バイプレイヤーズ 〜泥流地帯の12人〜(5)益垣公三

 益垣の苛々は頂点に達していた。元々の癖である貧乏ゆすりが一層激しくギシギシと職員室の古びた床板を鳴らす。同僚の花井澄子は益垣に顔が見えないよう背中を丸め眉根を寄せた。柔和でやや気弱な花井が他人を嫌ったり軽蔑したりすることはない。陰険で狭量な益垣を除いては。
 陰険で狭量・・・そうした辛辣(ではあるが的確であった)な評価を受ける反面、彼の教育に対する姿勢は意外にも真摯なものであった。
 自発性や個性を尊重し始めた若手教育者の時流とは一線を画しやや保守的な教育方針ではあったが、諸外国と並ぶ国力を養うことも、小さな村を豊かにすることも同様に、必要なのは教育に他ならないと確信していた。

 父と同じく北海道庁の官吏である長兄、第七師団の主計中尉である次兄らと常に比較されて生きてきた。大学教授ならまだしも小学校の教師になりたいと、師範学校へ進学したいと打ち明けた日の、関心の薄さを隠そうともしない父の態度が脳裏に焼きついている。
 札幌を遠く離れ、辺境の村に赴任が決まった時はむしろ、己の理念の正しさを父や兄に知らしめる好機として意気揚々と駅に降り立った。
 私の手でこの田舎の、上富良野の子供にも高い教育を・・・
 益垣は高等科を卒業してなお九九ができない者がいるという現実を正面から受け止め、特に算術の指導に力を入れ、数年後には校内外でその熱意と指導力を評価する声も高まっていた。だが一方で、村外れの小さな分教場の教師の評判を耳にすることが増えていることを看過できずにいた。その男、菊川政雄教諭は自分より五つも年下の農家の倅で、しかも教員免状さえ持たぬ代用教員だという。

「農家の倅」
 それだけで見下す理由としては十分だった。益垣は農家が嫌いだ。しかし初めからそうだったわけではない。
 上富良野に赴いてすぐ、農家の子の進学率が極めて低い現実を憂慮した益垣は、農家も多く寄る市街の集会で教育と学問の重要性を説いたことがあったが…「まずは食うもの作らんと学問も何もねえ」「なんたら金次郎じゃあんめえし」「勉強したらあんたみてえに頭でっかちになるだけだべさ」
 農民たちは益垣を囃し立て、嘲笑した。

―農家に学問は不要である―

 彼らが無知で愚かなのではなく、悲しくもそれはこの時代の現実であり常識であった。そしてその常識こそ益垣がその確たる信念に基づき打ち破るべき殻であったはずだが…彼はただ、狭量であった。以来益垣は、農民に対する偏見を隠さなくなった。

 去年の三月、益垣にとって忘れ得ない、苦々しい出来事があった。菊川の教え子の石村耕作が旭川中学に一番で合格したという。石村は農家の子だ。自身も六年生を受け持ち、どうにか二人を合格させてはいたが一番どころか中位以上での合格は彼の悲願でもあった。こともあろうに農家の倅が農家の倅を教え導き、札幌育ちの益垣の尊厳を粉々に打ち砕いたのだ。益垣が菊川と石村の師弟に深く暗い嫉妬の念を抱くのは自然なことであった。
 その石村がどういうわけか中学に進学せず高等科に編入し、なおかつ益垣が受け持ちになるという。
 石村を憎んでいるわけではない。ないが、益垣は持て余していた鬱憤を無意識に石村にぶつけていた。一方で石村が活躍するたびに、褒められるたびに苛々を募らせた。それは純粋な嫉妬心でもあった。

 石村を受け持って二年目の夏、校長から石村を卒業後に代用教員として雇う予定であることを告げられた。益垣は憂悶した。菊川が石村を旭川中学に合格させ自分との格の違いを見せつけたあの悪夢が、石村によって再現されることを心底恐れた。しかしそれが免状を持たぬ代用教員であることが、石村の身分が紛れもない格下であることが、辛うじて益垣の正気を保たせた。

 しかし今日、同僚の花井澄子が、石村耕作を師範学校に通わせるべきだ、費用は私が持ってもいい、と言い出した。
 我慢の限界だった。
 石村が師範学校を出、自分と同じ正規の教員となる。これは益垣にとって「並ばれる」ことではなくもはや「追い越される」に等しい感覚であった。伏した龍に翼まで与える必要はない。しかし花井をはじめ校長、視学までもが石村を高く評価し、面倒を見ようとすることも益垣の黒く巨大な嫉妬心を大いに刺激した。
 思わず花井に詰め寄っていた。一体なんなのだ、なぜどいつもこいつも石村に肩入れするんだ、気でもあるのか? と。
 何より許せないのが、石村に一目も二目も、いや三目も四目も置いている自分自身だ。高等科二年の子供を、百姓の小倅を畏れ、尊敬しはじめた自分が何よりも許せなかった。

 益垣は貧乏ゆすりをぴたりと止め、四時間目の授業に向かった。石村を何とかして懲らしめたい。だがあの品行方正な男を叱責する理由など、朝からずっと考えていたがそう思いつくものではない。もう何でもいい。とにかく怒鳴りつけてやる!

・・・大人気ないだって? 何を馬鹿な、そんなことあるもんか。あの男に対しては真っ直ぐに、全力で俺の妬みと嫉みをぶつけてやる。
 何が悪いというんだ。俺の人生で最も強力な好敵手を無条件で叩けるのは、奴が教え子である今をおいて他にあるまい。

1922年10月某日  益垣公三(28)



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