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大きな葛藤と同じくらいの願いを持って。オレンジスタッフ1人1人が綴る言葉たち。 (JP only)

R6年能登半島地震へ心よせる方々へ。1/3より医療法人オレンジチームが現地に入り、災害の地における「暮らしの医療」を軸に、在宅医療現場を含むあらゆる方々の暮らしのサポートに尽力しています。
●本noteアカウントは、福井・長野・石川に拠点をもつ医療法人オレンジグループにおける、R6年能登半島地震の支援活動についてアーカイブしていきます。

このnoteでは、1/1以降に医療法人オレンジグループの1人1人がnoteや社内共有サイトで綴ってきた想いについて紹介をしていきます。

能登半島に想うこと、私たちも動きながら、そして大きな葛藤と同じくらいの願いを持ってやってきました。そんな1人1人の言葉が、読み手の皆さんへ届けることができたらと思います。


すでに こちら でお伝えしているように、私たちは1/3に先遣隊として、神奈川「 ぐるんとびー 」さん、災害ボランティアナースチーム「キャンナス」さんと共にオレンジチームが協働し、チーム編成へと動きました。
1/8からは私たち協働チームとして、輪島市に位置する福祉避難所“海と空”の運営を託され活動を行い、その後1/30には、輪島市からの二次避難・広域避難所として福井県勝山市に設置された「勝山福祉避難所」の運営に携わり、今日を迎えています。

まずは1/3から1/30までに輪島市入りし、福祉避難所“海と空”の運営に関わったスタッフの言葉から紹介をします。

いても立ってもいられなくても何もできないとき、人は

写真を見返していたら深夜に撮っていた写真
窓の外に見えた月を撮ったよう。
いても立ってもいられなくても何もできないとき、人は空を見上げるのかもしれない。

「1月2日0:17に着信した輪島の仲間からのLINE一言「助けに来てください」が頭から離れない。」
オレンジ紅谷のnoteより引用
「写真を見返していたら深夜に撮っていた写真 窓の外に見えた月を撮ったよう。 いても立ってもいられなくても何もできないとき、人は空を見上げるのかもしれない。」紅谷撮影。

「生活と医療を両立しながら、その人の暮らし(=今は避難所での暮らし)に伴走する関わり」の必要性

これまでの大きな災害では、我々の「在宅医療=生活と医療を両立しながら、その人の暮らしに伴走する関わり」は、急性期、亜急性期が過ぎてからその必要性が大きくなり、それから数ヶ月、1年という単位で支援を継続するイメージだったかもしれません。
しかし今回は、すでに「生活と医療を両立しながら、その人の暮らし(=今は避難所での暮らし)に伴走する関わり」の必要性が高いと考えられます。

「輪島入りしました。」
オレンジ紅谷のnoteより引用
オレンジスタッフ(右)と共に輪島福祉避難所へ入る紅谷。

家でやっていたように

さあ、寝てばっかりいちゃダメ。
家でやっていたように、洗面所で歯を磨きましょう。
水は出ないけど、工夫して。
はい!自立!

オレンジが誇るスタッフ川瀬の言葉。

避難所は施設ではありません。こっちが落ち着こう。

避難所は施設ではありません。
畳敷きだし、転ぶ危険とかあんまり考えないで、
割と重い思いに動いてもらっています。
ついてを出したくなる看護職、介護職。
でも待って、
1人でできるから。
ゆっくり歩こう。
私たちが歩き回っていると、皆さんもソワソワする。
こっちが落ち着こう。

こちらもオレンジが誇る川瀬の言葉。
1/18時点混乱の最中で社内掲示板にも、現場である輪島での福祉避難所にも張り出した標語。
輪島の福祉避難所での「標語」。

一緒に悩み考え続ける

能登半島地震
縁ある輪島で支援活動をさせていただいています。
災害で一気に変わってしまう街並み、人の営み、暮らし。
これからと少し先を見据えながら、できることを一つ一つ。
これからの暮らしをどうするのか。在宅ケアに携わってきた私たち、一緒に悩み考え続けます。
たくさんの繋がりに支えられ助けられて、さらに繋がりを作っていくことを。

1/3から先遣隊の1人、菊池の綴った言葉。
市内や福祉避難所の混乱を持ち前の機転と適応力、願いの強さと共に乗り切ってきた
毎朝・夕の避難所mtg。毎日毎日人が入れ替わる。

誰のための何なのか?その人らしさを守りたい

つい手を差し伸べたくなる。でも結果としてその人の能力を奪ってしまうことになります。ADLをなるべく落とさないために見守ることも大切。

こちらの好意でも、あたり前にやっていた生活の一部に手を出すことで申し訳なさを感じさせてしまって、逆に苦しめているように感じる場面もありました。

誰のための何なのか?考えなければなりません。

その人らしさを守りたいと思いました。

それぞれにこれまでの生活、ストーリーがあります。その延長線上にある"これからの生活"をサポートするためのケアや専門職としてのスキルであるべきであって、そこの土台も知らずに、ケアに入るのではこちらの自己満足で終わってしまうようにも感じました。

オレンジ入社3年目スタッフのnoteより引用
「毎朝コーヒーを沸かし部屋にはコーヒーの良い香りが」。スタッフ撮影。

一人一人に向き合える時間の積み重ねがなければ前には進めないかもしれない

家はなんとか形はとどめていたけど入ろうと思っていた窓の中はぐちゃぐちゃ。
足の踏み場もなく、明らかに危険。
無理して入ろうとしたら止めるしかない、と思った矢先
「これじゃ入るのは無理ですね。諦めついた。連れてきてくれてありがとう。ここには住めないし、直すお金もない。」
最後は家に向かって手を合わすお母さん。
風とぼこぼこの地面を手を繋いで車まで戻りました。
施設までの道すがら、いろいろお話ししてくれました。
津波が来なくてよかったこと、家の形が残っていて嬉しかったこと、最後に家を見れて嬉しかったこと

いろんな葛藤はまだまだなくなりません。でも一歩進むのに必要な時間だったのかも。
忙しいし、場面も目まぐるしく変わるけど、結局は一人一人に向き合えるこんな時間の積み重ねがなければ前には進めないかもしれないな、と。

1/3から先遣隊の1人、池口。あらゆる現場で踏ん張ってきた力強さを発揮してきた。
左から紅谷、菊池、そして池口。写真は1/3撮影。

輪島にいたいという気持ちを忘れないで欲しい

昨日のこと。
「こういうの、ついやっちゃうのよね~。占いとか」
と、気軽に引いて頂いた、美容師の方。
「人生最後はどこで迎えたい?」という質問に、
「なんか…胸が詰まる質問ねぇ」と、思わず声を詰まらせる。
「やっぱり輪島が良いですか?」
―ー「そうねぇ、何もなければねぇ」
「帰ってこれると信じたいですねぇ」
―ー「そうね、信じれば叶いますかねぇ」
その後、お仕事のこと、身の上話などつれづれに伺う。

いたずらに希望を持たせるのは良くないのかもと思いつつも、
輪島にいたいという気持ちを忘れないで欲しいと思いました。

おじくじ」を起点に交わした会話から引用
輪島市の福祉避難所での様子。右に「おじくじ」も。

適当に逸らすんじゃない

「田んぼや畑してたからどこ行くのも長靴」
「親世代が鶏を飼っていて一緒に世話してた、あんま好きじゃなかったけど」
「息子たちは農業継がなかった。勤めに行っとる。時代が変わったみたいや」
認知症要注意人物で
外でないように、避難所での役割を与える
それも大切だけれど、
そもそも外に出ちゃう理由が明確にある。
ずっと住んでた里町のこと、生活のこと
チームとしても
適当に逸らすんじゃなくてもっと丁寧に大切に向き合えたらなってずっと思ってます
向き合ったとて元の生活に戻れるわけではないのがもどかしいけど
きっと意味はあると思うんです

輪島市での活動で、感じた思いを綴るスタッフの言葉
1月時点での輪島市内の様子。スタッフ撮影

その後輪島市から要請を受けた自衛隊の皆さんによって、広域の避難が始まります。そうして始まった、福井県勝山市「勝山福祉避難所」。

勝山市市民交流センターの一角に設置された避難所です。

明朝も晴れますように

散歩の終盤『地震で今1番しんどいのは輪島の市長やな。輪島を良くしたいと思って立ち上がってくれたのに、今はあちこちから色々言われているやろうし、どうにも出来んことも沢山あるやろうし』と。そして『人生は色々やな』と。

終始優しい語り口の行田さん。
言葉のひとつひとつに力強さが溢れる行田さん。
配達のお弁当を食べる時、必ず『美味しいよ』と声をかけてくれる行田さん。

明朝も晴れますように☀️

1/30以降の勝山福祉避難所の日常を綴ったオレンジ伊藤。
2016年以降あらゆる震災支援に関わってきた。(お名前は仮名)
散歩や。一歩を出す。

「望んでいる生活」を一緒に作って行く

「もう諦めたんや、ここにいれられたからには仕方ない。」
これまでの避難生活で、諦めたものや思い通り行かないことも多かったのだろうと勝手に想像。
前と同じ状況にはもう戻れなくて、この方が本当に望んでいる生活にはできないかもしれない。
それでも、勝山に来ていただいたからには、「少しはここにいてもいいかな」と思える時間があってほしい。
そういう時間を積み重ねて、「望んでいる生活」を一緒に作って行くのが、今の役割なのかもしれない。

1/30より輪島市から広域避難された方と過ごした入社1年目スタッフが綴った言葉。
願いが強くある。
オレンジスタッフと共にああでもないこうでもない、日常の話

「やはり寂しい。でも住めば都やね」の言葉を聴く

きっと地震のことは今までたくさん聞かれてるんだろうなと思って
いつもと違うことはせず、いつも通りの感じでお喋りしてきました。
生まれた土地のこと、昔してた仕事のこと、趣味、長生きの秘訣などなど。

でも昨日ちょうど、清水さんの娘さんの幼馴染という方が来られて
そこで初めて実際に近くで震災を体験した方とお話しもしました。
ここで日々過ごしていても、やはり寂しい。でも住めば都やねという言葉を聞いて胸がグッとなりました。

医療事務を得意とするスタッフのまっすぐな言葉。(お名前は仮名)
勝山福祉避難所での餅つき。大きな声と力が一気に高まる瞬間

日々のあらゆる瞬間に起こる名もない出来事に、考えられるベターな行動を重ねていく

たった1日の関わりでしたが、災害という非日常のあとに日常を取り戻すプロセスで、そのプロセス自体が新しい日常でもあること、そして日々のあらゆる瞬間に起こる名もない出来事に、考えられるベターな行動を重ねていくことの大切さを感じました。
医者、という存在が大体その人の症状や状態、数分程度の出会いからいろんなアクションを決めていくことが多いなかで、丸一日生活の時間を共にすることで感じることがありました。

勝山福祉避難所での活動を経た、スタッフの言葉
年始にあった大きな出来事を経て。季節の迎え方を整えていく。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
私たちが目にしてきたもの、見地を現在進行形で、そしてこれからに活かしていく動きを進めています。まだまだ被災地支援は終わりません。一つずつ自分の持ち場でできることを互いに確認し合いながら。

終わりに、期間限定のお知らせです。1月30日、福井県勝山市では被災した高齢者などを対象にした『福祉避難所』を、開設し、医療法人オレンジグループが運営の中心を担っています。
3月31日まで、「勝山市」 と協力し福祉避難所支援のため、ふるさと納税ガバメントクラウドファンディングを行っています。ぜひお気持ちを寄せてください。
勝山市ふるさと納税ガバメントクラウドファンディングのページはこちら。https://www.furusato-tax.jp/gcf/2924?


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書き手:医療法人オレンジグループ
文責:藤岡聡子(医療法人オレンジ/診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ)
▶︎【寄付】支援活動への寄付・活動協力は こちら から / Donation for this rescue team 
▶︎【報道・発信】支援活動に関する取材は info(at)orangeclinic.jp へ / contact us via this account (Satoko Fujioka)
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