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ファミコン貧乏性

子どもに子どもらしい娯楽を与えないタイプの親の元で育ったので、ファミコン誕生から家庭用テレビゲーム機の全盛期を生きてきたにもかかわらず、ゲーム経験が非常に少ない。
ドラゴンクエストもファイナルファンタジーも自分でプレイしたことがなく、友達の家で見た記憶がわずかにある程度だ、と言うとたいていびっくりされる。
ゲームネタについてゆけず、トラウマを刺激されたり疎外感を感じることもある。わりと重症だ。

なぜか弟が思春期になってようやく解禁になったが、それも従兄弟のお下がりのファミコンで、居間でやることは許されず、自営業である父の工場でオイルのにおいをかぎながら悪いことでもするようにコントローラーを握っていた。
冷暖房も充分ではない環境で、汗を拭ったりがちがち震えたりしながら、パイプ椅子に座って。
スーパーマリオ3に同USA、星のカービィ。我が家にあったカセットはそれが全てだ。
攻略本すらなく、行き当たりばったりでめちゃくちゃにプレイしていたけれど、痺れるくらい楽しかった。

大学生になり、帰省すると弟にプレイステーションが買い与えられていた。
指が痛くなってガーゼの指サックを必要とするほど「ストリートファイター03」をやりこんだ。春麗かわいいよ春麗。
でも、やっぱり全盛期にやりたかったという思いは拭えない。あれほど焦がれた気持ちもさすがに薄れ、子どものようにわくわくすることができない。
賞味期限切れの缶詰をようやく食べさせられているような気持ちになるのだった。ないよりましだけど。

満たされない子ども時代の反動で、産前産後の身動きがしづらい時期に某スマホアプリゲームにがっつりはまり、課金までした上に飛蚊症になってしまった。あーあ。


そして最近、夫が子ども時代のファミコンを持ち出してきた。
食器の片付けや翌日の保育園の準備に追われるわたしを邪魔する子どもたちから気を逸らすためである。
特に息子が気に入り、毎晩「マリオみるー!」と要求するので、あっというまに習慣化してしまった。

苦戦しつつも、子どもたちにピーチ姫を見せることができた。
やっぱり現役時代をまともにゲームしてきたひとは強いな。

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子どもたちの気を引くことが目的なので、いくら残機やアイテムが残っていようと、時間がくれば惜しげもなくリセットを押して終了させる夫。
そのたびに不遇の子ども時代を過ごしたわたしは「ぎゃああ! そんなもったいない……!」と叫んでしまうのである。
残りを引き継いで「豪遊」させてもらうのが至福のひとときだ。
「ファミコン貧乏性だね」と言われてしっくりきた。
なんだか、情けないけれど。

子どもたちには自分のようなトラウマを背負わせたくないし、時代の最先端の技術にちゃんと触れさせていたいという思いがあるので、もっと大きくなったらNintendoスイッチでもその後継機でもなんでも、買い与えるつもりである。
誰にも文句は言わせない。

最近5歳の娘がテトリスを覚え、今日はとうとう4列同時に消せたので、記念に書き記しておこう。

幸福にのぼせるきみが振り返るマルチエンドのゲームみたいに  柴田瞳


生きているうちに第二歌集を出すために使わせていただきます。