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『居場所と愛着の話』

ゆるです。ゆるくやりましょう、というのを自分が忘れないようネーミングしました。

ひきこもっていた時期はコロナ渦とかぶって二年ほどでした。精神疾患は、不安障害、うつ病、躁鬱など診断名を変えつつ10年ほど抱えています。とはいえ、ここ数ヶ月は本当に気分が落ち着いており、苦しんでいた時期の己の感情や思考がはっきりとは思い出せないところがあります。

抜け出せているときの穏やかさから紡ぐ言葉もいいものだと思いますが、誰かが「わかるなあ」と思ってくれたらいいな、という思いから、しばらくは数年前の日記帳をもとに綴っていきます。

  ***

大学生の頃。朝になってもろくに起き上がれず、講義に出席しても動悸や不安感、人が大勢いることへの恐怖感などでたまらず途中離席してしまうこともしょっちゅうでした。ひどいときは、ノートやプリントの紙の白さすらまぶしく、気分が悪くなることもありました。

そんな或る日、大学をサボって午後にひとり起きた私は、ふと思い立って自室を片付けました。片付いたあとの部屋を見て、なぜかこう思いました。

「ここにいてえなあ」「まだここにいたい」

明確にそんなふうに思ったのは、記憶にある限り初めてでした。当時、精神科に通うようになって四年ほど経っていました。その四年間、ほとんどの時間を強い希死念慮に引き込まれ、思考を割かれていました。教室にいるだけでいっぱいいっぱい。なぜかはわかりませんがよく勝手に左腕が震えてねじれました。指が内側に固まって動かないことも。朝がこわくて布団から出られない。暇さえあれば絶望する、泣く。卒業して一年近く経つのに、なおも母校の屋上から飛び降りるイメージに頭を支配される。亀になりたい、とよく思っていました。

そんな中、ずっと心の根っこにあったのが、「ここは私の居場所じゃない」とでもいうような。足元は地についていないし、常に氷水に漬けられているような緊張がありました。切実に、ドラえもんの石ころ帽子がほしかった。

日記より

幸運だったのは、祖母の存在でした。歩いて行ける距離にあった祖母の家は、私にとって理想の居場所でした。私がどんなに落ちぶれても、大枠としては変わりなく受け入れてくれる。甘ったれていいよ、と言ってくれる。そんな安心感がありました。私の中にいる、インナーチャイルドというのでしょうか、幼い姿をした私が、祖母の存在に救われているような感覚でした。今思えば、親と違って祖父母というのは孫をかわいがるだけでいいからいいとこどりできていたのもあったのでしょうが……。そう思うといたたまれませんが、安全基地であることに変わりはありませんでした。

なんと言いましょう。学校だとか、部活だとか、友人とのグループだとか。普通に楽しめていた頃は、わざわざ「ここにいたい」なんて思ったこともありませんでした。いることが当たり前だったから。しかしそれが、徐々に崩れていき、あるとき明確に「ここは私の居場所じゃない」になってしまいました。

でも、部屋を片付けたその日、私は「まだここにいたいなー、生きていたいなー、好きなもの、好きなこと、生きて、楽しめるために、力をつけて働けるひとになりたいなー」と思って、泣いたのでした。

  ***

それから数年経ち、生まれた土地を離れて名古屋に住んでいます。
正直言って、今の部屋は三年以上住んでいてもまだどこか馴染まないし、参加させていただいている低空飛行netさんも、友人たちとの集まりも、趣味の場所だとかも、「自分の居場所」という実感はありません。名古屋という街にも、いまだに強い親しみはありません。

ないけど、特に寂しくもむなしくもないです。
案外、このくらいの軽さの方が楽なのかもな、と最近は思ったりもします。

必死に焦っているときほど、欠落している(ように感じる)ものが、実際以上にまぶしく重たく見えるのかもしれません。

それでも、たぶん今でも祖母の家だとか、愛犬とよく散歩した公園に行けば、他のどこよりもうんと深いつながり、ここは自分の居場所であるという実感を得るのだろうなと思います。居場所への執着心は、愛着の深さと比例する部分もあるのかもしれません。

たぶん、分配できる「愛着」の量には人によって違うでしょうし、居場所が増えれば増えるだけ実感が軽くなるのは仕方ないかなと思います。ひとつひとつが軽くても、かきあつめて総量をはかれば全体量は変わらないのだとしたら、それは別に私が冷たいわけでも淡泊なわけでもないし、なにより変に一か所に固執するよりずっと楽でいられる気がします。
(たくさんある居場所にぜんぶ同じ重さで愛着を分配できる人もいるのでしょうが、私はそうではないのであくまで私の所感です。)

黒い霧の中でうずくまっていたような、何も見えず苦しんでいた時期より、やはり今の方がずっと生きやすいなあと思うのでした。

でも、愛着を深められるような、深めて重たくなっても支えられるような自分にも興味はあるので、少しずつそういう感覚も練習していきたいです。


お読みいただきありがとうございました。

2023/04/06 ゆる

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