oretin

言葉は肉筆ではなくフォントでも、質量をもつのでしょうか。

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言葉は肉筆ではなくフォントでも、質量をもつのでしょうか。

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これはあくまで聞いた話なので今これを書いているわたしとはかけ離れた内容になるから、何の心配も、ここには在りません、ということを明記しておきます。 彼女は以前まで、ちょうど今日まで我慢の足りない女だった。数週間前まで処方された薬を拒んで、自覚が足りないため様々を周囲に押し付けてようやく生活していた。父母の稼いだ金を自分のものだと思い込み、褒められない大学に通わせてもらっているにも関わらずさぼりまくってはさんざんに使いまくっていた。彼女は昨日隣の県にあるテーマパークへ恋人と遊び

    • スマートフォンで文章を作るということをして

      スマートフォンで文章を作るということをして 私は紙とペンが好きだし、昨日の文で、どうしてスマートフォンに限ったかというと、パソコンは同じ「画面」だとしても、そこには違いがあると感じたからです。 ひとつは、パソコンと紙、ペンは、書く人が「書こう」という態度をとらないと書けない(座るとか、姿勢を作らないといけない)のに対し、スマートフォンは寝ながらでも、別の作業をしながらでも文章を作ることができるので。文章を考えるという作業に対して、生活の流れのひとつになってしまうというか、身

      • にゃんか

        改行の多用は、その人を愚かにしてしまうかもしれません。そこに、意味もない意味を含ませてしまうからね。詩は、リズムがありますから、文章も、そうでしょう。彼の身体の内側には悲しみがべったりはりついて、いなくなってくれないんですね。悲しい気持ちになってきます。考えたことが、決められたフォントにおさまっていきますね。苦手だな、やっぱり、文字は、苦手だな、形は、苦手ですね。誰かに言いたくなってしまう、こういう形におさめると。紙とエンピツ、紙とペンは、会話してくれるのにな。ついつい寂しく

        • 記録する

          私がこの場を利用しようと思ったわけは、私が普段ノートに書き散らす文章は、肉感(私の文字の癖や抑揚)を失っても、その質量を残したままでいられるかを知りたかったからです。