見出し画像

気を抜くと、必死に生きてしまう

2024年になってから1カ月が経ったとは信じられないほど、濃くて、あっという間の日々だった。
転職活動を始めた。始めてみたものの、全然うまくいかない。というか、どこの会社も自分が働くイメージが見えない。落ち着いて考え直したら、「こっちじゃないな」ということがわかったのでよかったけれど、かなり全く違う”合わない”方向の選考に進んでいたりした。危なかった。
趣味の音楽サークル活動みたいなものがやたら活動的になった。
仕事も、後輩の指導をする場面があったり、失望したり、クレーマーに遭遇したり、辞めたいのに来年度のことを考え始めていたり、気が遠くなっていた。
忙しくなればなるほど私は笑顔と酒ですべてをごまかしていく。
気付いていたのになかなか変えられないものだ。

そうして体調を崩して、ようやく立て直してきたような気がする。
このループから抜けるために、カウンセリングの予約をとったり、楽に生きられる考え方を吸収したりしている。

「今」を生きることが大事だ、とよく言う。
でも私はいつも先のことばかり見て心ここにあらずのことが多い。不安になるのも未来のこと。
それが今日、最近ハマっているYouTubeを見て、お風呂上がりのボディクリーム&マッサージをしていたら、「今」という感覚が初めて腑に落ちた。
「今」の積み重ね。
人生が幸せかどうか、楽しいかどうかは、結果論ではない。
幸せになりたい・楽しく生きたいと思う私にとって、幸せだと感じる楽しい時間を多くしていくのが、私が本当にやりたいことのはず。
将来幸せになるためにいま心配ばかりするのは、違う。
そもそも将来将来って、子どもじゃないんだから。

マッサージしている時幸せだなと思って自分を大切に扱っている感覚がした。そういう時間を増やしていくことが、幸せの積み重ねなのではないだろうか。

辞めたい仕事をやっていても、無理に笑顔で乗り切るんじゃなくて、楽しく思えることをやる。無理して「楽しまなきゃ」と思う、とは違う。この作業なら楽しめるかもしれない、ということをやる。もちろん楽しくない仕事もあるけど、それは割り切って時間で切って終わらせよう。
趣味は体力を使うけれど楽しい。とりあえずOK。
転職活動は楽しくない。でもワクワクするような求人があれば楽しい。選考は大変だけど、先日あまりにも合わない人に面接をされてからちょっと面白くなっているので楽しめるかもしれない。

ここまで書いて問題点に気付く。
結局「休む」ということが私には抜けている。
しかし一つ思う。自分で「今を楽しむ」と思って動けば、他人に認められようとかやり切らなくちゃとかいう衝動により発動されるハイで乗り切る、までやらなくて済むのではないか。それが理想である。
とはいえいきなりそこを目指すのは難しい。私はいつもハイになって忙しさを乗り切り、燃え尽きてしまうからだ。なんならその疲れを精神的にはクリアにするために酒を飲みすぎて、身体はどんどん疲れていってしまう。

システムを作って「休む」をしなければならないのだと思う。
何時になったら寝るとか、何時になったら帰るとか、週に1回は予定を入れないとか……
さて、そうこうしているうちに21時を回ったので、このシステムについては今後考えていきたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?