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この研究室でよかった(学部 ver.)

この研究室でよいかった。
本当にこの研究室でよかった。

研究室に所属して1年がたつ。
ゼミでの発表・卒論、大学生活の中で一番重たい1年。
ただ重たい1年を経てこの研究室で本当によかった。

このごじせい

年号も令和に代わり、ついにボクも平成生まれ
と馬鹿にされる時代になってしまったのかもしれない。

小学校・中学校でさんざんグローバル化とたたきこまれ、
それからはや10年がたった今、いったい
児童たちは何の時代と教わっているのだろうか。

『化』という漢字には「形や性質が別のものになる。かわる。かえる。」
という意味があるらしい。変化の途中。
10年前、グローバルになる途中だった。
しかし、今グローバルはデフォルト、あたりまえの状況になった。

さらに、日本式の年功序列・終身雇用の仕組みも崩壊しつつあり、
『個』が重宝される時代なのか。

研究室の自慢① ~ グローバル

変化に富みすぎた世界。保守的な日本人。
「井の中の蛙大海を知らず」といわれる。
逆に考えると、蛙は大海を知ればいいだけだ。
ただ大海を知るためには海を見る必要がある。

そこで我が研究室である。
今年度、我が研究室のメンバー6人のうち、2人が留学生。
(中国出身とインドネシア出身)
研究室に行くだけで、グローバルな雰囲気が漂う。

さらに、幸いなことにインドネシア人留学生は今年入学(ドクター)
で、チューターをさせてもらえた。
チューターは、留学生のお世話係で日々の生活を支える学生。
詳しくは今後改めてまとめるが、チューターでは
日々の生活のお手伝いから、話し相手、日本語教育、部屋探し
までサポートを行った。

井の中の蛙だったボクにが、ほんの氷山の一角ではあるが
大海をかいま見ることができた。

研究室自慢② ~ 放任主義

『放任主義』と聞いてどんなイメージを持ちますか?
調べると「成り行きに任せること。または干渉せずに放っておくこと。」
という意味があるらしい。
いい意味で言えば「個を尊重」
放任すぎると。。。放棄。

我が研究室のもう一つ自慢は『放任主義』。

ボクの専攻している分野で、この学科の中
には大きく分けて2つの派閥がある。
片方は保護主義、そして我々は放任主義。
もちろん我が研究室は放任主義なのである。
この1年、特に卒業論文。きつかった。
先輩からの指導はゼロ。
疑問をたずねると、「ネットで調べてみた?」と一言。
卒論を始める頃合いさえ情報ゼロの1年。
ゼロから トライ&エラー&トライ&エラー&トライ&エラー の毎日。
かたや保護主義の研究室は聞く前から答えを用意される。
苦労ゼロで1年を終えたらしい。
(彼らと話していてよく思うのは、彼らは「ネットの使い方知ってる?検索できる?」。超簡単な疑問さえ聞いてくる。ネット見ろ。。)
文句はここで止める。

当事者が本田圭佑みたいなポジティブ・向上心高め人間でない限り
保護主義に甘んじていきたいと思う。
ボクだって甘んじたい。
ただ、放任主義な環境で、自分で考え、トライ&エラーを
繰り返した方が確実に成長する。
実際、現在の能力の差は歴然。

どんな環境でも卒業のためには逃げることができないのが研究室。
ポジティブ人間でも向上心高め人間でもない私が
この研究室、逃げ道のない放任な環境で過ごせたことは
何にも代えがたい経験だ。

終わりよければ、、、

『終わり良ければ総て良し』そのものな1年をこの研究室で
過ごすことができた。

卒論提出3カ月前11月、卒論に全く取り掛からず不安にかられ
自ら教授に今後の方針を相談。ようやく、卒論をスタート。

卒論提出2カ月前12月、サポータをしている留学生の部屋探しで
丸8日間、研究に手を付けられず。

卒論提出前の月1月、6度研究室にお泊りの末
やっとの思いで論文の完成。

今思えば先輩の「ネットで調べた?」にすべてが詰まっているきがする。
聞けばすぐに問題は解決する。ただそこに自分の色はない。
なんのために研究室なのか。
自分の色を付けることさえできない大学生になんの価値があるのか。
コピーペイスター。

「人生やり直したい」とかほざくヤカラが世の中にはたくさんいるが
私はやり直したくない。
ただ、その結果としてかけがえのない経験をすることができた。

1年たって「この研究室でよかったと思う」

おわり


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