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地元を「捨てる」ということ。

僕は現在24歳。大学から社会人1年目までの5年間実家から離れて生活し、現在は紆余曲折あり実家に戻って情報学部系の職業訓練を受けながら暮らしています。(紆余曲折はまた別の機会に笑)

もともと、地元が田舎でずっと都会で暮らしたかった僕にとっては今のこの状況は不本意中の不本意。まさに、「こんなはずじゃなかった。。」という感じ。

しかし、地元を離れる前と地元を離れた後では、地元の良さなどが客観的に見えるようになりました。

まず、家族が側にいるということ。やはり家族が近くにいる安心感は大きいですし、両親や祖父母は僕が帰ってくることを大いに喜んでくれました。

それに、食事・洗濯などの家事は全て母親がやってくれる。このありがたみは少なくとも一人暮らしの経験があるから感じられる喜びだと思います。

他にも空気の良さであったり、食材の美味しさなど。

時の流れがゆっくり過ぎ、心身共に穏やかに生活できています。


でも、、、それでも、、、こんな生活が半年ほど続いた「今」。僕の心の中に生まれたのは「焦り」と「不安」でした。

ほんとにこのままでいいのか・・・・。

地元に帰ってきたばかりの時、僕はふと思いました。

「もうこのままずっと地元で就職してゆったり過ごすのもいいかなぁ。。。」と。

しかし、人間なかなか変わることはできません。やっぱり僕はもう一回地元に出たいんです。ここから離れて暮らしたい。ここにはない、ワクワクする仕事をしたい。沸々とそんな思いが沸き上がってくると同時に、それを拒むような思いも出てきます。

それは、祖父母も含め、家族の存在です。

あんなに喜んでくれた家族を裏切るようなそんな罪悪感も感じてしまい、やっぱり地元がいいなとむりやり納得させようとする自分もいました。

しかし、そんな時、堀江貴文さんの「捨て本」という著書の中にある言葉が僕を救いました。

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「捨てる」ことに寂しさはついて回る。

寂しさを避けるために、捨てる決断をやめて、現状維持を選ぶ人もいるだろう。それは絶対に間違っている。  中略

捨てることに踏ん切りをつけられず、現状にとらわれたまま、新しい世界へ飛び出していくことはできない。

まとわりついたものを切り捨て、堂々と「見送られる側」の人生を行こう。

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「捨てる」というとどこか冷たい印象はありますが、やはり何かを手にするには、何かを手放す、失うことが伴うということを考えて行動することは今後においても大事なことであると痛感した考えでした。

僕はこの考え方を学んで以来、自分の新しい人生へ飛び出すために今地元で頑張っています。

せっかく地元にいるんだから、今のうちに返せる恩はしっかり返す。

そして堂々と自分の人生を生きるために見送ってもらう。

自分の人生をしっかり生きていくことこそが、自分のすべきことであり、最大の恩返しなんじゃないかなって思います。

一番捨てるべきは、今のままではダメだと分かっていながら現状維持を選んでしまう「自分自身」なのかもしれませんね。


SOU


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