柿への想い①

突然ですが、僕は家業であった柿農家として生きています。

20歳で就農し約9年目です。
若い勢いで就農した僕の農業人生と柿への想いについて
柿たいと思います。
(書きたい)

以前、noteでも書きましたが
子供の頃、僕は自分の家が柿農家だとゆうことを
あまり実感していませんでした。

親父はサラリーマンをしていたし、
じいちゃんはとにかく働き者で、遊んでもらった記憶がないほど。

家の前には柿畑。
その風景は昔からあったので「当たり前」に感じていた。
自分ちの畑とゆう感覚はありませんでした。
その当たり前の風景と共に僕はすくすく育ちました。

高校生の終わり頃、
一回目の自分の人生と向き合うタイミングがきました。

色々考えた末、手に職が欲しかったので
調理の専門学校へ進んだ。

一年だけの短い学校でしたが、調理師免許を取得し卒業した。

しかし、就職先は決まらず、
一度派遣社員として製造業を経験しました。

朝から晩まで同じ作業で気が狂いそうになった。
「仕事」について深く考えた。

その職場にはそこで何年も働きつづけてる人ももちろんいたし
そうゆう人と比べ、僕は社会不適合者だと感じるようになった。
僕には続く気がしなかったし、そこで働く時間は生きてる時間がもったいないと感じてしまった。

とゆう事で長くは続かず、
調理師の資格を活かし、保育園の給食を作る正規職員として就職した。

子供達は可愛いし、田舎のほのぼのした雰囲気の保育園だったが、
給食室は毎日ハードだった。
むしろ僕のスキル不足でそうだったのかもしれない(笑)

時間に追われながら調理し、配膳まで行う。
調理師免許はもっていても技術は全然ない。
下処理の包丁さばきに苦戦し続けた。
そこで時間がおすので、調理もバタバタでなんとか給食を完成させていた。

給食は当時、女性上司1名、パート女性3名、
正規職員の僕でまわしていた。

上司は仕事ができる人で、まかされる仕事が多かったと思う、
なので、僕にも仕事を振ろうと思っていたと思う。
しかし、入社してきた僕は想像以上に使えなかった。

ある日、保育園の系列で本部のある隣の老人ホームに
呼び出された、

「介護してみない?」と言われた。
正直全然その気はなかった。

薄々感じていたが、
会社が求める人材、上司が求める人材は僕ではないと思っていた。
やっぱり社会不適合者だと感じた。

そんな中で遠回しの戦力外通告。

とても悩んだ。

同じ頃、
親父が倒れた。

この時、「うちって柿農家なんだよな」と改めて思った。

自分の仕事もうまくいってないし、
親父も倒れた。

直感的に農家を継ごうと思った。

社会でたいした結果も出さず、家を継ぐ事は
自分の中で甘えだと捉える事もあった。
しかし、ワクワクもしていた。

そんなこんなで退職し
農家になった。

柿に救われた。

社会に出て、向いてる仕事に出会う事ができなかった。
てゆうか高2から19歳頃まで
働いたスーパーのレジが一番向いてたかもしれない(笑)

とにかく、社会人になって自信を失っていた僕を、
柿は、柿畑は心を穏やかにしてくれた。



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