スマートフォンで文章を作るということをして

スマートフォンで文章を作るということをして

私は紙とペンが好きだし、昨日の文で、どうしてスマートフォンに限ったかというと、パソコンは同じ「画面」だとしても、そこには違いがあると感じたからです。
ひとつは、パソコンと紙、ペンは、書く人が「書こう」という態度をとらないと書けない(座るとか、姿勢を作らないといけない)のに対し、スマートフォンは寝ながらでも、別の作業をしながらでも文章を作ることができるので。文章を考えるという作業に対して、生活の流れのひとつになってしまうというか、身を入れる(生活と切り離す)瞬間がなく、言葉や感覚に対して1対1の構図をつくりにくいと感じたからです。
ふたつめは、前者二つは全体をフカンして見られるのに対し、後者は画面が小さいせいで、書いているその部分、そのことしか目に入らないように思ったからです。全体のバランスやリズムに一貫性がなく、乱れてしまうような気がします。
みっつめは、書きやすさにあります。これは私はパソコンに慣れていないということもあるので、もしかしたらスマートフォンに限った話ではないかもしれません。すごく簡単に文字入力ができます。考え付いたと同時に文字が現れます。でも私は、浮かんでから文字にするまでに「書く」という時間が必要に思います。文章を考えて、ペンを動かしているうちに、言葉が他の表現を欲することがあります。その時は、言葉が正しいのだと思います。考える→入力がノータイムで行われてしまうと、言葉の意思に気付けず、我の強い(わがままで傲慢、あるいは奢った)文章になってしまうことがあります。言葉は、私の言葉ですが、言葉の言葉で、その言葉はきっと私よりもずっと私の感覚に寄り添ったものなのだと思います。
私は、言葉を扱う上で最も大切なことは、その人に宿る感覚を、そのまま写し出すことだと考えています。だから、今後の私を含めて、言葉でなにかを伝えたい人たちには、書き終えたらすぐに、いつでも、自分が書いた言葉と対話してみてほしいです。そこに嘘がなければ、ひとは、それを評価してくれると思うし、なにより自分自身に実感を持つことができると思います。彼らが自分の強い味方になります。

文章を書くということに対して、今の私が示す態度を残しておきました。言葉は、もちろん考えていることをある意味形式化させてしまうし、人にそのままを伝えるというのは、言葉というものを使用する限りどうしても不可能です。だからこそ、言葉を追究すること、真実に近い表現を求めることを諦めてはならないと思うのです。自分を言葉に託すように。