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【詩】水栓

まだ母親と一緒じゃないと寝れない時期のことだ

僕は人よりも乳離れが遅かった

きっとこの愛おしい温もりから離れることは世界で独り歩くことだと思っていたからだ

あるとき僕はお風呂に母親と入っていた

ジャンプーをし、洗い流してる間目をつぶっているときだった

こんな時間はずっとは続かないんだと感じた

悲しみ、愛おしさ、死、期待、不安、快感

すべてが混じり合った水の重力だった

この感情は大人になっても忘れることはなかった、初めての記憶であり感覚だ

ずっとシャワーを浴びていたかった

いつのまにかシャワーの水栓は止められた
自分で止めることはなかった

あれから数十年の時が経った

それをふと思い出したのは彼と電車にいる時だ
登山すると言うのに空は赤くなりかけていた

なぜかふとこの感覚のことを思い出し話したかった

彼とはこのことを体験した予感がした

大学生3年の夏の終わり

電車がすぐそばを通るアパートの最上階
溶解した鉄球が空をグラデーションさせながら、でこぼこした水平線の中に溶けてなくなりかけていた

僕らは山下達郎の「さよなら夏の日」を聞いていた
僕らは泣いていたと思う

彼には似たような話があった

彼は高校のボート部のレース中に川に転落した

レースに戻らなければならないのに
彼は川に浮き、気持ちいいと感じたのだ

この話は僕はとても好きだった

水栓は少しづつ開かれていったのだ

温かく輝く重力の束は今でも僕の記憶に時々降り注ぐ

2023/1/2
故郷へ向かう電車に乗りながら

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