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大学サッカー3年目、サッカー人生16年目の僕が今思うこと #私のルーキー時代 3年 柏木完太

この記事に目を通してくださった皆さん、ありがとうございます。大阪府立大学体育会サッカー部、新3年の柏木完太です。             この度はplayer企画の  #私のルーキー時代  に参加させていただきました! 全選手が日替わりで投稿しており、きっと各部員の記事に

発見・共有・共感

の要素が見つかると思います!自分自身も、普段はふざけあったりしている部員の心の内の熱い部分を文章として見ることができるのはとても刺激です!自分の記事も他のチームメイトの記事も最後まで読んでいただければ幸いです。

目次

夢の終わり。新たな夢。

プロサッカー選手になりたい。

小学校からの夢であったこの夢をあきらめたのは中学三年生の秋、小学校の時のチームメイトの試合を見に行った時のことだった。Jgreen堺のあちこちでクラブチームのジュニアユースの試合が行われており、自分達の年代のトップでしのぎを削っている連中のレベルの高さを目の当たりにし、僕はプロサッカー選手にはなれないと感じた。

その時の自分は市内ではそこそこ強く、厳しい中学校でサッカーをしており、その中で中心人物であり、さらに主将としてプレーしていた。とにかく自分が上手くなることばかり考えていたが、周りのことは全く見えておらず、戦術なんてほとんど教わることがなかった。そのため、自分の年代のトップレベルのサッカーを見たときの衝撃は大きく、サッカー選手にはもうなれない。と直感的に悟ったのだと思う。

努力は量より質、方向性が大切

何も考えずに、ただがむしゃら努力していても夢に近づかないことを知った。この頃の自分は、努力の量はトップレベルだった自覚がある。それでもこれほど大きな差をが開いたのはそのが、方向性が間違っていたから。頭を使っていなかったから。そのことに気づき、自分は次の夢は絶対に叶えたいと思った。そうして掲げた夢が高校サッカーで全国大会に出ること。中学時に練習参加したこと、全国大会に出場した実績があること、良い指導者いること、公立費用が安いこと、勉強もできることなど様々な考慮の末、自分の夢をかなえるために市立西宮高校に入学、サッカー部に入部した。

叶わなかった夢

高校に入ってからは毎日が刺激的だった。公立高校で進学校で、スポーツ推薦もない高校ではあったが、監督は自身が一度経験した、僕の夢でもある全国大会に出場するという目標をブラしたことはなかった。全国大会に出るためには、県内でも多くある自分たちよりも技術や体力面で格上の相手に勝ち続けなければならない。そのために重点を置いたのが戦術理解共有認識の部分。それは自分が中学の終わりに気づいた頭を使うことに重点を置いたサッカーだった。
幸いにも、身体能力の高さが評価され、入部してすぐにスタメンに入ることができたが、中学の時までほとんど頭を使わずにプレーしていた僕は毎日、わけもわからないままで怒られてばかりだった。通ったパスに対しても他のパスコースの方が有効と怒られたり、サポートに行くタイミングや角度が悪くて怒られた。これまで自分がミスだと思っていなかったプレーがミスであったりすることを知った。そして何より、そんな風に毎日頭を使って、色々なことを考えてするサッカーはこれまでしてきたサッカーに比べてはるかに楽しかった。

自発的に考えてプレー(行動)に移すというサッカー以外においてもとても大切なことを、この高校に入ったからこそ学ぶことができた。

全部で6回、僕にはこの夢を叶えるチャンスがあった。この6回のチャンスのうちに達成できなければ、僕の夢が一生叶うことはない。特に自分が3年になった年は、自分にやれることは全てやったつもりだった。

しかし、僕の夢は叶わなかった。最も夢に近づいたのが3年時の総体、選手権のベスト4という結果だった。

高校サッカー最後の試合、終了のホイッスルを聞いた瞬間に様々な思いが込み上げてきた。

明日から授業が終わってからすぐにダッシュでグランドにでなくていいのか。
このメンバーでサッカーすることはできないのか。
日々の生活のなかでプレーのことを考えることはなくなるのか。
監督、両親、応援してくれたメンバーに恩返しはできなかったのか。
僕の夢はこれで終わったのか。


答えは全てイエスで、それを瞬時に受け入れるのは無理だった。

試合が終わり、学校に戻り、3年生だけが残され、部員として聞く最後の監督の話があった。

五年ぶりに準決勝に連れていってくれてありがとう。卒業まで毎日学校には行けよ。

この頃、僕にとって学校は部活をするための場所で、授業もほとんどが受験勉強の対策に入っていたため、自分で勉強できるならもう学校に行く必要はなくなったなと思っていた。それがサッカー部の価値を、自分の3年間全力で打ち込んだものの価値を落とす行動だということに引退の直前、最後の最後、監督に言われるまで気がつかなかった。

もちろん、卒業まで一日も休むことなく学校に行き、大阪府立大学に入学、サッカー部に入部した。

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大学での目標。

合格が決まった段階で練習に参加し始め、練習がない日は高校の練習に行くことで少しでも早くブランクを埋めれるように努めた。
慣れない大学生活や練習時間、高校とは全く異なる戦術に苦戦しながらではあったが、前期リーグの第3節に初めてスタートで試合に出場した。

しかし、試合が終わってみれば0-3の完敗。ただただグランドを走り回るだけ、何にも貢献できずに終了した大学デビュー戦となった。

この試合で自分にとって重要な気付きがあった。それは高校サッカーと大学サッカーの強度の違い。プレスの速度、フィジカルコンタクトの強さ、空中戦の競り合いなど、府大の中で練習しているだけでは気付くことがなかった部分に気付いた。それまでの自分は思ったようなプレーができなくても、まだ自分の体がフルコンディションに戻っていないだけ、戻ればもっと活躍できる。と考えて練習していた。でも、この試合で今の現在地が「関西2部Bリーグ(現3部リーグ)でも活躍ができない選手」であることを初めて、はっきりと認識した。

それからというもの、自分の高校時代までのストロングポイントであった運動量と球際の強さ、フィジカルコンタクトは負けてはいけないという思いが強くなり、練習中の一つ一つのプレーの強度にこだわり、授業の合間に筋トレや体幹をすることで自分なりに強みを活かすような行動をしたつもりだ。

しかし、終わってみれば結果は10チーム中8位であり、下との入れ替え戦でも2-2引き分けで、「引き分けであれば上のチームが残留」というレギュレーションによりなんとか残留したという結果であった。入部当初よりも個人的にできることが多くなってきている感覚はあったものの、チームとして掲げていた「2部A(現2部リーグ)昇格」という目標を果たせなかった。

それからこれまでのサッカー人生では味わうことのなかった「オフシーズン」に入り、2週間ほど部活がない期間があった。この期間に大学1年目について振り返ってみて、ある重大なことに気づいた。

大学に入ってから自発的に夢(目標)を定めていなかった

僕は一年目、チームが掲げた「2部A昇格」という目標をあたかも自分が設定したような気になっており、本当にそれを成し遂げたいのか、他に夢はないのか、を全く考えていなかった。だから、上にあげたような個人のレベルアップをするための取り組みばかりしており、目標から逆算して、それを達成するための行動を取ることができていなかった。そうしてじっくりと考えた結果、チームとして一つのことを成し遂げる喜びを感じたい、もっと高いレベルで多くの試合をしたいなどの理由から、チーム目標と同じである「2部A昇格」という目標を個人としても掲げて二年目を迎えることにした。

二年目、その目標を達成することはできず12チーム中6位という結果に終わった。とはいえ、自分で目標を掲げたことで、1年目よりもチームのことを考えて過ごすことができ、自分から積極的に色々なことに関われたとおもっている。個人のレベルアップだけでなく、周りへの働きかけや周りを巻き込んでの自主練に取り組めたのは自分の中で評価している。

自分に足りないもの、最後に残すべきもの。

大学とは、社会に出る一歩手前の段階。部活動においても、高校時代とは大きな変化を感じている。運営やチームの組織のことをほとんど学生が主体となってやることになり、予定や練習時間などを自分達で決めることが多い。勉学でもそれは同じで、これまでは与えられた答えのある問題を解くという受動だったものが、まだ答えの出ていない新たな発見のために自ら決めたテーマの研究の取り組む能動に変化する。高校とは違って自分で時間の使い方を決めることができ、僕はその多くの時間を能動的にサッカーに費やしている。そして、そこからたくさんのことを学ぶことができたと実感している。

しかし、いくら多くのことを学び成長できたといっても、こうして振り返ってみると自分は夢や目標を何一つ達成できていないなぁと心から実感する。これは、自分の目標達成のための行動が足りていないという何よりの証拠。中途半端な気持ち、行動では目標は達成できないことを再認識した。

もう大学サッカーも折り返し、全力でサッカーができる期間もあと二年。これまでの16年間続けてきたサッカーの集大成。多くの大切なことを教えてくれたサッカーで最後こそは目標を達成できるよう、結果にこだわって行動する結果でいつも応援してくれている人達に恩返しをしなければならない。これが今の僕の決意。


長い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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新3回生 柏木完太 

#私のルーキー時代 #大学サッカー #大学スポーツ #サッカー #Football #大阪府立大学サッカー部



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