何をしたら誰にウケるだろうか?よりも、私のコレは誰にウケるだろうか?を考える。
順序が逆なのかな?とふと思いました。
「若者にも風呂敷を使ってもらいたいから、SNSでアピール!」
じゃなくてね。
「ウチで作っているこの風呂敷、誰が一番喜んでくれるだろうか。誰なら有効に使ってくれるだろうか?」
じゃないの?っていう話。
儲かりそうだからやる仕事は儲からないとか、ウケそうだからやる仕事はウケないとか。そういうことなのかなぁ、って。
まず特定の相手を想定してそこから始まる仕事もあると思うんだけどね。グラフィックデザインとかそうだもんね。そういうのはちょっと別としてね。
まずスタートは自分だったり自社だったりなんだろうなと。
若い女性にウケたい!若い女性に買ってもらいたい!っていうのは傲慢なのかなと。
私ならこの人を助けられる!うちの製品ならこの人達のしごとを楽にできる!だからその人達に売り込みに行こう。
コレが正しいマーケティングなのかなと。
なので「あぁこういう人生憧れるなぁ」とか「こういう世界に入りたいなぁ」は上手くいかないんだろうな、と。
憧れは理解から最も遠い感情だよ、っていうのは漫画のセリフだけど鋭いなって思います。
僕が、憧れ、という感情がよくわからない、好きじゃない理由はコレだったんだ!って気付いたセリフでもあります。
まぁそれはさておき。
結局コレも、与えよさすれば与えられん、なのかなとも思います。
ただそれには承認のバケツもセットで語らないとダメなんですよね。みんなそこはスルーしてしまうのですが。
承認のバケツは溢れて初めて他者に与えることが出来る。溢れて初めてその人は変わる。
自分の人生や、たくさんの人間を見てきて思うのですが、各家庭レベルですでにバケツを溢れさせることが出来ている家庭もあれば、学校や部活など環境によって溢れた人もいれば、いい歳してもスッカラカンな人もいるわけで。
でもそれは本人の責任ではないんですよね。
それをすっ飛ばして「与えろ!与えろ!」と言うから反発されてしまうのであって。
って、また話がそれてしまったw
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