見出し画像

【人の理解とブランド論】①人にはなぜ、同じことにする癖があるのか。

外出自粛、ステイホーム。何も気にせずふと散歩に出かけることができる世の中が、また戻ってくるといいですね。それまで我慢我慢。

散歩していて目にするもの。草花や樹木。
でも僕、植物の名前を覚えることが苦手です。というよりも、そもそも覚える気持ちがない。

花ひとつとっても、赤い花に黄色い花、淡い色合いや鮮やかな色合い。
ひとつひとつにそれぞれ特徴があるけれど、まとめて綺麗な花。それで僕は良い。

今年は花見をできなかったけど、桜にだって、ソメイヨシノに河津桜、シダレ桜に八重桜と、いくつか種類があることは知っている。けれど、それ以上はよく知らない。でも、桜の花はおしなべて綺麗だと思っている。

いつか急に興味が湧いて、詳しくなる日が来るのかもしれないけれど、今のところはこれで良い。そう思っている。

違いがあることを知っているけれど、その違いを正確に把握していなくても良い。
まとめて、花や桜。それで充分だし、それで通じる。

でも、僕の言う花や桜は一体何を指しているのか、それを詳しく説明しようとすると、さて。
中々に困ったことになりますね。

養老孟司さんが、著作や講演で度々取り上げている ”an apple” と “the apple” の話が好きです。(引用)

引用すると長くなるので、その趣旨を会話としてまとめてみると。

「梨とリンゴ、どちらが好きですか?」

「美味しい梨とそうでもない梨もあって、美味しいリンゴとそうでないリンゴもある。
だから、誠実に、正確に、この質問に答えようとするならば、質問にある梨とリンゴは、それぞれどの梨とリンゴのことかを指定してもらえないと答えられません。」

質問者にとってのリンゴは ”an apple” で、答える人にとってのリンゴは ”the apple” 。
意識の中のリンゴと、実態としてのリンゴの違い。

意識の中のリンゴって、よく考えるとあやふやなものですよね。
ひとつひとつのリンゴは、味も色も形もそれぞれ違う。
つまり、感覚で捉えたリンゴには、同じものなど他に一つとして存在しないのに、
まとめてリンゴ。それで通じてしまう。

人間は、それぞれ異なるものを「まとめて同じようなもの」としてしまう。
人間の脳にはそういう働きがあると、養老孟司さんは言っています。

①リンゴや梨→②二つまとめて果物→③野菜と合わせて青果→④肉や魚と合わせて生鮮食品・・・。
確かに意識とは、乱暴な程「同じようなもの」としてまとめてしまう。
人間の脳の働きが、人に「同じことにしてしまう癖」をもたらしている。

意識は同じにする方向に、感覚はそれぞれの違いを明らかにする方向にはたらく。

人間を理解する上で、これはとても重要なこと。僕はそう思っています。

それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?