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3月の日記

某日
全社共通のE-learningや期首の福利厚生系の申請など、簡単な雑務はよっぽどじゃない限り、目についたら対応するようにしている。忘れてしまうため。
確実にやることと早くやれることの2重の意味を持つ。早いだけで回りからも評価を得ることができる。
今日も早いですね、とコメントを同僚にもらった。単純にメモリ上残しておくのがだるいだけだし、
そもそもそんなに忙しくないし、一定の時間集中しないといけない業務もそんなにない。
暇であることを露呈しているだけなのだろうか。

某日
いわゆるプレゼンは苦手だ。QAセッションの準備をしても質問に適切にこたえきれない。
自分の理解が浅いことを露呈してしまう。
事前に一回通して発表のイメージしても言葉に出すときには違うリズムになってしまって、変な言い回しになってしまったりする。
一回口に出して練習するのが大事のように感じる。
ただ本番に緊張しすぎているというのもある、普通に友達と話すときのように話せれたらと思う。

某日
購入した家のリノベをしている。
全体像やスケジュールが見えない中で、施工会社やローン先の銀行、モノの調達先、インフラの整備、現在の家の解約など平行で進める必要がある。
確かにプロジェクトマネージャは重要だと感じる。PMがいなければお客さんでそれぞれをコントロールする必要がある。
PMの重要性にこんなところで気づけるとは。

某日
フランスに長期的に行く友人とごはん。
これからも会いたいと思っていた存在の人なので、少し寂しい思いもあり、
節々に寂しい感じを出してしまった。重かったかもしれないと反省。
昨年シンガポールに滞在していたときのつらさや不満を吐露すると、フランスでも同様のことを感じているのだという。
それでもフランスの空気感が好きということで、一定期間住むことを決意したようだ。
あの辛さを上回るほどの楽しさを感じれるのは素晴らしいと思うのと、
やっぱりこれだけフランスに馴染んでいると外から見える彼女であっても、あの疎外感を感じていることに大変に親近感を抱いた。

某日
事前に準備するのが苦手だ。
本日、家具屋さんとのアポの予定だったが、先方の手違いもあり、10時過ぎに到着していたのに、
結局2時すぎまで時間をつぶすことになってしまった。
事前にちゃんと時間など一本電話するなどして確認しておけばよかった。
おおざっぱではなく、きめ細かい確認が必要である、パートナーはその辺はちゃんとしている。
一番近い存在であり、彼女から学ぶものも大変に多い。男のほうがすごい的なマインドにはどうしてもなれない。
逆に自分は何を与えられているのだろうか。

某日
1on1の実施の必要性を語られて久しい。
本日上司との1on1があった。
ただ、「最近どう?」とか「忙しくない?」となっても、まあ普通ですとしかあまり答えることができない。
オープンすぎる問いかけは口を閉ざさせる。
かといって、具体的な疑問や課題があったとしてもそれはそのときに聞いたりしているものでもある。
1on1で何を話すのだろうか。不平不満があったとして、それを上司に言えるものなのだろうか。上司も全権限があるわけではないので、結局はぐらかされたり、検討するという話でしかない。
自分なりの落としどころを見つけるしかないあるいは自分で変えるしかない。
おまえの手でこいでゆけ、おまえのオールを任せるなである。

某日
80denirという曲がたまたまYoutube Musicで流れてきた。
冒頭80デニールの恋をしたいのという歌詞で始まる。
デニールによっていい女かどうかがわかるみたいなネットの論調をフックにしているのが透け見える。
ただ、こういうのを楽しめるほうがいいのである、あざとくて何が悪いのである。
あざといと思いながら、ノる勇気がほしい。

某日
統計学の勉強で、ベルヌーイ試行のNが十分に多く、pが小さいときポアソン分布に近似できるというのを
ペンと紙を使って証明・導出していたら、1時間ほどかかった。
なんともコスパのいい人間である。紙とペンだけあれば、これだけ充実感を持てるのである。

某日
久々に中本に行く。
6年くらい前に行ったときの記憶だと辛くてうまいという印象だった。
今日行くと、ただ辛いだけに思えた。うまみがない。
肩透かしを食らったようである。そういえば、前にも同じように
おいしいご飯屋さんだと思っていたところがあんまりだったことがある。
年齢によって、お勧めのご飯屋さんも更新していかないといけないと実感。

某日
ドライブ途中トイレに行くために寄ったトリトン晴海。
作られた快適空間、いわば都会のショッピングモール。
便利であることは、選択をしなくていいことである。必要なものがすべてそろう。
それでいいんだろうかと考える。作られた安心と信頼の関係性に近い気がする。安心安全であることを重要視した先に信頼は来るのだろうか。
だが、間違いなくそこにいる人たちは自分よりよっぽどコミュニケーションをしていた。花見を大勢でしていた。
信頼関係はそこに間違いなくあるようだ。
自分の好き嫌いと良しあしを混同しない。
だが、大人数であると、最大公約数の話題しかできないから、制約が生まれると思ってしまうのだが、あそこにいた人達はそんなことは感じないのだろうか。

某日
会社の飲み会。
横のラインの上司は自分の話が長いし、少しマウント傾向がある、すぐに自分のターンにする。
気持ちよくなっていると思うし、自分も別の場所でそういうことをしてしまうときもある。ただ、相手からするとあんまりおもしろいものではないのだとその姿を見て学んだ。
結局お酒の力で気が緩くなっているので、言いたいことを言える場であると思うが、かといってストレスの発散先は面白くないのかもしれない。
ただ、自分の話をしないと会話が始まらないというのもある。
言いたいことは言うが、聞く姿勢も大事というかターンを奪わないことは大事。

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