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よい博打をしてみよう

変人コレクター 小林です。

高校の「探究の授業」は、正解がない分、変人たちがパワーを発揮します。

例えば「なぜ探求の授業があるのか」という問い。理由のひとつとして、イージフの石井さんは「日本の若者に積極的に『よい博打』をうってほしい」ためと説明します。近未来ハイスクールが静岡の高校で実施した「探究の授業」の2日目の時でした。ちなみに1日目は「良質な問い」がテーマ。

「博打」という表現に体育館に集まる生徒も先生もざわつきます。

選択や挑戦という優しい言葉ではなく「博打」というギャンブル感に違和感を覚える生徒もいます。終了後のリフレクションシートにはこんなコメントがありました。

「博打するほど良いというのは、違うと思う。数あるうちに当たれば良いという心持ちでいると、それぞれの博打が薄くなってしまうと思います。
夢があって、逆算してそのためにこの博打とこの博打を選ぶというのならば強い心持ちで数少ない博打を挑めます。そっちの方がよくないですか?」

石井さんはこれに対し、次の答えを返します。

「はい。最終的に伝えたいのはまさにその点で、すべてが博打であることを受け入れた上で、真剣に勝ちに行く、ということです。勝率を見極め、高めるための工夫と、失敗を恐れずとにかく安く張って結果から学ぶことの両方が、真剣勝負には求められます。そして、年長者から見ると、若者は常に後者が足りないように観測されるという構造があるわけです」

日頃から常に何かを選択しています。若い時からそこをもう少し意図的に、もっと多めに挑戦する機会をつくり、数多くの経験を積んでみる。挑戦が増えるほど失敗も増えますが、結果的にそれが血となり肉となっていきます。

石井さんの話は、博打の説明においてあまり具体例を示さず、考える余地を残します。それが難しく感じる生徒も多くいました。実際、リフレクションシートに「抽象的で難しかったです」というコメントがありました。

ただ、それに対してクレーム的なコメントはなく。むしろ前向きに「物事は複雑で、もっと考えながら生きて、答えを出していかなければならないと感じました」というタイプの回答が多かったのは、感心しました。
 
この授業の解散後、ある生徒が教頭先生に話しかけてきたそうです。
「この授業をうけさせるって、学校も博打ですよね」

近未来ハイスクール 出る杭を伸ばす。変人と高校生・高専生をつなぐ教育プログラム

オプンラボ 出る杭を魅せる。人にフォーカスした広報・インナーコミュニケーション支援。変人という社外刺激を取り入れた企業ワークショップも展開しています。


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