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キイチが永眠してのペットロス体験をメモ代わりに投稿します。
まだ完全に克服したかはわかりませんが、noteに投稿しようという気になったのはたしかです。

この記事も更新タイプにしようと思います。いまのところ一年後の心の変化までは記録したいなと思っているけれど、更新していなかったら癒されているかもしれません。つぶやきなどのお知らせする予定はないのでフリーな時、必要な時、"その時"にご覧ください。

書こうか書くまいか、何度か逡巡して、
やはり書いておこうとキーボードに向かう。

元の飼い主さんは、12匹くらいを看取ってきた経験から、1ヶ月くらいはへんな感じが続くと言っていた。今読んでいただいている方も経験されている方もいるとは思いますが、それぞれ十人十色の経験と感じ方だと思うので「きみはそう感じたのね」くらいに読んでいただければと思います。

経験ないかたは、書いてゆく中で、ペットロスへの向きあい方が
何かヒントになるかもしれません。

僕にとってキイチは息子のような存在でした。
いや、出会った時からキイチのほうが先に逝くというのは考えていたことだから、ずっと心づもりをしていたつもりですが、なかなかそう割り切りは出来ないもので、感覚と理性の違いをまざまざと体験しているのでしょうね。

じーさんばーさん、友人の死とは違って、自分がせっせとお世話してきた命が無くなってしまうのはこんなにも辛いのかということ、本当に人間の子供だったらと考えると想像だに絶する。ニュースなどで子供を亡くしたというのを見ると、とても心が痛みます。

痛みますなんて言葉で片付けられないほどで、なんて言っていいのかわからない思いがします。

とりあえず本題を続けます。

最後のコーナー「虹の橋🌈の向こう側」では、noteでつながっていただいた方の愛しい動物たちのために記事をリンクしようと思っています。リンクしてよい方は、コメント欄にてお知らせください。形式はフリーです。

◆永眠の翌日・埋葬の日

埋葬の日は、早く休ませてあげたいという気持ちから午前中に色々とすませた。肺炎とてんかんのような発作ということではあったけれど、肺炎の直接の原因になったかなと勝手に考えている市販の固まる猫砂を片付けた。

キイチの物は、形見で残すもの捨てるものと分けて整理した。

友人にLINEで伝えたところ、追悼でツイッターに画像をあげていた人がいると聞いて真似をして開始する。

(その友人からは「いっぱい泣くといいよ」との言葉をもらった。

毎朝、楽しかった思い出を写真とともにツイートする。
同時に友人限定にてfacebookに投稿する。

facebookのほうが文字数多く書けるので、少し具体的に書けた。

・・・

あまり食欲がない。


◆二日目

事務所に行ってもキイチは居ないんだなと思いつつ、用事はあるので行く。

事務所の戸を開けて、いつもは「キイチ来たよ~」と声をかける。
するとキイチが「待っていたよ」というように伸びをしながらいつもの場所から降りてきて僕の足元まで近寄る。

・・・

その何もかもが無い。

「キイチ来たよ~・・・といっても、もうキイチいないね、、、」

「もう苦しくないね。安らかに眠ってね。。。」

と言いつつ、用事を済ます。

いつも声に出してキイチに言っていたので、習慣として残っているのを感じる。キイチはもういないんだなと実感する。

いや、実感というより、感覚がないのか。

何でいないんだよと思う。

こまかな描写は漫画でやろうかと思います。


◆一週間のあいだ

事務所に行きたくなくなっていることに気づく。
ペットロスを具体的に認識。

いつも定時に事務所を開けていたのに行きたくない。
キイチが死んでしまった時のことを想像して夜中に起きる。

どれだけ苦しかったのか、知らない病院という場所で、怖くてストレスでショック死してしまったのかと悔やむ。

腕立て伏せや腹筋をして、身体を動かして水を飲んで、
一休みしてからまた寝る。

ネットでペットロスのことを調べて虹の橋を知る。


ネットで「猫 ショック死」などと検索すると、いっぱい記事が出てくる。

自分だけじゃないのだと思う。

・・・

車の運転で、ラジオを付けるようになった。

今までもたまにつけていたけれど、
かならずつけるように。
何か気を紛らわすことがあるといいかなと。


夜の蜘蛛は縁起が悪く、朝の蜘蛛は縁起が良いとか、昔から聞いていたけれど、蜘蛛はすべて逃がしてあげるようになった。


◆2週間経過して

ペットロスが強くなっている。

何か楽しいことをしようと思い、昔読んだ漫画
「ダイの大冒険」を全巻読み返したのもこのころ。

同時に、キイチの死を呪いにしてはいけないと考えて、ペットロスの対処について調べる。

下に羅列した本を買って読む。

20201010_ペットロス00

アニマルコミュニケーションについて知る。
動物と話せたり、死んでしまった子たちとも話せるということで…

アメブロを読んで、キイチがどう思っていたか、聞きたくて悩む。

相談は今のところしていません。2020年10月10日現在


ぜんぜん、事務所に行きたくない。

このころ、noteに下の記事を投稿。


食事はとらないといけないだろうと、少しでも食べるようにしている。

好きなもの、美味しいものを意図的に。


キイチの元の飼い主さんが「子猫いるけど面倒みる?」と聞いてきた。

そんな気にならないのと、親の面倒を見なくてはいけないのとで断った。

子猫を育てる環境も無いし、大切な命を預かる自信がなくなっているのかもしれないと思った。


ネットで子猫の育て方を調べたり、動画サイト(Youtube)で子猫を見たりした。



◆3週間経過

6月30日、「猫のキイチの物語」の素案をテキストにてnoteに下書きして保存。生まれてから死ぬまで。
これは未公開。のちの漫画を描く元になります。

悲しすぎて、下の記事の有料部分の漫画を描く。


うえの記事のなかでペットロス時にネットで調べたこと、本を読んで学んだことをまとめていましたので、下記に同じように書いておきます。

・旅立つ瞬間は既に痛みはない事。
・動物は、飼い主に人生の使命を気づかせ、その役目が終わるころに旅立つという事。
・飼い主が動物(猫)のために行ったことは、すべて正解だということ。
・後悔したことは、次の動物(猫)にしてあげてほしいということ。


このころから食事は普通に取れるようになったか、、。


◆1ヶ月経過

まだまだ、ぜんぜん、変な感じは続いている。

何でキイチはいないのか、、
キイチ看取れなくてごめんね、、
あの時こうしていれば、、、
キイチ、いっぱい幸せを有難う。

この繰り返し。

キイチはもういないのに、事務所の近くで30センチくらいの影が揺れているのを見て「キイチかな?」と思う。

悲しくてしょうがないので、楽しかった思い出をマンガにして描き始める。noteにも投稿していたのでリンクしておきます。

線がめちゃめちゃ荒れている。



◆2ヶ月経過

2か月経過少し前に追悼49日がおわる。
下の記事を書く。

追悼が終わったと同時に気が抜ける。
明日からこの仕事(思い出の写真を選んでコメントして投稿する作業)も無いなとおもう。

何かのことをして気を紛らすというのは、
とても大切なんだろうと思います。

また、「悲しい」という気持ちを表すことも、
とても大切なんだろうと思います。

この記事にdot.さまがコメント書いてくれたのがきっかけで、その後noteにいろいろと描くようになりました。

20200731_dotさまコメント

↑ほんとに、これだけだったんです。
でも、それだけで良かった。

少しだけでも「反応・共感してくれる人がいた」
という事実がうれしかった。


facebookの友人がアベンジャーズシリーズの時系列リストをあげていた。

アベンジャーズシリーズをアマプラでいっきにみる。

キャプテン・マーベルの強さに愕然。


◆3ヶ月経過

3ヵ月くらいたった9月。悲しみは少なくなりました。

でも、あの時こうしておけば良かった、という後悔と悔しさは消えずに、ぼんやりと残っている。

たまに悔しいという気持ちは強くでる。

毎日やってくる「その子」にブラシをやると、
キイチのことを思って悲しくなる。

ネットで
猫と触れ合える旅館「新玉(あらたま)旅館」の保護猫たちの命を守りたい
のクラウドファンディングに支援する。

(キイチのエサ代のかわり、キイチの入院代の代わり、キイチの〇〇のかわり…何かしてあげたくて支援をしました。)

2カ月~3ヵ月経過あたりでnoteでの皆様との交流が多くなり、いろいろな猫作品に触れ、また自分でも公開して、充実した日々を送れたのは、とてもとても幸せなことなのだろうと思います。

noteで「しっぽのしらべ」さまを知って、皆様が支援(サポート)しているのを知り、少しですがサポートをしたり…。なにかしてあげないと、と思う。


◆4ヶ月経過

やっとペットロスのことを
noteに投稿しようという気になる。(←この記事を投稿した時期)

毎日やってくる「その子」にブラシをあげると
キイチも嬉しかったんだろうなと思う。

画像210月4日・「その子」の写真

キイチの物は、形見で残すものと捨てるものと分けて整理したんだけれど、結局いまだに捨てられない。

廊下の向こうに、小さな影がゆらっと動く。

「あ、猫かな?」と思う。


◆5ヶ月経過

少し前にペットロスの記事を投稿した。(この記事)
読んでいただいた方で、何年も前にペットをなくした方の話を聞く。

いまだに悲しいらしい。

動画サイト(Youtube)で、気になっていた子猫の動画を見ていたが、その子猫が永眠したということを知った。

数カ月の命、キイチが死んでしまった時のことを思い出して体と心に衝撃を受けた。たった数ヶ月の命か…

悲しみは収まることはあっても、完全に悲しみが無くなることはないのかもしれないと思った。



キイチ写真の卓上カレンダーというのを作った。
ちょうど五カ月経過した11月8日にnoteの記事にした。

ひとりでもご購入者がいればよいと思ったけれど、購入してくれた人がいた。とてもとても嬉しい。

キイチのことを知ってもらった人が少しだけ増えた。



あるとき、用事で車の運転をしていた。

つけていたラジオが少しうるさく感じたので、消してみた。

静寂が流れて、

「これでもいいかな」

と思った。

夕方の休憩時に、テレビも見ず、ネットも開かず、ラジオも聞かず、
静かな時間を過ごした。



キイチの漫画を描いていて、その第一部をまとめたものを投稿しました。

キイチとの幸せな時間を思い出して、亡くなったしまったのは一瞬だったけれど「幸せな日々のほうが長かった。」という事に気づいた。


◆6ヶ月経過

キイチが永眠して半年が過ぎます。

ペットロスの緩和について、何かの気づきになるのではと思って、「僕は今、宝物を作っているのかもしれない。」として記事を書いてみました。

その命と過ごした「幸せな日々のほうが長かった。」。

いま、そばにいる大切な命との時間を大事に過ごしてほしいとの意味を込めて、自分への言葉とともに、ご訪問いただいたすべての人に対してのメッセージのつもりで記事を書いた。

大切な命を亡くしてしまったかたは、どうかその
「幸せだったんだ」
「幸せな日々をすごしていたんだ」
「少しでも幸せを与え続けていた時期があったんだ」
という事を、胸に抱いてお過ごしください。

こうやって公開しなくとも、紙のノートにひっそりと文を書いたり、写真をスクラップブックにまとめたりという事も、とても大切なことかと思います。

どうか、ご自身の大切な日々をお過ごしください。

話を聞いてもらえる誰かがいるなら、その人にひっそりと話すのもよいかもしれませんね。


◆7か月経過

2021年の年初めに不思議な体験をしたので記事にした。

夢か空耳か、わからないけれど、寝ているときに耳元で「にゃん」という鳴き声が。

直感的に「キイチの声だ」と思った。

キイチが心配して年の初めに挨拶にきてくれたのか、自分の脳の仕業でストレス軽減をはかったのか、実際のところは定かではないけれど、なんとなく安心をしました。

2020年の最後に、猫の保護団体へ寄付をした。
キイチの入院費用として用意した金額の余剰金。

このことで、キイチに物理的にしてあげられることは「もうこれで仕舞いになった」と感じているかもしれません。

あとは漫画をコツコツと描いていこうかな。

キイチには感謝しかありません。


◆8か月が過ぎて

たまに思う。

「もっとキイチと一緒に居たかったな」

「でも、キイチはもう苦しくない世界にいるから、良かったのかな。」

と。



◆虹の橋🌈の向こう側

noteでつながっていただいた方限定。
虹の橋をこえていってしまった、
愛しい命の思い出をリンクをしておきます。

🌈パピコクレさま

10月11日、この記事を投稿した本日がnoteでつながっていただいたパピコクレさまの愛猫はなちゃんの命日だそう。下記のリンクははなちゃんの絵だそうです。

img_パピコクレさま_はなちゃんicon


はなみずき(鼻水)がとまりません。
とまりますように。※詳しくはコメント参照ください。


スキ・コメント・サポート有難うございました。 ▼キイチ漫画・第一部(プロトタイプ)まとめました。  ご興味などございましたらご覧ください。「あとがき」のみ有料です。 https://note.com/ordinary_life/n/nbf2ac79c49ec