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儲かる農業を実現!会社設立3年で売上1億2千万円を達成した若手農家

今回取材をさせていただいたのは、徳島県阿波市を拠点に青ネギを栽培している「アイ・エス・フーズ徳島」の代表取締役 酒井貴弘さん。アイ・エス・フーズ徳島で働く方の平均年齢はなんと35歳。近年日本農業界では、高齢化が進んでいますが、ここでは酒井さんをはじめ従業員の方に活気があり、今勢いのある会社です。今回は若くして会社を設立し、わずか3年で売上目標を達成した秘訣、また今後のビジョン等についてお話をお聞きしました。

【プロフィール】
酒井 貴|アイ・エス・フーズ徳島 代表取締役
土壌医検定3級(土づくりアドバイザー)
兵庫県淡路島出身。現在は徳島県阿波市を中心に農業を営む。


農業はなりたくない職業No.1

「小さい頃から『農業は儲からない』と祖母が言っているのを聞いて育ったので、農業で儲かるなんて1ミリも思っていませんでした。当時、実家は淡路島で兼業農家として、お米や玉ねぎを栽培していたんです。休みもなく働いていたので、家族で一緒に過ごした思い出なんてほとんどありません。なので、悪いイメージが定着した農業が大嫌いだったし、就農する前はなりたくない職業No.1でした(笑)」

そんな思いを持ち育った酒井さんは、20歳の時ある出来事がきっかけで就農することになります。

「高校1年生の時、父がそれまで行っていた製造業を撤退し、新規事業を模索していました。そして父は知人から淡路島のネギ栽培を教わり、新規事業として青ネギ栽培を開始。当時、ちょうどネギは不作が続いていて需要があったんです。栽培開始後もネギの市場規模はみるみるうちに急成長し、青ネギ栽培を開始した3年後には法人化しました。
余談ですが、市場規模が大きくなった背景には、西日本に本社を構える某うどんチェーン店を運営する会社の影響が大きいと言われています。もともと青ネギは西日本でのみ食べられていて、東日本では青ネギを食べる文化がありませんでした。しかし、某うどんチェーン店の関東進出により、青ネギを食べる文化が徐々に日本全国へ広がっていき、青ネギ市場の拡大へとつながりました。そうして、父の会社は軌道に乗り、ある時決算書を見せてもらったんです。その決算書を見て、農業でこれだけ稼げるのかという驚きを抱くとともに、農業も儲かる可能性がある、と確信を持ちました。」

父親の会社が法人化したことをきっかけに、酒井さんも就農することに。
当時酒井さんが20歳の時でした。

23歳で徳島に独立

その後、父親の会社が法人化して3期目、淡路島でこれ以上農地を拡張することが難しくなったことをきっかけに、酒井さんは父親から離れて独立することを決意し、徳島県に拠点を移します。

「就農して3年目の時、徳島県の契約農家さんから徳島は土地が余っていることを聞いたんです。淡路島の父の会社で働いていた当時、一箇所に固まって栽培することのリスクや、父親との意見の相違、今の自分の力を試したい、という気持ちが高まっていたので、思い切って徳島に移住することを決断しました。」

23歳で独立、移住という道を選んだ酒井さん。
しかし、新規就農者や移住者がよく直面する、ある課題にぶち当たります。「徳島に移った時は23歳だったので、年齢の若さと知らない人に貸したくないという理由から、なかなか農地を貸してくれる人は見つかりませんでした。結局、農地を借りるまでかなりの時間を要しましたが、あるメーカーさんの紹介で耕作放棄地2反を借りることができて、そこからやっとスタートとなりました。」

無事に農地を借りることができたものの、更なる試練が酒井さんを襲います。
「移住した1年目は夏に台風が3回来ました。冬も大寒波で雪が積もったり、近くの川が氾濫し浸水でネギが全滅したり。想定していなかった出来事が次々と起こって大変でしたが、1年目で経験できて良かった、と捉えて乗り越えることができましたね。」

法人設立から3年で売上1億円、その秘訣とは・・・?

それから1年で法人化した酒井さんの当時の目標は、売上1億円。
そんな大きな目標を酒井さんは、わずか3年で達成します。

「移住してすぐの頃も、正直な話、青ネギ市場は伸びていたので、作れば売れることは分かっていました。しかし、人材と農地を確保するためには、信頼関係が重要。地域の方に信頼していただくために、地域の溝掃除やイベントごとには必ず参加するなど、日頃からコミュニケーションをとることを心がけました。あとは、農地を綺麗に管理することも意識しましたね。移住した当初は、とにかくがむしゃらに働いていて、夜10時~12時ごろまで畑で作業したり、トラクターに乗ったりすることも日常茶飯事でした。すると、地域の人が働いている姿を日々見てくれていて、自然と認めてくれるようになったんです。」

「また売上を拡大するためには人員も必須。一緒に働いてくれる人材を確保する上で、重要視したのは雇用条件。初任給は20万円で土日休みにしています。ネギは貯蔵できるという利点を生かし、月~金に出荷準備を済ませ、土日に運送会社に発送してもらう仕組みです。一般企業からすると、この条件も好待遇と呼べるほどではないかもしれませんが、徳島県で、農業で、と考えると良い条件だと思うんです。その結果、自然と人が集まってくるようになりました。こうして、人材も農地も順調に確保することができたこともあり、法人設立から3年で売上1億円を達成することができました。」

設立当初は、酒井さんのほかには従業員1名、外国人実習生3名の計5名でスタートした会社も、今では40名以上の従業員を抱えるまでに成長しました。今でこそ若手経営者として様々な実績をあげられていますが、3年目以降は経営に苦しんだそうです。

「3年目までは私が先頭に立ってプレイヤーとして働けば、売上1億を達成できると確信してました。しかし、経営スキルを全く身に着けていなかったので、3年目以降はかなり苦しみましたね。その頃の社員は全員自分よりも年上で、社員の不平不満を受け入れすぎていました。結果として、会社に不利益な状態を作ることとなり、大きな赤字を出してしまいました。
そうした失敗の中で、今後売上を伸ばしていくためには、自分自身が経営者として組織運営をする必要があると思い、現場からは離れ、一から経営スキルを身に着けることにしました。本やセミナー等で学び、とにかくPDCAサイクルを回すことを意識した結果、やっと経営を安定させることができました。」

経営を安定させるための工夫は組織運営だけではありません。青ネギ栽培においても戦略的な狙いがあると酒井さんは言います。

「うちの販売先は9割がメーカーです。メーカーに卸す狙いは、価格と数量の安定化のためで、資金の流れが見えやすいから。自社(グループ全体)のネギ取扱量は日本一の数を誇っており、年間2400トンにのぼります。うちは他産地よりも高品質で、時期的に品薄になる時も安定的に供給できることが最大の強みです。契約産地が各地にあるので、リレー栽培ができ、技術者のレベルも高いものを維持。万が一、どこかで栽培に関する被害があっても、安定した供給ができるようにリスクを分散しています。」

最終目標は売上100億円

最後は酒井さんに今後の目標をお聞きしました。

「今年5月末で法人化から6年目を迎えます、現在のグループ全体売上は8億。今後の目標は『上場すること』『売上100億を達成すること』です。産業として力を上げていくためには、個人では叩かれないくらいの権限とポジションを持つことが必要だと思っています。また設備を整えていく上でも、資金調達が課題となっていくため、上場することは必須かな、と。直近では新たな取り組みとして、今年から大分県で2haのハウス栽培に挑戦しています。取り組みのきっかけは大分県が企業誘致に力を入れていたことと、ネギ100億プロジェクトを実施中で、お声がけいただいたこと。当社も通年安定して供給はできるものの、やはり夏場の栽培が課題だったので、大分県の標高1000mという立地でハウス栽培でき、3分の2も補助金が出る点を魅力に感じ、今回の挑戦に至りました。また、露地栽培では外部環境に左右されるので生産量にムラがでますが、ハウス栽培はより安定的に栽培しやすくなるという利点もあるため。今後は良質な品質で安定的に供給するためにも、全国にハウス栽培の拠点を作っていきたいですね。」

就農する前までは農業が大嫌いで、絶対に農業なんかやりたくないと思っていた酒井さんですが、今ではネギを発展させていくリーディングカンパニーとして日本農業を明るく照らす存在です。酒井さん率いるI.S.Foods徳島の挑戦、躍進がこれからも楽しみですね。