパクトが強かったので仕方ないと言えば仕方ないが。
ここまで「アドラー心理学」に文句をつけていますが私はアドラーの考えは好きですし、本を作る時にも多少を煽るような表現をしないとベストセラーにはなりませんし、著者だけでなく編集者などいろいろな人が関わっているので仕方がないとは思います。いつか「アドラー哲学」も記事にします。こんなところに目くじらを立てるから記事が長くなる。
5.自分に自信がない人ほど「他者承認欲求」(自己顕示欲)が強い
ようやく本題です。
「承認欲求」は二種類あり「自己承認欲求」と「他者承認欲求」の2つのタイプがある。
読んで字のごとく、
「自己承認欲求」は承認欲求のうち、自分からの承認を望む心理
「他者承認欲求」は承認欲求のうち、他者からの承認を望む心理である。
「自己承認欲求」は、仕事や勉強を頑張るモチベーションとなり、
「理想の自分になりたい!」
「欠点や弱さを克服したい!」
という欲求は自己承認欲求があるからこそ、高みを目指す意欲が湧いてくるものであり、適度な自己承認欲求は、努力を続け成長していくうえで不可欠である。
しかし自己承認欲求が過剰になると、さまざまな弊害が起き、
自分を認められず、自己嫌悪感にさいなまれたり、自分を認めようと、頑張りすぎて苦しくなる。これは誰もが経験することだろう。
一方の「他者承認欲求」はよく聞く言葉に言い換えるなら「自己顕示欲」といえる。自己顕示欲は、
とあり、自己顕示欲は他人のほうを向いた欲求であり、他者承認欲求と意味が近い。
上記でも書いたようにアドラーは「承認欲求」の全てダメだとは言っておらず、自身の成長のためには「自己承認欲求」は必要であると大いに推奨しており、そして「他者承認欲求」(自己顕示欲)も人間社会を生きるためにはある程度必要というスタンスをとっている。この部分もまた別記事で。
上記に示したように「自己承認欲求」と「他者承認欲求」(自己顕示欲)の二種類の承認欲求があり、人間は承認欲求から逃れることができないので、この二つのバランスをとる必要がある。
ところが自分に自信がない人は「自己承認欲求」が満たせないのである。
自分で自分のことを認める(承認)ことができない。自分で自分を承認できない代わりに他者からの承認「他者承認欲求」を求める。
他者に認めてもらうため「見栄えのいい自己像」や「求められている自己像」を演じてしまい、自己像が不安定になる。
他者に認めてもらいたいという感情は誰しも持っている。
しかし自分を認めず、他者のみの承認だけで生きていくことは簡単ではない。仮に簡単に他者に承認されるなら、世の中にSNSなんてもは普及しなかっただろうし、人間関係の悩みや人付き合いのコツなどの本が出回ることもなかっただろう。
他者から承認を得たいというのはまさに地獄の入口にいるようなもの。
なぜならな人の気持ちなんて誰にもわからないからである。
他人の心はなぜわからないかはニコラス・エプリーさんの「人の心は読めるのか?」を読んでください。読心術の研究し続けている有名な方の本で、この本の内容は日常で我々がいかに人の心や性質を「読んだつもり」になっているかを多くの実験を通して伝えている本です。
このニコラス・エプリーさんの最新研究「他人の心理を読む方法」の結論は
「相手の考えなんて読めない!だからどう考えているのかを相手に直接聞け!」
です。くそおもしろい。
「人の気持ちがわかない」という悩みや「人の気持ちがわかる人間になりなさい」と言われた方は安心してください。それが普通です。話がまたそれたのでこの話は終わりです。またいつか記事にします。別記事が多すぎる
自分で承認欲求を満たせず、他者からも簡単には承認してもらえない。
そして最も簡単に他者に承認してもらう方法にたどり着く。
よくあるのが、死をほのめかす言動をしたり、手首を切ってみたり、心配されようとするいわゆるメンヘラ行動や、虚言や異常行動で人の気を引く通称かまってちゃんの行動をとってしまう。
もちろん立場がある人や有名人などに、「自分に自信がありそうでも、さらに他者からの承認を求めている」人もたくさんいる。
そういう人はキャラクターなのか性格なのかそういう商売なのかはわからないが、心の底では自分を承認しきれていないのかもしれない。
立場がある人間ほど
「今の立場を失うと誰からも相手にされなくなる」「今の立場を失いたくない」といった不安が発生する。私のような凡人では考えられないぐらいのものなのだろう。
先ほども述べたがこのような行動は、自己顕示欲の裏側に「見捨てられたくない」という感情が隠れている。この辺りは専門ではないですし、適当な事を言えないので気になる人は心理療法士や臨床心理士でググってのブログでも見てください。幼少期の過ごし方が大事みたいっすね。
「ぼっち・ざ・ろっく」の主人公ひとりは「自己承認欲求」と「他者承認欲求」のバランスがとれていなそうで実はとれている。自分の臆病さを認め、自信がなくなりそうなときも、他者の承認ではなく自分のやってきたことを糧に勇気を振り絞るシーンがたくさんある。もちろん物語後半では、友人を信頼するシーンもあり、うまくバランスをとっている。
またSNSを始めると「承認欲求モンスター」となり「他者承認欲求」が強く芽生えてしうこと危惧できているあたり彼女はメンヘラとは程遠い存在でありしっかりと自立できている。
「ぼっち・ざ・ろっく」の主人公ひとりは「承認欲求」との向き合い方が絶妙で、とても良い作品だと思います。
えーさらになんと「ぼっち・ざ・ろっく」のアルバム 『結束バンド』が12月28日に発売します。やったぜ。
6.まとめ、感想
まとめると、
「承認欲求」は人間の欲求なので否定することはできない。
だからこそ否定するのではなく向き合うべきである。
「承認欲求」に振り回されることは悪いことではない、それは当たり前のことであり「承認欲求」のおかげであなたも私も日々活動できている。
そして「ぼっち・ざ・ろっく」は面白いということである。
また記事が長くなってしまいました。ごめんなさい。これでも5000字以上削ってます。また削りまくった結果「ぼっち・ざ・ろっく」要素がかなり薄くなってしまい、『これ「ぼっち・ざ・ろっく」要素必要か?』と何度も自問自答したぐらいです。ただ「ぼっち・ざ・ろっく」とタイトルに入れたほうがたくさんの人の目につくだろうという私の「承認欲求」に従いました。しかし結果的に一番伝えたい「自己顕示欲」の部分が短くなってしまいました。正直もっと「自己顕示欲」は掘り下げたかったです。
次回は「人といてもなんだか孤独を感じる」というのにスポットを当てます。今度こそ4000~5000字以内にします。ありがとうございました。
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