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役に立つから、人と人はつながっているのでは「ない」

これは反省でもあるんだけど、長い間、人の役に立つんだということを強く主張し、実証し、そして居場所をつかもうとしてきた。
仕事ができるんだ!って。そして仕事ができて、結果を出すと競争相手である同僚より先んじられる。それをずっとやってきた。やってきた結果、臨んだ通り位は上がっていく。

ここまではまだいい。

周りを見渡してみると、勝った負けたのメンタリティーで戦ってきたせいか、つながりがない。全部自分でできる。自立している。それはアドバンテージだったはずだが、気づいたら弱みにもなっている。敵は全部倒したが、味方もいないのだ。
会社員になって、負けてたまるかの精神でやってきて、負けなかった結果これである。果たして自分は何を得たのだろうか、と。

遡ってみると、これは明らかに私が受けて来た学校教育の影響は強い。団塊ジュニアの世代人数が過剰な時代では、人を押しのけて勝つのが正義であった。いい高校、いい大学、いい会社、後には否定される価値観が健在のころ。時代は変わったけれど自分は変われなかったなと思う。

でも、気づいたのであれば変えられるのが人間のいいところだ。
私は、以下のように考えることにした。

・人々の関係性は、勝ち負けではない。互いの尊敬のもとつながるだけで価値がある。
・自分にとって役に立つ人とだけ付き合うという考え方を改めなければいけない。どんな関係性にも益がある前提に立てば、分け隔てなく尊重できるはずである。
・たくさんの人に有名になるより、自分が相手を知っていて相手も自分を知っている関係を多く作る「相互関係の成立」のほうがよっぽど大事だ。あなたが知らない人は、あなたが役に立たないと思うやいなや、すぐに離れていく。

世の中、それでも、「自分はあなたの役に立つから、自分を見て」という叫びにあふれていると思う。それが「いいね」や「フォロワー数」、「再生回数」などで測られている。
しかしそんなことで承認欲求は満たせるものではないのだ。
バズった後に、静けさが訪れるだけだ。

人々は、仕事社会に毒され過ぎているように思う。相手にとって役に立つために自分が存在するわけではない。みんな生きているだけで立派だ。尊敬の念を持ち相手と接し、相手もそうしてくれたら、これが財産になる。そんな関係を得ることにもっと夢中になったほうがいい。

きっと、この考え方はモダンな考え方になるはずだ。今の時代の苦しさの解決策に、きっとなる。

この財産を少しづつ集めて行こうと思ったのがここ最近だ。まだまだルーキーだ。一歩ずつ前進していきたい。


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