僕の死生観
「死生観」
「死は敗北」
医師1年目〜3年目。
死なないようにするのが医療。
看取りは医療じゃない、医者として残念な仕事。
死は敗北。「お役に立てず、申し訳ありませんでした」
「大往生」
医師3年目。
大往生って言葉があるのは、医者になるまでは知っていたけど、
病院で働いているうちに忘れてた。
地域医療で目指すはその人らしい大往生。それを支える医療の役割もあった。
やっぱりあった。
「死の扉」
医師4年目。
あぁ、この研修医さんは、死ぬのは壁にぶつかるみたいなものと思ってるみたいだね。その壁には、扉があるんだよ。
診療所に来たお坊さんと「死」について話していて言われた言葉。
「ホスピスにはaiboがいた」
医師5年目。
毎週ホスピスに通って研修。
ホスピスにはカウンターバーがあったけどお酒は禁止だった。
アイボがいて、ワンワンと鳴いていた。マコっちゃん、という名前のロボットだった。たしか。
「先生のおかげで、家で死ねる」
医師6年目。
突然村にやってきた僕に「先生が来てくれたおかげで、家で死ぬことができる」と喜んでくれる人たちがいた。医師になって数年の僕に、出会ったばかりでそう言う人たちは、医師としての信頼(のみ)からこの言葉を言っているではない、と感じ、背筋が伸びたし、怖くもなった。がんばった。
「僧侶が仲間に」
医師12年目。
僧侶が履歴書を持ってやってきた。
そんな協働はありなのか?迷っていた僕に、ずっと一緒に働いてきた児玉先生が言った。
「良かったですね。やっと夢が叶いますね」
そんな夢、あったっけ。
でもずっと近くで見ててくれた児玉先生が言うのならそうだったのかもしれない。
「死は隠すもの」
仲間になった僧侶は、オレンジの前は高齢者施設で働いていた。
死が身近にあるところで働こうと思ったのだそう。
しかし
そこでは死は隠すものだった。
亡くなった方はいつの間にか退所していて、一緒に暮らしてきた仲間に知らせられることはなかった。
「死バトる」
医師と看護師と臨床心理士と僧侶。
「死の捉え方」について院内シンポジウムを行った。
なぜかステージをリングに見立ててバトル形式・殴り合いのシンポジウム笑。
医師として死を語ろうとすると平面的になることに改めて気づく。在宅医療をやる中で、医療から離れているというか、視野を立体的にしているというか。いろんな人で関わる価値を再確認。
「死にゆく人と共にあること」
医師15年目頃。
毎年5回、緩和ケア研修会の講師を務めながら終末期ケアについて学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、そして病院にいる頼もしい医療者の存在に気づけば気づくほど、地域にいる我々が行うべき終末期ケアの価値と実践に気づかされる。
ジョアンハリファックスさん、のアメリカサンタフェにあるお寺に、スタッフ2名が研修に。
伝達講習を受けながら、五感を使う大切さなど考える。
「今にも死にそうな弱い子どもたち」
在宅医療で出会う子どもたちは、明日死んでもおかしくない子たちばかりだった。明日死んでもおかしくない子どもに、
なんて話しかけるのか、何を施すのか。
子どもに、何を学ぶのか、
教わるのか。
答えの出ないテーマだから、何度も何度も語り合った。
時には泣きながら、時には笑いながら。
答えを出したいのは誰か。
死は、生とどんな感じで繋がっているのか?
成長、や、幸せ、にスポットライトを当てることができる職種と一緒に働く喜びと安心を知った。
「死生観ラジオ」
2020年。
ALS嘱託殺人、コロナ禍で高齢者はどう死んでいくか、バリバラ死生観。なんだか「死」にまつわるインタビューやら取材を受ける機会が増えてきた。
そして、メキシコへ。
世界には「死」を祝い、祭り、歌って、踊って、笑う。そんなところがあるらしい。
2022年、メキシコへ。
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