ビール以外にも沢山ありました、チェコの魅力。
2023/11/06 チェコ共和国 プラハ 🇨🇿
チェックアウトを済ませ、荷物はフロント裏で預かってもらった。午前9時半には準備完了。プラハ城を目指す。
朝の街は既に沢山の人が行き交っており、プラハは主要都市なのだなと実感する。建物も昨日に引き続き中世の趣を漂わせている綺麗な街並み。
プラハ城は小高い丘の上に築かれたお城なので、向かう途中の道からもその姿を見ることが出来た。きっとこの美しい景色は建設当初から変わらない眺めなのだろうと思った。11月初め、道の紅葉も美しい。
そしてその当時から変わらない街並み。建物の下が道路になっており、アーチ型にくり抜かれた様な建物の下を路面電車や現代の車が行き来する景色は日本ではなかなか見ることが出来ない景色だと思った。
お城に向かう為にヴルタヴァ川に架かるカレル橋を通る。こちらの橋はプラハ最古の石橋らしく、1402年の完成以降約600年もの間変わらぬ姿を留めているという。洪水も何度も経験しているらしく、余程頑丈なのだろうとその卓越した建設技術を目の当たりにした。また、橋にはおよそ30体の聖人像がある中で、特に有名な聖ヤン・ネポムツキー像はその台座に触れると幸運が訪れるというジンクス付きである。
まだ朝の早い時間帯ということもあり、観光客はまばらで橋をゆったりと堪能することが出来た。
橋の周りには沢山のお店がある。渡った先で昨夜から気になっていたパンの中にアイスクリームが入ったデザートを食べることにした。
パンを焼いている所を間近で見れたり、トッピングのバラエティが豊富でわくわくした。こういう時苺があるとその他の選択肢に行けないたちなもので、私はやはり苺をチョイスした。
食べながらお城を目指すことにする。歩いていると絶対に何か有名なもの、そうでなくても美しいものがと目処なく目に飛び込んできた。プラハの街並みの綺麗さはヨーロッパの中でも上位に入るのではないかと改めて思う。
いよいよ階段を登ることに。先程購入したデザートを頬張りながら歩いていると、降って来た現地のおじいちゃんがそのデザート美味しいよね!と声をかけてくれた。あと、チェコは美味しいデザートが沢山あると自慢げに教えてくれた。ほのぼのとした出会いである。
階段を登り切る頃には既にデザートを食べきっていたのだが、チョコレートソースにより手がベタベタ。水道かお手拭きが欲しいものだと思ったが、美味しかったのでよしとする。
また、振り返るとそこには絶景が広がっていた。チェコの街は上から見るとより赤い瓦屋根で統一されていることがよく分かる。どこまでも続くその街の姿がとても美しかった。
正門側から早速プラハ城に入城する。初めに飛び込んでくるのは聖ヴィート大聖堂だ。この聖堂はプラハ城観光の要の一つであるのだが、なんと言ってもその聖堂が誇るはアルフォンス・ミュシャが手がけたステンドグラスであった。正直なところ、このステンドグラスが有名なものであるというのを知ったのは事後調べであったのだが、なんの知識なしにも踏み入れた者を魅了する力がそのステンドグラスにはあった。太陽の光によって煌めくそのガラスの色彩の鮮やかさといったら、今回の旅全てを考慮しても最も美しいステンドグラスだったのではないかと思う程だった。旅の最後に合流した母はイタリアでステンドグラスを見損ねて残念がっていたが、それならばこの景色を母親に見せたかったなと思った。
ところで、アルフォンス・ミュシャというのは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したチェコ出身のアール・ヌーヴォーを代表する芸術家である。プラハではミュシャ美術館で聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの下絵やその他貴重な作品を鑑賞することができるなどその人気は現代でも衰えない。私もこの度を機に彼のファンになってしまった。
大聖堂の内部を隈なく探索して外に出る。内装も素晴らしいのだが、外に出てみると改めてその大きさや外装へのこだわりも感じられる創りに感嘆する。
プラハ城の周りには他にも教会があり、そちらの見学もさせてもらった。こちらは聖ヴィート教会に比べて簡素な創りの内装である。より中世からの趣が感じられるような気がした。申し訳ないがこの教会がどこだったのか分からないという。この紀行文も日々に追われすぎてかなり乱雑になってしまっている点は旅の参考にというよりも旅での小話重視ということでご了承頂きたい。
話を戻すと、その教会には棺桶のようなものや、地下にお墓がありそうなスペース、さらには殉職者のものと思しき人骨が安置されていた。所謂聖遺物というものの真骨頂である。実物は私も初めて拝見した。
プラハ城に着いた際には、人の流れと看板を頼り取り敢えず人が多そうだな、観光名所っぽそうだなというような場所を目指して回ると大体回ることができた。したがってこれまたどこなのか正確に分からないのだが、人の流れに身を任せて大きな広間のある建物に入った。そこから小さい部屋へ誘導されるのだが、きっと家系図なのだろうと思われる人物画が天井を覆い尽くしていて見応えがあった。部屋からはプラハの街並みがしっかりと見え、相変わらずその景色は綺麗である。王冠もまじかで見学する事が出来た。これがプラハ城そのものだったんだと思う。
プラハ城周辺には、黄金の小路と呼ばれる場所があり、そこには二階建ての家々が立ち並んでいる。基本的には何かしらのお店なのだが、当時の家庭の様子や映像上映がなされている家、はたまた拷問器具が展示されている家もあった。また、2階部分には甲冑の展示がされており、当時本当に使われていたのか疑わしいようなユニークなデザインの甲冑にも出会うことができた。甲冑の手が道筋を案内してくれるデザインになっているのも面白い。因みに、この通りの22番の青い家は作家であるフランツ・カフカが仕事場として借用していたものらしいのでこれまた必見である。そう書いておいてなんだが、私は当時の記憶が怪しいのだが、恐らく見逃しているので次回行った時には注目したいと思っている。
全体がプラハ城なのかどこからがプラハ城なのか正直よくわかっていなかったのだが、敷地は広大でまだまだ色んな施設がその小高い丘の上に集結していた。その中でも、拷問器具の展示が印象的であった気がする。これまで歴史の授業でなんとなく聞いたことがあるようなものやフランス革命時のギロチンくらいしか拷問器具の知識はなく、ましてや生で見たことはなかったので、当時こんなにも残酷なものが人の手によって作り出されていたのかと衝撃を受けた。私が拷問を受ける対象ではなく、あくまで見学者としての対面だったのでよかったなと思う。
プラハ城は最後に遊歩道のような場所を通ってからゲートを出る遊歩道からの眺めも美しく、また少し色付いた木々も見ているだけで癒された。警備員が常駐しており中々の厳重見守り体制。最後はそこからの眺めが世界一いいだったかなんだかのスターバックスを写真に収めてストラホフ修道院に向かう事にした。
ストラホフ修道院はプラハ城の方からその姿を確認でき、事前に知っていたわけではないのだがきっと何かであるだろうと思い向かってみる事にした。歩いて15分程度の道のりだが、坂なので少し遠く感じる。それでも街の景色は見ていて飽きないし、お店の看板デザインなどに刺激をもらい有意義な散歩コースだった。修道院の方まで来るとこれまた草木が生い茂る道を歩くことができる。こちらから市街地を見渡す眺めはもちろん良くて、道横のベンチで読書していた現地の方を羨ましく思った。私もこんな場所が家の近くに欲しいものだなと。
プラハ城に比べてこちらまで足を運ぶ人はそう多くなく、入り口を間違えてしまったのだが、なんとかチケット購入場所を発見し修道院内に足を踏み入れた。間違えた場所にはキスマークの着いた丸いキャンバスのようなものもあり意味深だなと思った。修道院の中は中世の図書館のような場所でその美しさに見惚れてしまう。聖堂も可愛かった。お手洗いは有料でユーロコインでお支払いスタイルだった記憶。
市街地の方へ戻ろうと来た道を引き返す。下りは常に城下町を見下ろす方向なのでこの景色を目に焼き付けようとしんみりしていた。
途中のお店で祖母へのお土産を購入。迷った末に猫の方を選んだのだが、もっとみんなにも買っておけばよかったと思う可愛さだったなと今になって思う。
ところで、朝の手の像もこのようなリボンが巻かれていたよなと思い出しながら道端に置かれた花束を横目に通り過ぎる。これは何かのお祝いなのだろうか。
プラハ城に向かう際に目にして気になっていた聖ニコラ教会に入ってみる事にした。ピンクと薄緑をベースに金色のアクセントが効いた淡い色合いが特徴的で美しい。2階部分へも見学に行くことができたので、天井付近の装飾やオルガンを間近でみることができて貴重な経験をすることができた。
引き続き街を散策するのだが、安定にお店の外観がユニークで惹かれてしまう。道草をしながらなんとかカレル橋まで戻ってきて橋を渡る。川ではクルージングを楽しむ船や人々が見えた。橋の上でも人々が音楽を奏で歌を歌っている。優雅な午後だなと思った。
プラハに来たら何度か足を運ぶ事になるであろう旧市街の広場に行ってみる。昨夜は夜の時間帯の広場という意味ではそれなりに多くの人で賑わっていたのだが、この広場を取り囲む教会見学へは日中のこの時間に行かなくては。昼間もやはり混み合っていた。広場の一角では出店のような飲食店が設置されており、お肉が豪快に焼かれていたのが印象的。
教会の中に入ってみたいと思い入り口を探すのだが、それらしいものへ行き着くことができない。こんなにも近くに見えているのに何故入り口がないのか疑問に思っていたところに、なんの変哲もない建物のドアに「教会への入り口」という張り紙を発見した。どうやらこちらの扉から教会内部へと入ることができるらしいと半信半疑で扉を通る。果たして、そこには確かに教会があった。こちらの教会はティーン教会という名前なのだが、どうやらフス派プロテスタントとカトリックとの争いにより入り口が塞がれてしまったという経緯があったらしい。その為に、現在では他の建物を通ってしか入場することが出来ないという一風変わった教会であったのだ。
無事内部見学ができて満足し、広場中央に戻ってくる。広場はゴシック、ルネッサンス、バロック様式など実に様々な時代、様式建物に囲まれており、なんだか不思議な気分になってくる。広場中央にある像も巨大で目を引くし、私が腰掛けていた階段の先にあるストューパもその大きさは像に劣らずといった具合。統一されていないのに統一されているような不思議な広場であった。
しばらく黄昏てから少し旧市街を散策した。相変わらず面白いお店。ショーウィンドウに惹かれて写真をとってしまう。中でもおもちゃのお店が可愛かったな。そういえばベンチも蛇が施されていたのと、公衆トイレが地下に設置されているのがパリの地下鉄の入り口みたいで印象的だった。また、チェコはナチュラルコスメも有名らしいのだが、ビールが使われているスキンケア商品を見つけ、思わず店に立ち寄ってしまった。
最後に趣を違えてダンシング・ハウスをみに行く事にした。ダンシング・ハウスはその名の通りまる1組の男女が踊りを踊っているような外観を誇っている。中世の雰囲気漂うチェコの街並みに対して一風変わった雰囲気を醸し出すこの建物は冷戦終結後、チェコが民主化し独立した時代、正確には1996年に建てられたビルだ。旧市街の街並みが美しいチェコの街である為、この建物には賛否両論あるらしいのだが、実際見てみると中々に見応えがあるように思われた。
一方で、その横の道をクチが走っている所に遭遇。これまたヨーロッパではお馴染みの古今融合の景色だなと思った。日本で車の免許センターに通っていた時に馬は車両扱いだと習った記憶があるのだが、このご時世馬なんて道路走らないでしょと思っていたのだが、普通に発展しているチェコの街でこの光景をみる事になるとは驚きである。
そろそろ次の都市へ向かう時間だなと思い、散策も兼ねながらホステルへ向かった。その道中、実に不思議なものを目にした。それは空から降ってくるおじさんである。彼は傘をさしてその空気抵抗により空から舞い降りてこようとしているのか、空で宙吊りになっているのか判別し難い装いだった。しかしながらスーツ姿に正気を失ったその顔は決して人類の夢である空を舞っていても楽しそうではない。種明かしをすると、彼は舞っているというよりも空中で停滞している、といった方が適切かもしれない。そう、傘をさして空を舞っているおじさんの正体は銅像なのである。どんな意味が込められているアートなのか気になったのだが、いずれにしてもこのアートのユニークさに惹きつけられる。興奮して観察していると道の先にもう1人の空飛ぶ像を発見した。今度はおばさんである。おじさんよりも傘に吊るされるようにしてしがみついているその姿は印象的で、顔はおじさん同様に悲壮感を漂わせている。一方で、スーツ姿は同様でも靴を履いていないし見一つという出立。何故だか彼女の方がおじさんに比べてもかわいそうに見えてしまった。また、傘だけ少し色付いているように見えたのも全体のバランス的にいいなと思った。これは一体何を訴えるアートだったのだろうか。
宿に預けていたキャリーケースをピックアップし、やっぱりプラハの街は面白い、と思いながら駅を目指した。イスラム教の雰囲気を漂わせている建物や古いカメラが所狭しと並べられたショーウィンドウ。まだまだ知らないプラハの魅力がきっとたくさんあるんだろうなと思いながら、またいつか来たいなと思っていた。
プラハの駅に到着。ここでも無数のアート作品に出会う。最後まで楽しませてくれる街だなと来れてよかったと思った。街の探索に明け暮れていたので今日もご飯を忘れていた。日本にもあるんだけど、と思いながらコスタコーヒーでホットサンドとラテを購入し電車に乗り込む。
電車に揺られること4時間で次なる都市、オーストリアのウィーンに辿り着く。
この電車内で実はまさかの事態が発生した。電車内ではWi-Fiが機能しており、姉からLINE電話がかかってきたので通話した。どうやら親戚と一緒に会食をしていたらしく、周りには姉と母だけでなくて伯母たちも居るようだった。交互に元気にしているかと尋ねられ、皆と言葉を交わす。既に転職予定の姉と母が入社前に12月にイタリアへ来る事になっていたのは知っていたのだが、これに対して家族で旅行ができる機会もこの先少ないだろうからと、伯母が私が帰って来ずにそのままヨーロッパにいるのであれば旅費を出してくれるという。迷わずイエスだ。感謝でしかない。この場で直ぐに3週間の旅程が一気に50日間の周遊となった瞬間だった。
2023/11/06 オーストリア ウィーン🇦🇹
ウィーンに着いてからの記録は何故か途絶えているのだが、多分ここで私は変なドイツ人に出会った記憶がある。いつも通りドミトリーに着いてから洗濯物や荷物の整頓をしていると彼が部屋に入ってきて、挨拶を交わした。なんとなくぬめっとしたような話し方をする人だなと思っていたのだが、彼は先程まで下のバーで女性と飲んでいたらしい。それなのに私を可愛いと思ってしまったことを謝りたいという。ある意味誠実なのかも知れないが私の知ったことではないしそう思うならば可愛いと思ったことを口に出さなければいいのでは無いかと思ってしまう。また、英語もそこまで流暢に話せるわけでは無いようだが複雑な会話がしたかったらしく、Google翻訳を使ってきたりとコミュニケーションを取るのが難しかった。取り敢えず謎である。私は自分の調べ物や作業もあったのでなんとなく会話を終わらせる方向に持っていき、自分のベットスペースでカーテンを引いた。それでも少ししてからスマホを貸して欲しいとカーテン越しに声をかけてきた。その彼女も今日出会った人らしいのだが、明日一緒にツアーに参加する約束をしたらしい。しかし、何故か彼のスマホからでは予約できないとのことだ。貸したくは無いと思ったのだが、断る言い訳も思い付かず貸してあげる事にした。断っておくが、私は基本的にオープンな人間であり、人のことをそこまで悪いようには思わない正確であるように自覚している。そしてもちろん好意を持たれるのは嬉しいが、それは人間的な好意の場合にである。彼が酔っていたこともあり私のガードが硬くなっていたのだろう。
取り敢えず変な人だったなと思いながら私は自分の明日の観光に向けてウィーンといえばのシェーンブルン宮殿のチケットを購入した。明日もしっかり楽しむ為に今日はもう就することにした。
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