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私を見つける③ 【真の感情に出会う】

「うちはうち、よそとは違うんだ!」

父はいつもテーブルを叩いてこう言っていました。

東京の下町で長女として生まれた私、父は厳しく絶対的存在でした。父が「カラスは白」と言おうものなら暗黙の了解で「カラスは白」と言うくらい、母にとっても妹にとっても絶対的存在でした。

箸はキチンと、お茶碗は持って、食事は残さない。味噌汁を持つ手は絶対にこぼさないようにと緊張しながら食事をしていた記憶があります。

別に育ちがいいわけでも何でもなく、下町の紙加工業の普通の家庭でしたが、頑固な祖父譲りか、自分がこうだ!と思ったら人の考えや価値観を受け入れる余地はない父でした。

ほとんどが叱られた記憶だし、叩かれたことも数知れず。しかしそれだけ抑えられて育っても、私や妹が道を外れなかったのは根底にある父の愛情と、人にも厳しいけれどそれ以上に自分にも厳しく、言っていることとやっていることの一貫性があったことを子供心に感じていたのかもしれません。

そんな私は幼少期からいつも「キチンとしているね」「しっかりしているね」と言われていたので、それを絶対的な褒め言葉だと思っていまいた。

人には迷惑をかけないように、自分がしっかりしなくては、自分が我慢すれば大丈夫。学校でも昔で言ういわゆる優等生タイプで、分数の線を定規で引いているような生真面目な子でした。

そんなガチガチのねばべき価値観だった私が子育てを始めると“楽しさ”よりいつも“正しさ”を求めていました。

そして次男が生まれてからは、長男の子育てがすごく難しくなってしまった。細い糸が複雑に絡み合い、気がついたら自分では解けなくなってしまった。

そんな硬い頭で絡まった糸を解こうと試行錯誤している最中、1歳の次男が突如として難病を発症しました。初めて聞く病名、治療法、今後のことなど先が見えないことばかりで不安がつのり、ネットで情報を入れては涙していました。

免疫抑制剤を使用する治療で感染症が心配なので完全看護の個室入院。数ヶ月と長引くにつれて次男の表情も言葉も全くなくなり、うつのような状態になり、面会時間中はひたすら抱っこでおっぱいをくわえているだけで、泣きも笑いもせず、両手は固定されたまま、薬だと言われれば口を開け、点滴だと言われれば腕を出し、人形のようになってしまった次男。薬の副作用で食欲が増し、配膳ワゴンの音がしたときだけは目の色が変わり、食事を食べ終わると寂しそうにうつむくだけ。

そんな入院生活の間、小児病棟には入れない長男は弟にも会うことができませんでした。幼稚園から帰ったら今日はこっち、明日はあっちと都合のつくお友達宅へ預けられる毎日。

それまで私は誰かにお迎えをお願いしたこともなかったし、全て自分でやったほうが気が楽だと思っていたところもあり、人に甘えること自体が苦手でした。

しかし、夫が単身赴任という中で長男の幼稚園生活と毎日の病院通いを続けるにはみんなに甘えて頼らなくてはどうにもならない状況になり、少しずつお願いもできるようにはなりましたが、早朝4時前に起きて長男のお弁当と預け先のお友達へのお礼の焼き菓子を焼いたり、お惣菜やお弁当を買うことを自分に許せなかったので夕飯作りまで、睡眠時間を削っても手放せずにやっていました。

そんな状況でも、洗濯物はたたんでいたし、掃除機もかけて部屋は必死で整えていました。今思うと、“部屋も食事もキチンとしている自分”でいることでしか、自分を認めてあげられなかったのだと思います。


次男の病気は、退院して薬を減らしていくとまた再発を繰り返しました。頻回再発性タイプで4回目の入院で抗がん剤治療をしました。幸い、その治療が合ったようで経過観察をしながら落ち着いていきました。

ようやくホッと一息と思った矢先に、小学校1年生になっていた長男が突如として大荒れ。テレビドラマで観たことのある家庭内暴力さながらに暴れたり、モノを投げたりする長男。

まだ1年生だったので、私のほうが力は勝っていましたが、やはり男子、片手間で止められるような力ではもうなくて、長男に馬乗りになり暴れる腕や足を抑えて格闘し、お互いにヘトヘトに体力を消耗して泣きながら眠っていたこともありました。

寝静まった後の穏やかな息子の顔を見ながら、また朝が来て一日が始まるのが怖い日もありました。

そんな暗い暗いトンネルの中で出口を必死に探しているときに出会い、光が見えた気がした「抱っこ法」というメソッド。


“怒りは無知。周囲からは誤解され、自らも卑下してやまない、いじらしいほど無知な感情。怒りを上手に解き放ち、解きほぐしていくことで、真の感情に出会うことができる。”


寂しさだったり、悲しさだったり、悔しさだったりの第一感情を素直に表すことが難しい長男は、全てを第二感情の怒りに変換してしまう。

弟が生まれたことでのお母さんを取られたような寂しさ、弟の入院により自分も我慢した辛さ、自分の気持ちを素直に出せない苦しさ。そんなせき止められていた感情が長男の中で満タンになり、ダムが決壊するかのように溢れ出したのでした。

そんな心のカラクリを理解しただけで、本当に気持ちが楽になりました。
そこから親子でセッションを受けることで少しずつ体質改善してきました。

怒りの裏には必ず悲しみ、苦しみ、寂しさがあります。その真の気持ちを率直に表現でき、受け止めてもらえたときに、怒りは自然に解けていくのです。泣くことで涙と一緒に怒りが解けていく感覚、体がゆるむ感覚。

もちろん一気には変わりません。劇的変化ではなく漢方薬のようにジワジワと。

子育ても暮らしも日々移りゆくもの。当時の大変さも苦しさも、今にして思うと、私に人生の意味を教えてくれて、たくさんの気づきを与えてくれた賜物。

まっすぐな縦糸のような人生ではなく、悩みながら回り道することも多い私は横糸のような人生なのかもしれない。でも自分の求めている正しい道に通じているはずと思うと、進めます。


与えられた回答の中から正解を求めるのではなく、選んだ答えを自分の正解にしていく強さを持つ。試行錯誤しながらも、自分の求めている道を歩いていける女性でありたい。

ないものねだりとはもうさよなら。誰かと比べる自分から、自分を更新していく私になる。完璧なんかではないけれど、こんな想いでママたちの伴走者でありたいと思っています。

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