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藤原ちからの欧州滞在記2024 Day 20

Day 20
木曜日。目覚めると、窓の外に誰かの靴が置いてある。テラスが隣の部屋と共用だから、夜のうちに誰かがいたずらしたのかもしれない。悪趣味だな。通りを挟んだ向かいの建物の屋根に放り投げてやろうかと思ったけど、ま、いいか。チェックアウトの時、レセプションの人に「宿泊は問題なかったですか?」とにこやかに英語で訊かれて、もはや彼女すらグルではないかという気持ちになったけど、そういう疑心暗鬼を膨らませて悪意を溜め込むのはよくない。どこかで断ち切らないといけない。わたしのところで断ち切ろう。ええ、すべて順調です、Grazie, Ciao!とだけ伝えて、トリエステを後にする。
 
電車の旅。ヴェネツィアのメストレ駅でのクイックな乗り換えの後、あえてヴェローナで1時間ほど乗り換え時間が必要な便を予約しておいたのだった。去年、ローザンヌからミラノまでの帰り道にドモドッソラ駅で途中下車したのが面白い経験だったから。ただ、締め切り仕事が迫ってもいるし、雨も降っているから、わたしは駅構内のバールに陣取ることにして、実里さんだけ町に繰り出す作戦。ちょうど青年が席を立ちそうだったから、ここ座れますか?と英語で訊いたら、彼は、いや座れない、みたいなジェスチャーをする。かなりゆっくりとシンプルな英語で重ねて訊いてみたけど、彼はノーの一点張り。でも結局のところ彼は去って、席は空く。そっか英語が通じないだけか。その後ひとりでPC作業していると、隣のテーブルにいた黒人男性が、失礼ですがイタリア語か英語は話せますかと訊いてきて、英語なら、と答えると、実はGoogleカレンダーがこんなふうな不具合に陥っているのですが解決策を知りませんかと。あー、うちのワイフのほうがそういうのは詳しいんですけど今出てしまってて、ネットが繋がってないとかでは? いやテザリングしてるんですよ。あー、ちょっとわかんないですねーごめんなさい。いやいいんですお手を煩わせました。みたいなやりとりがあり、結局彼は自分で解決策を見つけたようで、しかし去り際にもわたしにわざわざさっきはありがとうと挨拶して去っていく。こういう比較を安易にするのはよくないけど、英語(もしくは外国人?)に対して心と身体を閉ざしてしまう白人青年と、オープンなホワイトカラーの黒人紳士、というのはあまりに対照的な(できすぎた)象徴としてわたしの記憶に残る。
 


ミラノのチェントラーレ(中央駅)に到着。小雨が降っている。水たまりを車が通るたびに、泥水が跳ね飛ぶ。それがわたしのズボンにかかる。さっそくのミラノの洗礼か……。いつもの10番線のトラムに乗ってチャイナタウン方面へ。懐かしい景色いうか、実里さんは、去年の滞在がつい数日前のことみたいだと言っていて、たしかに、そんなにブランクを感じない。トラムで向かいに座っていた人がなんと同じホテルの宿泊客で、まさか同じとは思わなかったですよ、とお互い笑う。受付のホテルマンはとてもフレンドリーなおじさんで、日本にも行ったことがあるらしく日本語で挨拶してくれる。トリエンナーレが押さえてくれたこのホテルは、いわゆるビジネスホテルではあるけれど今回の旅で泊まっている中では最もグレードが高く、部屋にシャワーやトイレがついているのも嬉しい。逆に言うと、それだけでありがたく思えるほどの貧乏旅でもある。
 
部屋の小さな机で作業。プラハで6月に開催されるラボの事前オンラインセッションが数日後に控えていて、そのために各参加者は自己紹介のスライドを用意しないといけないんだけど、その締切がシンガポール時間の今夜23時59分、つまりミラノの18時なのだった。締切の3秒前くらいにギリギリ送信。まあアプリケーションとかではないから遅れても許されそうだけど、旅を身軽にするためにもタスクはサクサク片付けておきたい。
 
 
雨が降ってはいるけれど、晩御飯をどこかで食べなくてはいけない。あ、そうだ、ここからだとトラムの14番線で一本で行けるじゃん、と気づいて、去年何度かお邪魔したトラットリアに行ってみることに。いづみさんやジョルジョさんに連れていってもらったお店で、ARCI(イタリア余暇・文化協会)とも深い関係がある。時々、読書会や音楽ライブやパフォーマンスのようなことをやっていて、ジョルジョさんも何かやりなよという話になって、先日彼はシモーヌ・ヴェイユについての作家紹介をしたらしい。去年この店に出会えたのはミラノ滞在での大きなハイライトだった。この店を訪ねてようやく、ミラノ人の心のありように触れることができた気がした。


地図を見なくてもどこでトラムを降りればいいかは身体が覚えている。とはいえ営業中かどうかは心配ではあり、Google Mapによると営業しているらしい。Googleと相性良さそうなお店ではないので、実際行ってみないとわからない。近づくと明かりが灯っていて、店の若い衆たちがドアの前で駄弁っている。入れますかと訊くと、もちろんどうぞ、とのこと。おそるおそるドアを開けてみると、カウンターで誰かと話していた店主のディノさんは、一瞬固まったあと、おおおーお前たち帰ってきたのか!と全身で大歓迎してくれる。以前はいづみさんに通訳していただいていたので、全編イタリア語のディノさんの言葉の意味するところはわたしたちには直接はわからないのだけれど、ところどころGoogle翻訳で補ったり、身振り手振りでコミュニケーションをとる。この人たちは英語が話せるぞ、と他のお客さんを紹介してくれて、テーブルをくっつけて、君たちここで一緒に食べなよ、とディノさんが大テーブルをつくっていく。この日初めてたまたまこのトラットリアに来てみた、という2人組も加わって大所帯に。今日は飲み物は店のおごりだ!と赤ワインのボトルが何本か開く。いつもながらに美味しい食事も、アメリカのペンシルバニア出身のロロさん(ルーさん)夫妻にご馳走になってしまって、結局うちらは一銭も払うチャンスがなかったという……こんなことがあっていいんだろうか。日本からのお土産として持ってきた七味唐辛子をディノさんはかなり気に入ってくれたというか、料理人マインドを刺激したらしく、さっそくいろんな料理にふりかけて試している。なんの話の流れだったか、俺はコミュニストじゃない、アナーキストだ!と宣言するディノさんに、そういえばMisato Todaを知ってるか?と訊かれ、存じ上げなかったけど検索してみると戸田三三冬さんという人で、エッリーコ・マラテスタのイタリア社会主義の研究をしていたらしい。Si, Si, そうだマラテスタの研究者だ、もう亡くなってしまったけどな、と頷くディノさんは、いつのまにかわたしたちのためにちょいちょい英語も喋ってくれるようになっている。最後に、もっとワインを飲むか、グラッパでもいいぞ、と勧められて40度くらいのそれに挑戦。あっ、これってそうかあのキプロスで悪酔いしてしまったウーゾのお仲間か……。わたしは危険を感じで少しに留めたけど、実里さんは気に入ったみたいでけっこう飲んでゴキゲンになっている。ミラノに帰ってこれてよかった。その短い滞在の、初日の夜が更けていく。




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