僕の読書の歴史

読書の習慣が長いほど、年齢や時期によって読む本の内容が変わっていることに気がつくのではないだろうか。

僕が読書を始めたのは小学4年生くらいのことだった。親がどちらも本を読む人で、読書を勧められた記憶が強く残っている。親が休日になるとデパートへ出かけてゆくのでそれについていき、帰りに本屋に寄って本を買ってもらっていた。記憶がある中で、僕が最初に読んだのは江戸川乱歩の少年探偵団シリーズだった。毎回本屋に行くたびに1巻ずつ買ってもらい、(たしか20数巻くらいあったと思うが)すぐにコンプリートした。その後も江戸川乱歩の作品を読み続け、推理小説が好きになった。コナンドイルやモーリスルブランも読んだ。中でも「813の謎」はとても好きだったのを覚えている。

中学に入っても推理小説を読んでいた。東野圭吾を読み、島田荘司を読み綾辻行人を読んだ。中学3年生の頃の卒業論文(中高一貫だったのでそのようなものがあった)の題材はポーだった。担当教員は英文科卒業で、その後、ある授業で再び会った時に、僕が持っていたウィリアムブレイクの詩集の中の「THE TYGER」という詩を示して、なぜTIGERではなくTYGERなのかと僕に質問した。僕は授業中ずっとそれを考え、授業が終わった後、TYGERという字がトラのように見えるから、と答えた。彼女は、自分もそう思う、と僕に同意した。それが果たして正解なのかはわからないが、それは僕が今まで受けた文学の講義のどれよりも自由で優しいものだった気がする。

結局そのあと、ブレイクはギブアップした。僕は英語ができるわけではないし、ただでさえ詩という文学表現は僕にとって難解だった。だがこの時期に、僕の中で、興味の対象が推理小説から純文学に移っていったのは確かである。

高校に入って僕は1冊の本と出会った。それが「失われた時を求めて」だった。しかしこの作品はあまりに長大であり、当時の僕は踏み出せずにいた。そんな時、ちょうど出版された「失われた時を求めて 全一冊」を奇跡的に発見したのだ。これは僕が出会った本の中で最も素晴らしい本のひとつで、あの長大な小説がなんと500ページほどに縮小されている。僕はこれを読み、初めて、本を読んですごい!と声に出してしまった。それほどまでにプルーストの文章は美しく、かつそれを忠実に訳してあるのだった。そしてこの体験から僕は推理小説をかなぐり捨て、純文学へと入り込んでいった。それが高校1年生の途中だった。

それからはいろんな小説を読みつつも、村上春樹と大江健三郎を中心に今まで読書を続けてきた。今後数年はこのような感じが続くだろうと何となく感じている。それほどに今の僕にとって彼らの文章は魅力的なのだ。しかしそれ以降は僕の読書がどうなっているか検討もつかない。ひとつだけ言えるのは、僕はいつかプルーストに戻ってき、またブレイクにも再び挑戦するだろうということだ。思い返してみると、僕の読書は様々は人に支えられたものだった。読書が決して孤独に行われるものではないということをよく示しているのではないか、ととても強く感じる。

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