『フルーツのような野菜』はこの世にいらない

理想ではなかった欧風カレー


『相手に求められているものを提供する』ということは飲食業界にとってとても大事なことだと思います。
先日"欧風ビーフカレーの名店"と書かれた高級めのレトルトカレーをスーパーで見つけ家で食べた際に、パイナップルのような、フルーツのような濃い味がして少々がっかりしました。

『たとえそれが美味しい物』だとしても、求められてないときに提供されると人はがっかりしてしまうもんだなと、改めて気づいてしまった良い例です。
『欧風ビーフカレーってこんなにフルーツの味するもんなの?』と疑問に思い他のブランドを食べてみると、私の理想のビーフカレーの味がしました。

興味がなかった『フルーツ味の野菜』

さて10年ほど前になりますが、まだ私が小中学生だった頃、日本テレビの鉄腕ダッシュが最盛期でした。
そのせいで当時の子供達にとっては、"農業をテレビで見ること"は決して珍しくなかったことだと思います。

そんな中でニュース番組が流れる中でも、農業に関する話題は小中学生の子供にとっても興味がない対象ではなかったかなと思います。
当時は科学技術がとりわけ急成長を迎えていた時代でした。今でこそプレステ4から5の進化は『買い替えなくてもいっか』ぐらいのものですが、1から2、2から3のプレステは絶対に買い替えたいくらい進歩が激しかった時代だったと思います。

それは農業でも同じだったと思います。実際その頃からでしたね『フルーツような甘さのする野菜』が誕生したのは。

『嫌いな人に食べさせる工夫』

トマトという食材はとりわけ嫌いな人が多い食材に感じます。ケチャップという加工食品にすると手のひら返しで大好きな人が多いのに、素材のまんまのトマトでは嫌いな人が多いですね。
そのせいか、最も最初の方に誕生した『フルーツのような野菜』はトマトであったと私は思います。

なぜそのようなものが誕生したのか理由は定かではないですが、『トマト嫌いな人に食べさせる工夫』であったことは最も可能性が高いでしょう。
トマト特有の"みずみずしさ"こそが嫌いなものか、好きなものか、その二者択一を増大させていることと思います。

トマト嫌いのわたし

そんな、"フルーツのような野菜の誕生"を目の当たりにしたトマト嫌いのわたしは、そのニュースに対してこんな感情を抱きました。
『食べるわけ無いだろ』

人間の固定観念というものは一度汚いレッテルを貼るとなかなか変えられるものはありません。
トマト嫌いな人にとっては、『嫌いなトマトが甘くなった』だけの話だなあと小学生ながらに思っていました。

誰から見ても需要のないもの

さて、ではトマト好きな人にとってはどうでしょうか。
フルーツのような味になったトマトは、トマト好きな人にとって美味しいのでしょうか。
私は自分が好きな野菜で考えてみました。

レタス、きゅうり、くらいしか好きな野菜はありませんが、フルーツのような味になったと思うと普通に気持ち悪くなってきますね。
あたかもショートケーキの甘さを『甘ければ良いもの』として、更に砂糖を加えたような概念です。

好きな人にとっても嫌いな人にとっても、『誰から見ても需要のないもの』を作ってしまってるんではないかと大きな疑問を持ちました。

ものにはそれぞれの良さがある

ではなぜ、『フルーツは好きな人が多い』、『野菜は嫌いな人が多い』、『それならばフルーツのような野菜を作ろう』という答えは最適解ではないのでしょうか。

それはひとえに『ものにはそれぞれの良さがあるから』です。

『ハワイ旅行に行きたい』と思う人に『宇宙のほうが素晴らしいから宇宙旅行に行きなよ』と言っても、
『ハワイに行きたい人』は暖かく、温厚な雰囲気を求めているわけです。

例え、宇宙旅行の方が『レベルが高く、魅力的なもの』であってもそれを求めてないときに提案されても到底意味のない魅力になってしまいます。

ラーメン二郎に並んでいる人たちにも、食べた直後に『ラーメン二郎無料でもう1杯食べて良いですよ!』と言ったら敬遠されるはずです。
1杯食べさせるのなら、その人が一番食べたいときに提供するべきです。


そんな『求められていないものを提供すること』という概念から、フルーツのような野菜の不必要さを今回は論じてみました。

今日も皆さん良い一日を。



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