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スキルをまとわないでも生きられるように

どうも、日本人がスキルに囚われているように思えてならない。
スキルアップしないとってどのネットメディアを開いても出てくる。スキルを集めたら景品でも出てきそうな勢いだが、結局、日本は豊かになったのだろうか。
仕事はスキルを上げるためにするのではなく、利益を上げるためにするものだ。だからスキルを上げるためには仕事の外で何か努力しなさいとでも言っているのだろう。ただし仕事の中でスキルアップできるのならそれは楽なので、人はスキルアップのために転職も企てるのだと思う。
戦略としては間違っていないのだけど、それだけで人生を考えると、スキルの無い人よりスキルのある人を、人間として上と見る価値観が染みついてしまう。だから、最近は名のある人に人気が集まる、つまりインフルエンサーの現象が起こりがちなのだと思う。
でも、私は、人間の価値ってスキルじゃないと思ってる。
スキルをまとわなくたって、相手を知ろうとすること。自分を相手に説明すること。これを礼儀と誠実さを持って継続できるだけで、十分に相手にとって自分は価値があるし、自分も相手にとって価値があると思う。その関係は世界で一つなのだから。
そこに打算や、制御してやろうという気持ちがあったら成立しない。でも人間社会、そんな関係ばかりになっているんじゃないか。自分はこんなにできる人間なんだって主張しないと、相手に認めてもらえないという強迫観念のようなものが強いのではないか。そんなに「スゴイ」必要があるんだっけ。
そもそも、生きてるだけで、えらいんじゃないかな、って。
だって生きていればいろいろあるでしょう。それを乗り切って今日を生きているんだから、えらい。
そうやって、礼儀と誠実さを相手に示しつつ、続いていく関係であれば、それだけで価値は生み出せると思う。そんな関係は、会社や家族がゆらいだときでも支えてくれる。別に解決してほしいんじゃなく、援助してほしいんじゃなく、ただただ聴いてくれて、知ってくれるだけ、そんな存在。
社会のみんなは、ちょっとプライバシーを守ろうとしすぎて、他人との境界に気を遣いすぎて、誰かとリンクしづらくなって困っているんじゃなかろうか。
小学校時代を思い出してほしい(今はどうなっているかわからないけど)。誰彼は勉強ができる、誰彼はスポーツができる・・って考えてつきあってたか。いや、そんなことはないだろう。いろんな人がいていろんな人と仲良くなったりしてた。ただ、子供のときは相手に対する礼儀や誠実さの大事さは知らなかった。今になったらわかる。でも、その基盤となるコミュニティーへの入口にどこにあるんだっけ・・って。
スキルがあるのはすばらしい。だけど、それをまとわないでも会話できるような、上も下もないような。そしてその価値を大事にする場を、社会の誰もが手に入れられるような仕組みを作ること。そしてその価値を言語化していくことに興味を持ち、実践していきたい。
誰か動かないと、社会は変わらないからね。

いつも読んで頂きありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。