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自分のことだってわからないのに、ひとのことなんてわからない。


先日、数年前の日記をもとに「居場所と愛着の話」を書きました。(精神疾患の話で「愛着」となると、愛着障害の話なんかがまず浮かぶかと思いますが、そうでなくてすみません。愛着障害についての記事もいつか書きたいなと思っています。)

noteの記事は、構成や矛盾、統一性などまったく考えず書いているのですが、それにしてもまとまりがないなあと。なぜまとまりがないか考えました。

ざっくり言うと、「居場所」というものに対する捉え方が、ひとつの記事の中で、

①いることが当たり前だったから、わざわざ「ここにいたい」なんて思ったこともない場所
②明確に「ここにいたい」と思う場所
③深いつながり、強い愛着を感じる場所
④③も特になく、軽い気持ちでいられる場所

と、よっつもあるんですね。
日記を書いている時点での「過去の自分」にとっての居場所、日記を書いている時点の自分が思う居場所、日記を読み返す私が思う居場所、とすべてばらばらです。

でもね、そんなものじゃないかな、と思うんです。

似た話で、未就学児の頃、小中高大それぞれの頃、それ以降のうんとつらかった頃。当時の自分が持っていた感性や苦しみを、私ははっきりと思い出すことはできません。
スポンジのように、なんて言われる幼い頃の感覚を、多感な時期、なんて言われる時期の感性を、今なお失わずいる人の方が少ないんじゃないんでしょうか。
10年前の己は他者である、なんて言葉を聞いたこともあります。

私は一応、苦しかった時期を通っているので、今現在苦しんでいる人の気持ちに同調して寄り添うことができるのだと思いますが、
もし生まれた時からずっと、今のような楽な精神状態で生きていたら、うつや不安障害、希死念慮のことなんてまるで理解できなかったと思います。

自分のことですらこうなので、他人のことなんて本当にわからないだろうな、と数年前に納得しました。

また、私は物心ついたときから──記憶にある限り、保育園に通っていた頃から──漠然と希死念慮にとらわれていて、常に行動選択のコマンドの中に

▶しぬ

があったような気がします。何故だかは自分でもわかりません。

で、私が耐えきれず「死にたい」ともらせば、家族はみんな怪訝な顔をするだけでした。「『死にたい』なんて言われた側がどんな不快な気分になるか考えて」と言われたこともあります。当時は深く絶望しました。自分ですらどうすればいいかわからなかったから。でも、今になって思えば、わからなくても仕方ないか、と思うのです。許しというよりは、諦め、です。諦めることで、過去の恨みや固執を禊いでいる感じです。

それと、私は10歳ごろから大学生くらいまで、リストカットの癖がありました。
怪我をすると、痛みをごまかすために脳から快楽物質が出て、それが気分を落ち着かせる。その理屈をのちに知って、なるほどなあと思ったものです。親に叱られたあと、不安で仕方ないとき、苦しいとき、手首を切るとすうーっと楽になったものです。

しかし、今は「手首に刃物を当てる!? そして自分で血が出るまで切る!? むりむり! こわい!」となります。手首を切って落ち着く気持ちは、まるでわかりません。
もちろん、たまに気分がうんと落ち込んだときは、切ってしまいたい、と思うこともあります。やらずに済んでいますが。
また、元気がないとき、あえて刃物を当ててみて、「あ、こわい! そう思うってことは、そんなに深刻じゃないな。切ってしまっていたときにくらべたら今は健全だな」という判別に使ったりもしています。

長々書きましたが、タイトルの通りです。ひとは変わる。自分のことだってわからないのに、他人のことなんてわかるわけない。

共通認識とか、常識とか、経験則とか。そういうものがあるおかげでコミュニケーションを取ることができるんでしょうね。
親子だって他人だから、「言わなくてもわかるだろ」はもってのほか。
昔、友人が「家族は性格ランダムの強制シェアハウス」と言っていたのが印象に残っています。しいて言えば、夫婦は互いに気が合う人を選んで家族になれたでしょうが、親子は違います。気が合うとも、親のどちらかに性格が似るとも限りません。

わかるわけない。だから、話すって大事だな、という思いを深くします。
それぞれの苦しみや思想のかたちを糸の細さまで細分化していけば「ぜんぜん違う」になるものも、綱の形まで太く撚られたものなら「わかる~!」と共感しあえるのもまた事実。大枠でなら、共感という意味で「わかる」こともできる。細分化していった場合でも、共感はできずとも知識として「わかる」こともできる。

わかろうとする、って大事。
自分にも言い聞かせるつもりで、この記事を書きました。

書いておいてなんですが、私は一番話すべき相手であろう両親と話すのには、今なお、乗り気になれません。だって、ろくに話聞いてもらえなかったし。寄り添ってもらえなかったし。ずっと上から押さえつけられてきたし。私の言うこと、すること、ぜんぜん肯定してくれなかったし。そうやってふてくされてしまう自分がいます。
でも、いつか、わかろうとしてくれないかな。少しは。なんて願います。正直言って、いまさら掘り返すのもつらいんで、もうなあなあにしたいんですが。

そんなことを、いとこからかかってきた「おじちゃんもおばちゃんも心配してたよ。帰ってきたら、って言ってるよ」という電話を聞きながら、思った今日でした。

お読みいただきありがとうございました。

2023/04/08 ゆる

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