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魔女の原罪を読んで(道徳の勉強に)

この本は、

”法律違反以外は自由”という校則の高校。特定の人物に対する無視は、”話をしないという個人の自由選択の範囲内”であり、法律違反ではないため、校則違反ではない。そのため、全生徒が特定の人物を無視している事実を学校側が認識しても、何も対応しない。そんな学校で、校長先生が盗難事件があったと発表する。盗難事件を起こした生徒に対して、全校生徒が、”話をしない”という選択を実行する。主人公の青年は、そんな学校に違和感を抱き、その生徒を助けるべく、盗難事件の全容把握に努め、無視が法律違反にならないか思考する。そして、この事件が一段落した矢先、家族が関わる新たな事件が発生する。主人公の青年は、新たな事件の解明に向け、学校の秘密、まちの秘密、そして自分の出生と家族の秘密を知って・・・

という物語です。

良本である。すばらしさを説明したいが、ネタバレせずに説明できる文章力・語彙力を僕は持っていない。とりあえず、読んで欲しい。

魔女の子どもが魔女になるのは”必然”か”偶然”か、
 「魔女の子どもと周囲から見られるから魔女になるのか」
 「自分は魔女の子どもと認識するから魔女になるのか」
 「本人の認識に関係なく、魔女の子どもだから魔女になるのか」
 「魔女の子どもが魔女なのは、希少な現象で、本当は珍しいことか」

道徳の授業かマイケル・サンデルの白熱教室みたいな講義でテーマにして欲しいと思った。人を形成するのは”遺伝”か”環境”か”その両方か”

その確率が高いが低いか知らないが、スポーツ選手の子どもがスポーツ選手になれば、「やっぱり」と思ってしまう。それが特異なことであっても、納得しやすい現象をもとに、決めつけてしまっている。そんな感覚が嫌いである。自分の中にある先入観や偏見を再認識し、わかりやすい事例に流されやすいことに気づきました。

蛙の子は蛙と断定してはいけない。これは結果論である。蛙の子が蛙であることもあるだろうが、それ以上に、蛙の子が蛙でないこともよくあるだろう。また、蛙であっても違う蛙である。

良本です。道徳の授業におすすめ。

タイトル:魔女の原罪 作者:五十嵐律人 出版社:文藝春秋 9/20 読了