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23卒人材志望が考える:学歴社会に生きるということ

ご無沙汰になってしまいました。ぽん🍊です。

最近急激に寒くなった気がしますが、

くれぐれもご自愛ください。


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最近の私はというと、就活にインターンにゼミにサークルに、と多忙極めております。

特に就活。23卒で5月から始めた(何も考えていなかったが、、)私は、サマーインターンに挑戦し、見事に何個も落ち、いくつか参加をして、早期選考始まるよ、という噂を耳にしながら会社説明会にいくつか顔を出す、という生活をしておりました。

そしてまあ、「予定通り」ですが、10月11月はかなりぼーっとするという「なかだるみ」もしっかり経験しました。

今はだいぶ復活して自己分析・エントリー・面接等進めていますが、いざ1つの企業を選ぶとなると色々考えますね。

これまで「人生はカネじゃねえ」なんて思って生きてきた私でも、生活費や将来の養育費や学費など「生きる」ということに結びつく「お金」をどう捉えるか、悩みに悩んでいます。

最近の一旦の答えとしては、
「大金持ちになりたい、という夢はないけれど、これまで生きてきた幸せを自分でも実現できるようにする」
という軸で捉えることにしました。





あ、そうだった、今回はお金の話をしたいんじゃなかった。

今回は、「学歴」について考えたことを少し共有したいなと思ってこれを書いています。

12月6日、Twitterの就職活動のトレンドが「学歴フィルター」についての話題一色になりました。

これに対して、私ならどう考えるだろうかと、少し言語化してみることにしました。
23卒の就活生が言語化の練習をしているだけだと思って、読んでくださると幸いです。


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学歴フィルターは確かに存在する。

まぎれもなく、存在する。

なぜか大学の名前に、ランクが付けられていて、その大学に通っている学生を採用担当はとにかく欲しがる。

でも本当にそうなのか?


「本当に、採用担当は優秀な大学から学生が欲しいのか?」


私は違うと思う。

採用担当は、「優秀」かつ「会社に合う」学生が欲しいはずだ。

その二つを満たす学生を集めるにはどうするか?

それぞれ定義すると、

「優秀」・・・①ポータブルスキルを持っている、②その募集職種に必要な専門スキルORポテンシャルを持っている

「会社に合う」・・・雰囲気、価値観、仕事への向き合い方、性格など

となる。


ここから考えると、まず、「会社に合う」という部分は会ってみないとわかるはずがない。

だが、「優秀」について、②は資格や学校で履修した科目、実績などで大体掴めるため、学歴から評価してもはおかしくないだろう。

そして①に関しては、「地頭」が大きく関わる。地頭の良さは、勉強ができること(成績が良いこと)以上に、目の前の問題を論理的に分解して、構造的に切り分ける能力が必要だ。
しかし、この地頭が良ければ、自然と効率よく勉強ができたり、一度で覚えられたりするということにつながるため、必然的に勉強ができる傾向にあるのだ。

つまり、勉強ができたり、学校の成績が良かったりする人は、「優秀」な人材として見られるのである。
そして、その授業のレベル自体が高いことや、勉強のできる人が受験を勝ち抜いて入学していることを踏まえると、いわゆる『学歴の良い』学生を採用担当は集めたいのである。

したがって、大学名でのフィルタリングをすること自体は、ある意味自然と言えるのではないだろうか。


しかし、私は学歴フィルターを容認して終わるわけではない。

この学歴フィルターは、②の職種別で変わってくる上に、求めてくるペルソナによって「優秀」の定義が変わるはずだ。
職種によって見る学校が変わるはずだ。

でも現実はそう簡単ではない。
理系は専門的な知識が多く必要な職業が多いが、
文系は事務職においてほとんど①しか見られないのが現状だ。
①を見るとき、やはり、有名な学校名から人を集めたくなってしまうのである。


ここで、「本当に、採用担当は優秀な大学から学生が欲しいのか?」という
問いに戻りたい。

私がなぜこれを違うと言ったかというと、先ほどの話のように、優秀な大学から人を集めたところで、「会社に合う」とは限らないし、何なら「優秀」の①②が必ず保証されているわけでもない。

つまり、学歴フィルターは、ざっくりと「優秀な人がいそうな母集団を切り出す」というものでしかない。

面接をする回数には限界がある上に、採用活動の時間も限られている採用担当にとって学歴は、使わないはずがないとも言える指標になってしまうのである。


ここまでで何が言いたいかというと、学歴フィルター自体は全く悪なるものではなく、むしろ自然なものであるということだ。

私がむしろ批判したいのは、学校に対するレッテルや、学歴フィルターを色眼鏡にしてしまう採用担当の存在である。

学校は本当に偏差値で決めるのがいいのだろうか。
中高大と人生15−20年くらいしか生きていない人たちに後の60−80年を見据えて受験や勉強に励むようになんて言えるのだろうか。
学歴が良いからといって価値観や人間性まで良いとは限らないのに、特別扱いや良い地位を与えることは果たしてどうなのだろうか。
学歴で将来が保証される、と心底で皆が考える世の中で本当に良いのだろうか。


私は、就活やインターンを通じて、何万人といる学生から優秀な数十人を取るためにとにかく短期間で絞りたいという企業の気持ちがわかってきた。

何でフィルターをかけるか、と言われたら、何か全員が一斉に同じ指標で測られた時、つまり中高や大学の名前でどうしても切りたくなってしまうのは、人間としてもはや仕方がないのではないだろうか。

しかし、学歴社会に生きる私たちは、学歴で他人を蔑むような誹謗中傷、学校名に貼り付ける必要以上のレッテル、学歴だけで特別扱いをする/受ける人がいる現状を、決して見逃してはならないと思う。


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最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

あくまで今の私の意見であり、決してこれが正しいと押し付けたいわけではありません。
持っていることを全部書けた、とも思っていません。

単に、こう考えたよ、と発信してみたいお年頃の23卒就活生です(笑)

気に入ってくださったら、ぜひスキをお願いします🥂
次に書く原動力になります😊


ぽん🍊

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