「生の音楽」は私にとってのオイルだ #野音でラッキリ

近頃はなんだか調子が悪かった。
というのも、身体は太りすぎて春物の洋服が入らなくなったりピチピチになったり、そのためコーディネートがしっくり来ず靴で採算を取ろうとしたら靴擦れをしたり、気持ち良くなるために行った銭湯の朝湯でなんとなく嫌な気持ちになったり、人の言動を見てイラついたり、集中できなかったり。

おそらく自分の試験の近付いている焦りによるものだと思っていた。でも、どうしようもなくなっていた。「だって調子が悪いもん」といったように。もっと頑張りたい。でも別にいいやと思う。そんな感じ。

おそらく2月末か3月頭、試験を受けることを決めた直後に、ライブのチケットを取った。Lucky Kilimanjaroというバンド。昨年恵比寿でリキッドルームで行われる予定だったワンマンはチケットも取っていたが、昨今の事情を鑑み当時中止になった(なんなら払い戻しも忘れていて寄付したことになっている…?)。

Lucky Kilimanjaroは、インターネットで音楽を探してきたZ世代としてはかなり珍しい出逢い方をしたバンドだ。たしか2017年の冬頃に立ち寄ったタワーレコード新宿店の視聴機でふと出会い聞いた「Favorite Fantasy」の1曲目の「Fire」に心を掴まれる。グルーヴ感というのだろうか、シティポップとその時は思ったのだろうか、今聞いてもやはり踊りだしそうな心地よいリズムと、すっと入ってくるボーカルの歌。私が視聴機で聞いてその場で購入した、初めてのバンドだ。しかもよく聞けば聞くほどに沁み込んでいく歌詞は、あまりにもありのままで、力強い。

最初に観に行ったライブハウスは、渋谷のTSUTAYA O-nestだったと思う。「Favorite Fantasy」にはジャケットも歌詞カードにも、メンバーの写真がない。当時公開されていたYouTubeの動画にも人は出てこなかった。だから、初めてライブに行った時、人数の多さと、メンバーの雰囲気の違いに驚いたのをよく覚えている。でもそんなことに気にせず、たくさん踊った。

それから3年半が経った。衝撃である。その間にも何度もライブに足を運んだ。

2021年4月4日(日)、同バンドの日比谷野外音楽堂での公演「YAON DANCERS」があった。

正直コロナ禍になってからライブハウスは避けていて、コロナ禍以降2回目のライブだった。野外だから換気がいいもんなとか思っていた。(1回目のライブは対バンで、すぐにハコを後にした)

当日の天気予報は、雨。低気圧で体調を崩す私はその日も見事に頭痛に見舞われていた。そして、最近の勉強が進まない焦りもあり、「体調を崩したら後悔する」と思い、ライブに行くのをやめようと考えていた。

しかし、諦めきれなくて、対策を徹底してライブに行くことにした。野外フェスで使用したレインポンチョを持参していたのに撥水パーカーでずっと過ごしたら雨水が浸透してきて腕が少しずつ冷えてきたのはミスであったが、すぐそれを着替えて帰り、帰宅後お風呂に直行、暖かい格好をしてビタミン剤を飲んで寝たおかげで、風邪を引くことはなかった。

で、前置きが長いがここからが本題。

ライブに行って、本当に良かった。

リアルの場、生音、音楽とその時に集中して踊る瞬間。「非日常」

ボーカルの熊木幸丸氏が、飛沫が飛ぶのを避けるため声は出させず「クラップで一緒に音楽をつくろう」みたいなことを、たしか言った(ニュアンス)。
私は趣味だけれど社会人になっても音楽をやっていたし、一人で楽器を演奏するのではなくみんなで音を合わせるのが好きだったから、クラップでラッキリや会場のみんなと音楽をつくれたことが、本当に嬉しかった。そして自分がそれを好きだということを思い出させてくれた。

踊れて楽しいライブであったが、2曲、私の心に刻まれた曲があった。

ひとつが、「Do Do Do」。

今自分が何者かなんて自分自身で決めなよ
強くありたい?
願うだけでは叶わない
次自分がどこにいくかなんて自分自身で選びな
踊り出したい?
踊り出したらいいよ

Do it Do it Do Do
ここからDo Do Do
どこへいくかを決めたら
それを信じるまでだ
果てるまでDo Do
ここからDo Do Do
自分の意思を決めたら
それを信じるまでだ

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/lucky-kilimanjaro/do-do-do/

この日私は自分でこのライブに行くべきかさえ悩んだ。いろんな人に相談までしてしまった。いい大人なのにね。深く解説するのはナンセンスに感じるので割愛するが、「自分自身で決めなよ」「自分自身で選びな」「自分の意思を決めたらそれを信じるまでだ」「願うだけでは叶わない」――これらが今の私には刺さった。

もうひとつが、「光はわたしのなか」。

この曲はコロナが流行し、前述のリキッドルームのワンマンも中止になった中で、作られた曲だ。コロナと闘う生活を「あっという間に怪物にあらがう日々」と表現している。

元気な人は 誰かに分けてね
疲れた人は たまには休んでね
帰ったらすぐに 手洗いうがいを
力の無さを感じても 萎まないでね

とっておきの未来たち すべてが霧のなか
砂嵐の街 灯台のない海 迷って張ったままの心
あれ?踊り忘れてる?
波のように揺れるだけでいいよ
この道の先 そこでまた会おうね

変わる日々に目隠しされても このダンスは止めないわ
ここでできることをやるよ
来たる夏を想うよ
未来は消えてないよ
今だから踊り歌うわ
誰かの笑顔を救い出す光は!

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/lucky-kilimanjaro/hikari-wa-watashi-no-naka/

当時コロナになって仕事の打ち合わせや取材もリモートになって在宅勤務も始まって、会社には出社するけど遊びには出掛けちゃいけなくなって。お先真っ暗に感じた時に、すぐさまリリースされた「光はわたしのなか」。ラッキリには感謝しきれない。


雨の野音、スマホのライトをペンライトみたいに掲げた。シンセサイザーmaotakiちゃんが泣いてしまっていたけど、本当にきれいに白いライトがたくさん灯った。その光は、人が、一つずつ掲げた光だ。

私が自転車だったとしたら、くたびれて傾きそうな車体にオイルを注してくれた、それが昨日のLucky Kilimanjaroの野音ライブでした。自分を信じるまでだ。

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