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浪人しても尚、プロを目指すサッカー人生 #私のルーキー時代 4年 駒井基大


前書き


僕が大学でサッカー部を選んだ理由は、非常にシンプルですが、サッカーを本気で極め、サッカー選手になるためです。小学校5年から高校まで約8年間持ち続け、そして追い続けてきたサッカー選手になる夢を諦めたことは一度もありませんでした。大学に入学したときも、その思いは変わりませんでした。
しかし、実は僕は高校卒業後、1年間浪人をしています。こんな話をすると、サッカー選手になることが夢なのになぜ勉強もしているのか、という問いが浮かぶと思います。

サッカー選手を目指すのに勉強もする理由

一言でいうと、「勉強もできるサッカー選手になる」ためです。サッカー選手を目指すにあたって、中学生の頃から、誰も成し遂げたことないことを成し遂げたいという思いが強く、そこから当時の自分が思いついたのがこの将来像でした。
中学生の時は全国大会ベスト16まで進んだり、大阪府選抜に選ばれたりと、肩書きとしては十分積むことができ、高校選びの際、サッカーの強豪校からオファーを6校ほどいただけました。しかし、「勉強もできるサッカー選手」になるために、受験で洛南高校に進むことを決意し、勉強でなんとか進学できました。大学選びは、国公立以上に行き、そこからサッカー選手になるという目標があり、現役では国公立は無理だったので浪人を決意しました。そして1年の浪人期間を経て現在の大阪府立大学に進学したという経緯です。

大学に入ってからの苦悩

大学に進学した後、間も無くして、サッカー部に入部しました。しかし、1年間の浪人期間を経て、体重が20kgほど増えていて、初めは思うようにプレーできませんでした。それでも何とかして早くプレーを戻したいと思い、死に物狂いで努力しました。
食生活では、昼ご飯はよく友達と学校の食堂に行きますが、当時僕は2リットルペットボトルの水を持っていき、友達が目の前でご飯を食べている中、僕はそれをひたすら飲んでいました。晩御飯は生卵一個と納豆2パック。練習後は帰ってすぐ筋トレとランニング。
そんな日々を続けて、4ヶ月ほどで20キロの減力に成功しました。

努力が実り出した瞬間


結果が出ないうちの努力は本当につらく、苦しいものです。大学一回生は、減量はできたものの、結局プレーにおいて、いくら努力しても何の成果も出ず、試合に出場することもほとんどできませんでした。
それでも腐らず、常に成功する自分をイメージし続けることでモチベーションを保ち、努力を継続しました。そうして、大学2回生になり、花開き出しました。その年はプレーにも手応えを感じ始め、試合にも出場する機会が大幅に増え、その年のリーグ年間優秀選手に選ばれました。またその翌年も、コロナで練習ができない時期もありましたが、やるべき事を常に考え、努力し続けた結果、その年も年間優秀選手に選ばれることができました。
また、それより嬉しかったのは、今年Rebackというプロ集団と試合をした際、そこでプレーを評価され、2週間のキャンプへの参加要請をもらえた事です。自分が目指しているプロの方々に直に評価をいただけて、率直に嬉しかったですし、今まで努力してきて良かったと思えた瞬間でした。(写真1番下がRebackというチームです)。

努力することは、時には孤独であり、辛く、本当に心が折れそうにだってなると思います。周りを見渡せば、1日中楽しそうに遊んでいる友達や、キラキラした大学生が沢山います。そんな人たちを見て、自分はこんなに頑張っているのに、結果も出ないし、もっと気楽に楽しく生活したい。。。そんな事を思ってしまう事もありました。しかし、成長できるかどうかは、この瞬間だと思っています。そこで道半ば努力をやめてしまう人と、目標を見失わず、努力し続けられた人。
決して前者を否定するつもりはありませんが、後者の方が必ず前者よりももっと価値のある、大きな幸せを掴み取れると僕は信じています。

最後に

僕は「勉強もできるサッカー選手」という中学の頃に掲げた夢を今はまた違う意味づけをして目指しています。その意味づけとは、多くの人に夢や希望を与える事です。僕は小さい頃から、サッカー選手ないし兄のサッカーをしている姿に夢や希望を与えてもらい、それが大きな原動力となりここまで頑張ってこれました。なので、今度は自分がサッカーをしている姿で、人々に夢や希望を与える側になりたいと思い、そのような意味づけをしました。
大学サッカー最後の1年、積み重ねてきた努力を結果に結びつけ、サッカー選手への茨の道を最後まで突き進もうと思います。







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