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支援の起点・本質・態度

1.支援の起点

提出いただいた事例を拝見しながら、
事例の日常に思いを馳せるとき、
こんな想像をします。

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人生で、初めて体験する出来事。
冷静に課題に向き合おうとしても、
どうしようもないほど動揺してしまう。
それでも何とか頑張ろうとするが、
途中ですぐに、気持ちが折れる。

折れた気持ちはどんどん沈み、
悪いことばかり考えてしまう。
若い頃は「なにくそ!」と思えたことも、
気力も体力も、ついていかない。

こころの中は動揺でいっぱいになり、
溢れだしそうな感情をおさえるのが
精一杯。

寡黙になり、意味のない活動が増え、
きっと私を知る人たちは、
「あの人、おかしくなった...」と思うだろう。

確かに、自分でもおかしい...と思う。

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この状況の中で、
事例は皆さんと出会います。
皆さんが事例の立場だったら、
どんな対応を望むでしょう。
「支援の起点」は、ここにあるような気がします。


2.支援の本質

私たちの人生には、「これが正しい」という解はなく、
「その人なりの歩き方」があります。

Webinarでは、これを「ライフコース」と呼びました。

ライフコースを辿っていると、いくつかの
ターニングポイントが見えることがあります。

時に...
「何故ここで、その選択をしたのか?」と
感じることもあります。

しかしその選択は、
事例が置かれた状況の中での「最適解」
であったはずです。

「いや、別の選択もあったでしょ!」
という声が聞こえてきたとしても、
事例にとっては、「最適解だった」...のです。

「自分で決めた」というよりも、
置かれた状況のなかで、それを選択する
しかなかった、という場合もあるでしょう。

私たち支援者にできることは、
選択に対する批判ではなく、理解です。

事例に与えられた人生を、
事例がどのように生きてきた(いく)か。
それを理解する立場にいるのが、
支援者の立ち位置ではないでしょうか。

むやみにサービスを提案するよりも、
事例が選択した「最適解」を理解しようと務める。

その姿勢を、事例に示し続ける。
その方法は、言葉だけではないはずです。
1回だけではなく、何回も示し続ける。

支援者の姿勢から、
事例が何かを感じてくれる時が来ます。

事例が感じる、「何か」
事例が感じる、「その時」

その感覚は、支援者によるものではなく、
事例が「感じるもの」です。

「支援の本質」とは、
事例が感じてくれたもの(orこと)以外の
何物でもない...と私は考えています。


3.支援者の態度

では、事例が置かれた状況。つまり...

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寡黙になり、意味のない活動が増え、
きっと私を知る人たちは、
「あの人、おかしくなった...」と思うだろう。
確かに、自分でもおかしい...と思う。
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この状況に、あなたが置かれたとします。
あたりを見回して、
解決策を見つける気力もない...。
体力もない...。

さて、支援者としてのあなたはどうしますか?
事例に、どんな言葉を投げかけますか?
使える資源は何もない...のです。

この時、「支援者としてのあなた」が
問われます。
絶体絶命の状況の中でこそ、
支援者の真価が問われるのですね。

支援者としてのあなたはどうしますか?
事例に、どんな言葉を投げかけますか?

事例は深みの中で静かにもがき、
あなたは、その前に立っています。
あなたと事例を繋ぐものは、ただ1つ。

あなたの「心の奥」にある言葉…

あなたなら、どんな言葉を投げかけますか?


冒頭の画像は、taketaketjさんのものをお借りしています。
ありがとうございます。