「思いやり」にマウントやリターンはいらない。
過去を思い出したり人に会うたびに「思いやり」について考える機会がぐっと増えたので、文字にしてみます。
今までの対人関係で「思いやり」について表面しか見ていませんでした。
一方、強烈な反面教師で「絶対に真似してはいけない」と誓ったこともあります。
どうも無意識で口にする「思いやり」は、実のところ取扱注意のようです。
「あなた(〇〇)のことを思って!」
言ったことはありますか?……あります。
善意のかたまりのように聞こえますが、言われた当人にしてみれば迷惑千万。一方的、全否定に聞こえるかも。こちらはだんだん説教じみてきて、私の考えが正解だからと強引さが上乗せされます。
もし相手が自分の考えを伝えにくいタイプであれば、なおさら思いやりどころか騒音でしかなく、次第に話せなくなります。貝……。
思いやりはどこへ?完全なるマウント取りですね。
*悪い例
スイカに塩をふると甘味が増すのは知っていますが(対比効果)、そのまま食べたいのに横から「塩ふって!塩!甘いよ」とせっつくのは、お節介という名の迷惑。気配りでもなんでもない。
初めから黙って塩を置いて「ご自由にどうぞ」のスタンスが思いやり。
リターンを求めない。
「こんなに心配しているのだから」「してあげた」
勝手な押しつけは思いやりとは違います。
知らないうちに相手へ伝わってしまい、形だけの思いやりは消滅します。
思いやりは相手が受け取ってこそ。見えないものに見返りを求めても解はありません。
自分がしたからといって、同等のリターンを相手に求めない。
相手の気持ちはわからない。
そもそも自分の気持ちのコントロールさえ難しいのに、相手の気持ちがわかるはずはありません。
望まれていない助言をすれば、相手の自己肯定感が下がります。自分には能力がないと思ってしまうかも。
相手のことはわからないと認識した上で、常に想像力を鍛えて考える習慣が必要のようです。
思いやりは習慣になりうる。
思いやりは、お互いを助け支えるものだと考えます。受け手が幸せになれば、こちらの自己肯定感も上がります。
相手に求め過ぎない。
自分の気持ちを暴走させない。
時間をかけて観察眼を磨いてみよう。
相手を尊重した上で考えることが習慣になる。
最後は自己目標になりました。
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