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プロを目指さずサッカーをする意味があるのか?ユース、浪人の挫折から得たもの #私のルーキー時代 4年 日掛 凱斗
・毎日が挫折の日々
朝は6時に起き学校の朝課外に出席、夕方学校が終わればそのまま練習場へ直行、練習が終わって家に帰れば夜中の3時まで次の日の授業の予習、そしてまた6時に起きて学校へ...
僕が経験した高校生活は、中学生の日掛が思い描いていたそれとは異なり、毎日が競争、挫折の日々だった。
中学生の時はそれなりに成績は良く、サッカーも所属したクラブチームではスタメンとして県1位に貢献し、全国大会は逃したものの、九州大会には何度も出場した。
昔から勉強もサッカーも負けず嫌いな性格であったため、中学3年生のときの進路選択はかなり慎重になった。チームメイトの多くがサッカー強豪校へ特待生として進学していく中、僕は勉強の選択肢を捨てたくはなかった。それはサッカーが外れたときの保険というよりは、せっかく得意な勉強を無駄にしたくはないという思いが強かったからだ。いくつかの選択肢があった中、僕は勉強は勉強で県内有数の進学校に、サッカーはサッカーで縁あってギラヴァンツ北九州U-18に入団することとなった。
中学時代にある程度の競争を勝ち抜いて、高校生活でもある程度やっていけると思っていた。しかし、そんな迷妄は高校入学3か月で破られることとなる。高校の最初の模試では校内平均点かそこらの点数しか取れず、チームの練習もついていくのがやっとだった。2年の時にはスタメン落ちも経験した。そして何より感じたのは合同練習やトップの選手との練習試合で感じるトップチームの選手との圧倒的な差。
何もかも足りていない。
試行錯誤の日々が続いた。どうすれば少しでもその差が埋められるのか、どうすれば校内順位を一つでも上げられるのか。勉強にしろサッカーにしろ時間が全く足りなかった。
三年間藻掻き続けた。考え付いたことを行動に移し続けた。これが後に大きくプラスに働くことはこの時の日掛はまだ知る由もないが、当時はとにかく行動に移した。
自分のやってきたことがほんの少しだけ結果として現れたのが高校3年生のときであった。実力模試での校内順位は安定して2桁に入るようになり、教科によっては1桁順位も取れるようになった。チームでもスタメンとしてチームを引っ張る立場になった。しかし、
ちょっとやそっと行動に移しただけで結果が付いてくるような簡単な世界ではない。
・プロへの道を断った大学入試と大学入学
高校を卒業するときにトップチームに昇格できなければプロサッカー選手になることを諦める。
ユースに入団する当初から決めていたことだ。トップチームに昇格できなければ、もう一つの夢であるエンジニアとしての道を歩む。
ついにトップチームへの昇格は叶わなかった。幼稚園の時に抱いた最初の夢
「プロサッカー選手になる」
という日掛凱斗の夢はついに叶わぬものとなってしまった。
これは大きな挫折でありターニングポイントであった。
ただし、ただ夢を諦めて腐ってしまうことと、次の夢を追い求めることには大きな差がある。今になって思うことは、夢は、その夢を追い求めるプロセスに自身の成長があり、夢の大小、内容に関わらず、「夢を持っている」ということがその本質的価値なのである。
しかしながら、大きな夢が破れたのは事実であり、それは当時の僕にとって大きなショックとなった。さらに、ショックな出来事は続く。
”二兎を追う者は一兎をも得ず”
という諺はまさにこのことをいうのであろう、高校3年生の12月までサッカーをしていた僕は志望校に落ちることになる。二度目の大きな挫折である。
やむなく一年間の浪人期間を経て挑んだ二度目の大学入試。周りの人の多くが今回は大丈夫だろうと思っていた。周りの期待が大きな重圧としてのしかかっていたが、それは苦ではなかった、むしろプレッシャーは大歓迎だ。
ユース時代に監督からこんなことを言われたことがある。
失敗の原因はこの3つに集約される
・慢心
・思い込み
・準備不足
この時の自分にもあったのであろう、一年間しっかり準備してきたし何とかなるだろう、という慢心が。
結果はまたも不合格。中期日程で合格した大阪府立大学へと入学することとなった。
中学までの経験からなんとなく、”努力したつもり”でいればなんやかんや自分の望んだ結果が得られる、と思い込んでいた。しかしながらそんなことは毛頭ない。そもそも僕は「努力」とか「頑張る」とかいう言葉が嫌いだ。そんな言葉自分に使っても何の信頼性もない。こういう言葉は他人からかけてもらって初めて意味を成す言葉だ。そして落ち着いて考えればわかることだ、自分より”努力”している人なんてこの世界にごまんといる。僕が三回の大きな挫折を味わったのは”必然”だった。
ではどうすれば彼らに勝てるのか。そのヒントも幸か不幸か僕の高校生活が教えてくれている気がする。
行動すること
先人に学ぶとしよう。これもみなさんご存じ漢書の諺
「百聞は一見に如かず」
実はこれには付け加えられた続きがある。
百聞は一見に如かず
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず
百行は一効に如かず
百効は一幸に如かず
百幸は一皇に如かず
この意味を簡単に説明すると、
百聞は一見にしかず、は、たくさん聞くよりも、実際に見るほうがよいという意味。
百見は一考にしかず、は、たくさん見るよりも、自分で考えたことがよいということ。
百考は一行にしかず、は、考えるだけでなく、行動するべきということ。
百行は一果にしかず、は、行動するだけでなく、成果をださないと意味がないということ。
百効は一幸に如かず、は、成果を上げるだけでなく、それが幸せや喜びにつながらなければならないということ。
百幸は一皇に如かず、は、自分だけでなく、みんなのことを考えることが大事ということ。
となる。気になる人は詳しく書かれた引用元を示しておくので読んでみてほしい。
話が飛んでしまったが、ここでは、いったん幸せや喜び、皆のことを考えることは置いておいて、百考は一行に如かず、百行は一効に如かずにフォーカスしたい。考えるだけでなく、行動するべき。行動するだけでなく、成果を出さなければ意味がない。高校生日掛凱斗は、試行錯誤の末考えて行動するという選択をした。ただ、成果を出し切るまでの時間があまりに短すぎた。次は、
成果が出るまでやり続けること。
彼らに勝つためにはこれが一番の近道だ。
そういう覚悟をもって僕は大阪府立大学に入学し、そしてサッカー部に入部した。
・変化する目的
変化することの重要性については、去年ブログにて書いているのでそれを読んでみて欲しいが、ここでも僕は重要な思考の変化を生んだ。
大学のサッカー部での僕がサッカーをする目的は、僕が今までのカテゴリで抱いてきた目的とは異なる。もちろん今までの目標は、「プロになること」であった。なので必然的に成長のベクトルは内向きである。自分の成長のために反省をし、次に繋げる。
しかし大学では違う。外向きのベクトルである。自分の成長よりもチームの成長を考える。自分が今まで吸収してきたものを今度はチームに還元する。
チームが良くなるためには自分は何をしたら良いか、チームにどのように働きかければ良いか。
これをもとに反省をし、次につなげる。
ここでようやくタイトルの問に答えることができる。プロを目指さずにサッカーをする意味はある。それは
チームの勝利のためであり、チームの幸せや喜び、そしてチームメイトのことを考えるためである。
百行は一効に如かず
百効は一幸に如かず
百幸は一皇に如かず
ということだ。
間もなく大学4年生としてのシーズンが開幕する。我々に足りないのは考えることでも行動することでもない、結果だ。自分だけでなく大学合併前の大阪府立大学サッカー部としてもラストイヤーになる今年、誰もが驚くような結果を示す。そのために僕はチームのために最後まで走り続ける。
日掛 凱斗
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