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今年で20歳。どのように生きるか

はじめまして

2004年生まれ 今年で20歳の女子大生、俺のハニーといいます。
よろしくお願いします。

順風満帆な人生だったのに
今ではコンプレックスだらけ

少し前までこんな調子だった私だが(というか今もまだそういう部分もあるが、)最近は将来に希望を持てるようになってきた。
このnoteを書こうと思った理由は、まだうまく言語化できない自分の感情を なんとか自分の言葉で表現して整理していきたいと思ったからである。
自分のために書く自分の物語に、どうかお付き合い願いたい。

生まれてから高校時代まで

早熟

我ながら、なんでも人一倍よくできる子供だったと思う。
なんでも、は言い過ぎであるが、幼少期に必要な能力は概ね揃っていた。
先生の話を集中して聞ける、から始まり、義務教育だけで一応バタフライまで泳げるようになったし(☜もがいているだけですよ)、全校集会の表彰式では大体名前が呼ばれ、勉強ができるといえば私、といった感じだった。
大人からの評価は大抵すこぶる良かった。
そんなわけで、中学時代の内申点は満点。
生徒会長だったし、知らない後輩からインスタで「ずっと憧れてました!」とDMが送られてきたり、など煌びやかな人生であった。

早熟な子どものダメなところ

早熟な子供のダメなところ、それは努力を知らないという事である。
なんでも簡単にできる……のではなく、実際はできることだけやっているに過ぎない。
できないことは、できないと悟ったらすぐにやめてしまう。
損切が早すぎて普通に損になっている。
粘り強さが足りない。
小さい頃はまだいい。ポテンシャルだけで周りから尊敬される。
こういうことを言うのも失礼だが、公立小・中だと努力していなくても安定して上位層にいられてしまったために、「才能がなくて、でもそれが必要なら努力すればいいんじゃないですか?」と、泥臭く努力することを舐めてしまったのだ。
早熟な子供のダメなところは~と記述するのは主語が大きすぎるが、少なくともかつての私は努力の尊さを知らなかった。
ただ、当時持っていたポテンシャルが、その環境で過ごしていくには十分フィットしてしまっていたのだ。

古風な家庭環境

私はかなり古風な家の下に生まれた。
祖母も母も専業主婦だった。
祖父や父は一家の大黒柱。
こういう家の周りには 同じように男性が稼ぎ、女性が家を守るような、古風なタイプの家が暮らしている。
ちなみに地元は九州ではない(この記述は九州差別ではない)
そうなると、それが古風だとはなかなか気づけないものなのだ。
だって、サザエさんにも、ちびまる子ちゃんにも、ドラえもんにも、クレヨンしんちゃんにも、フルタイムで働いているお母さんはいないじゃないか。
それが、日本にとって当たり前の家庭のスタイルだと思っていた。

古風な家庭環境のダメなところ

ズバリ、「女の子はよく稼げる男性と結婚するのが一番幸せになれる」と思ってしまうことだ。
これに関しては、別に間違いではないのかもしれない。
しかしこの発想は、幸せになるための方法を他人に握られており、不健全なのだ。
うちがたまたま家族仲が良く、収入も安定している家庭だったから、あまりにも完璧(のように見えた)このような家族像を模範解答だと信じて疑わなかった。

でも人生、何があるか分からない。
もしかしたら、永遠を誓った相手と離婚するかもしれない。
一家の大黒柱が病に倒れるかもしれない。

……そもそも結婚できなかったら、誰が自分の生活を支えていくんだ?

小さいころからぼんやりと、自分は結婚して出産して専業主婦になるものだと思っていた。
今でも結婚するのは夢だし、子供だって欲しいけど、そういう事って自分一人ではどうにもできない。

そういったことに気付いたのは、大学一年の冬も終わる頃だった。

将来の夢はお嫁さん

地元の公立高校に進学した。
京大・阪大・神大に大勢の生徒が進学していく、そこそこ有名な進学校だ。
憧れの名門校に通えることが嬉しかった。
その高校に合格できるならビリでもいいと思っていたし、多分ビリだったと思う。
私はその高校に通うことが小学生時代からの夢であったが、その高校に通うこと以降の目標など無く、そもそも努力が嫌いなのに高校受験のために一応様々な我慢をしてきたわけなので、高校に受かってからは本当に一切の努力も我慢もしなかった。
15歳の春に「将来の夢」が叶ってしまったがために、もうそこからは“余生”になってしまったのだ。

強いて言えば将来の夢はお嫁さんやな……

なんで専業主婦になりたいのに名門大学に進学する必要があるんや?

部活でヘロヘロになった後に、なんで追い打ちで勉強せなあかんのや?

私は高校時代という、日本人の多くが最も輝く時期を 何の努力もせず、誇れるものなど何もないまま浪費してしまったのである。
そのくせ、周りの優秀な生徒に対しては負い目を感じ、しかし中学時代の同級生をうっすら見下し、高校の名前にはプライドを持ってしまっているという非常にややこしく醜い心境であった。

大学に進学してから

18歳の春、関東の私立女子大に進学した。
関東にしたのは、実家から離れられること、地元の同級生らと会わずに済み、比べられる必要がないことが理由である。逃げだ。
女子大にしたのは、もちろんお嫁さんになりたかったからである。
あまりにも、あまりにも理由が浅すぎるのでほとんどの人には言っていない。
どうしてその大学に進学したの?という質問を平均すると3ヵ月に一回ぐらいの頻度で浴びている。
やめてくれ、そんな、そんな……面接官???
「まあ一人暮らししたかったのと~、うーん、なんでやろなあ笑」
と言って毎回ごまかそうとしているのに、みんな結構逃がしてくれないので、できるだけ早めに別の話題に振り切るようにしている。

女子大に進学して本当に良かった

不純な動機で、いや、こちらからしてみれば夢(笑)に向かっての真面目な進路選択なのだが、学業のために進学した訳ではないこの女子大。
しかし、ここに進学してきて本当に良かったと思っている。
私立女子大なので上品な子が多いのだが、女子しかいないので 基本、力仕事だろうと全て自分たちで行う。
そもそも大学なので、あまり力仕事が必要になることもないのだが、「”女だから”という理由で、出来る仕事を男性陣にやってもらい、その分可愛くありがと♡と言う」みたいなことはなくなった。
学校の校風も、自立した人になりなさい、他者のために行動しなさい といった感じなので、ああその通りだなと、素直に校風に中てられていった。

あとは、普通に実家から離れたおかげで、現代風の家族観を持ち直せた。
実は母に「専業主婦になりたい」と言ったとき、「今どき専業主婦は絶滅危惧種よ」と言われた。反対されたわけではないけれど、現実もちゃんと教えてくれていたのである。
しかし、18年間暮らしてきた環境が珍しいだなんて、そこにいる状態では、私は気付けなかったのだ。
実家を出た理由は、家が嫌なのではなく、自由に遊び惚けたかったからであるが、現代的な価値観にすり合わせられるきっかけになったので本当に良かったと思う。
自由に遊び惚けたいだなんて これまた不純な動機であるが、結局 大学と下宿先との往復が基本で、普通に大真面目に生活しているので呆れないで欲しい。

「どのように生きるか」

人生のレールを降りた?

傍から見れば、「中学で成績優秀だった子が名門高校に入ったのに、よく分からない女子大に進学してもったいない!国公立を目指すんじゃなかったの?私立でも、行くなら関関同立、最低でも近大とか甲南じゃない?」と思われているんだろうな~と思っている。(最低でも、などという記述はあくまで「誰かにそう思われていそう」という私の被害妄想であり、素敵な人が通っているのを知っているので、言い訳にもなりませんが気分を悪くなさらないでください。また、上記以外の進路を辿った人を揶揄する意図はありません。)
そういうのが、その高校を卒業した人が辿るレールになっているのだ。
このレールに乗れる人は、流されて乗っているのではなく、夢に向かって進んだ結果、たまたまみんなと同じ轍だっただけなのだ。意思を持って進んだみんなはすごいよ。努力ができて、それが本人にとっては成功したのか、まだ成功までの道のりの途中なのかは分からないけれど、みんなあまりにも眩しい。

その眩しさで、胸の傷がちょっと沁みる。

自分の将来に対する理解・責任感

私は少々 自分の将来に対する理解や責任感が少なかった。
けれど、大学に進学し、親元を離れ、色々な人と触れ合ううちに、だんだんと冷静になってきて、依存を前提とした将来像を夢にしてはいけないと思うようになった。
自分の足で、立たなければいけない。
自分の足で、進まなければいけない。進みたい。進む。
決意するのが、周りと比べるとかなり遅れたように思う。
将来の夢がないまま進学するには、少々 選択肢が狭まるような大学に進学してしまった、とも感じている。
けれども、今が一番若いのだ。
気付けて良かったじゃないか。
高校時代を腐らせてしまったとも思うが、その人生の負の部分を自分で背負い、自分がなりたい自分になって包み込みたいと思う。

自分がなりたい自分

努力できるようになりたい。
素質のある能力に合わせて自分の人生を選んでいくのも有効だと思うが、私はもうそれで食べていけるほどの何かは持っていない。
天才と言われる人でさえ努力しているのだから、当たり前の話だ笑
ただ、小さいころから”向き・不向き”で選択し続け、誰かに負けていると感じたらやめてしまうような人生を歩んできたので、もう、それをまずやめたいのだ。
やると決めたら、できるまでやる。
できないんじゃなくて、まだできていないだけ。

才能は開花させるもの センスは磨くもの

ハイキュー!! 及川徹

これは私が好きな漫画に出てくる、ライバルチームのキャプテンの名言だ。このセリフが大好きだ。
こういう生き方がしたい。
座右の銘にしても恥ずかしくないような、このセリフの似合う人になりたい。

おわりに

長い長い自分語りを ここまで読んでくれて本当にありがとう。
自虐しているようで、じんわりと自慢もしている気持ち悪い文章である上に、かなり抽象的な内容になってしまった。
今では具体的な将来について考えているが、それも書き始めると なかなか公開できるまでに時間がかかってしまいそうなので、別のnoteに書いていきたい。
私は頑張っているときが一番輝いていると思うな~(まああんまり頑張ったことないけどね。これからこれから笑)
ただ、外柔内剛をモットーに、他者に威圧感を与えるような頑張り方は避けたい笑
私は頑張りますよーーー!!!

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