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ホログラフィーアートは世界をめぐる 第12回 太陽の贈り物シリーズ part 1 ―野外インスタレーション―

機は熟した


 太陽の贈り物シリーズ(Apollonian Gift series)のスタートは,1997年の「メビウスの卵・多摩展」に出品を招待されたことがきっかけであった。アート,サイエンス,テクノロジーの境界を取り払ったユニークな趣旨の展覧会で,「メビウスの卵」は「メビウスの輪」と「コロンブスの卵」に由来して命名したと,実行委員会代表の石黒敦彦氏(サイエンス・アート研究者,「“来るべき芸術”のためのワークショップ」設立者・代表)から聞いた。この展覧会の展示環境が,建物内の展示に留まらず,パルテノン多摩の屋外の公園空間も網羅されていたことも,私に何か新しい試みをしたいと思わせる刺激となった。太陽光でホログラムを再生するというアイディアは,箱根彫刻の森美術館での野外作品(1979年)以来,私の長年の願望であった。あれから18年が経過し,ホログラフィ技術分野にも大きな変化がみられた。工業的に大量生産されるグレーティングホログラムが市場に出るようになり,それまでのオリジナルホログラムの制作とは比べ物にならない安価な費用で入手可能となっていた。そして,このグレーティングホログラムを野外に置き,太陽光を取りこむ野外インスタレーション作品を思いついたのである。この公園には,水深15 cm程度の人工池があった。ここに「太陽の贈り物」(図1(a))を設置した。ホログラムグレーティングフィルム(厚さ50 μm)をポリカーボネート(厚さ1 mm)2枚でサンドして,直径60 cm,高さ100 cmの円筒形を32個作り,池の中に固定した。
 晴れた日は太陽の動きに連れ,オブジェは鮮やかに,輝く色彩を順次変えていく。そして,水面にはオブジェと異なる色の映りこみが現れ,さざなみがたつとこの映りこみは一瞬にして消えてしまう。図1の(a)に比べ(b)の撮影時は,太陽の高度が低い夕方の情景である。太陽の高度の変化で,見える色がいかに変化するかがよく分かる。オブジェは観客からの距離の違いでも色を変える。曇りや雨の日は,柔らかな紫陽花色に変わる。このような光学的な効果を得るには素材の特性を十分知ったうえで,計算と工夫が必要である。ラッピング用などに市販されている模様パターン入りのホログラムでは,残念ながらこの効果は望めない。遠目からは単に明るい白色の光が見えるだけになってしまうだろう。
 この野外作品の特徴は,以下のように分析できる。野外環境下のアートは,従来型の彫刻の他に電力,水,風などを利用した作品を目にすることはあるが,太陽の光を積極的に取り入れた作品は見当たらない。また,光のアートは一般に,夜間にのみ意味をもつ。それは,太陽の下では昼行灯になってしまうからだ。ところが,グレーティングホログラムを利用すると,太陽の光を紡ぐことが可能となる。グレーティング表面は太陽光を鮮やかな色彩に分光して輝く。どんなに明るい日ざしのもとでも,それに比例して明るい色彩が現れる。この効果を,ある人は“昼のネオン”のようだと評した。周囲の光環境を取りこむ環境アートの素材として最適であり,これによる野外インスタレーションは太陽光を取りこみ,時間や天候,気候の移り変わりすべてを内包した,まったく新しい表現としての作品が実現できるのである。

   (a)池の中のインスタレーション              (b)夕方の情景        
図1 「太陽の贈り物、Apollonian Gift」 1997 「メビウスの卵展」パルテノン多摩

新たな展開―昼間のネオン―

 野外作品のおもしろさに目覚めた私は,同年(1997年),お台場の埋め立て地を会場とした野外展に参加した。船の科学館からテレコムセンター駅を通り青海駅手前までの,「コ」の字を描いてゆりかもめ線が走る原っぱ一体,まだ科学未来館も何も建物がない,広大な土地が会場であった。パルテノン多摩の展覧会が終わった後だったので,同じ素材を,今度は地上の草むらに直径50 mの円を描くように設置した(図2)。吹きさらしの風にオブジェが飛ばされないように,地中に打ち込んだアンカーでオブジェを固定した。それでも,夜間には強い突風に見舞われ,会期中はずっとアンカーの修復が必要であった。野外作品の厳しい条件をいろいろ学んだ。
 ところで,“昼間のネオン”という表現は,この時の作品から生まれた言葉である。国際クルーズターミナル(船の科学館)駅あたりから展覧会の会場となる原っぱ一体が見えてくる。しかし,ゆりかもめから個々の作品を判別するのは,距離的になかなか容易ではない。ところが,そのゆりかもめの車窓から,いくつもの鮮やかな光の線(棒)が草むらの中で輝き,大きな円を描いている様子が目に飛び込んできたではないか。距離にして,およそ500 mはあると思われる。コの字を描いて会場を囲むように2駅半走る車窓から,鮮やかな光のオブジェがずっと見えていた。これを評して,展覧会を見に来たある作家が,“まるで昼間のネオンみたいだ”と私に言ったのである。

(a)ゆりかもめ青海駅を背景に     (b)フジテレビを背景に        (c)コスモス畑の隣に   
図2 1997「野外展トラッシュライブ’97」」お台場埋め立て地

歴史と自然にいだかれて

 図1でもわかる通り,50 μmのフィルムは,ポリカーボネートシートにサンドしただけでは平面性を保つことは難しく,表面に細かなしわがたくさん見られる。しわをなくすために,この薄いフィルムにラミネート加工を施し,少し厚いシートに加工した後,ポリカーボネートにサンドした作品を芝山野外アート展に出品した(図3(a))。写真からもわかる通り,円筒形はポリカーボネートだけの透明部分とグレイティングフィルムがサンドされている部分で構成されている。ラミネート加工でしわがなくなり,すっきりしたオブジェに仕上がった。野外アート展の会場は,芝山公園および1300年以上の歴史を誇る芝山仁王尊観音教寺の境内であった。起伏が多くて広い芝山公園は,このインスタレーションが鑑賞できる絶好の環境であった。作品に歩いて近づく時,視点の位置が自然に変わり,オブジェの色が変化するという具合だ。図3(b)はカワセミが飛んでくる自然豊かな仁王尊観音教寺の裏庭の小池に,色鮮やかに輝くホログラムオブジェを浮かべた作品である。寺の本堂の廊下からこの小さな池を眺めることができる。おもしろいことに,太陽の虹の輝きは水と庭木の自然の中に違和感なく融合しているように見えた。
 夏の夜の演出「夜のアートファンタジー」箱根彫刻の森美術館(1999年)のための屋外インスタレーションの昼の情景が図4(a),図4(b)である。約60 cm×60 cm×40 cmのこのオブジェは,異なる色の輝線が複数現れるように変形に作られている。夜は地面に置かれた小さなLEDライトをオブジェクトの中に仕込んだ。この年の秋,取手市で開催された野外展では市内の寺の中庭に落ち葉に見立てたホログラムを池に浮かべた(図5)。日の短い晩秋ではもみじが生い茂る小さな池に太陽が差し込む時間はわずかであったが,寺の境内の赤く紅葉したもみじと池のインスタレーションの対比はなかなかおもしろかった。

          (a)芝山公園のインスタレーション         (b)芝山仁王尊観音教寺 裏庭の池に浮かぶオブジェ
図3 1998「芝山野外アート展’98」芝山
(a)昼の情景                     (b)昼の情景  
図4 1999夏「夜のアートファンタジー」 箱根彫刻の森美術館
図5 「光の落ち葉」、1999「取手リ・サイクリング アート・プロジェクト」野外展 取手市

アートコミュニケーション

 2000年の春から夏にかけて銀座のギャラリー「なつか」が企画したユニークな展覧会に参加した。題して「アートコミュニケーション―かりんの里―いきいきわくわく」。会場は新潟県津南市にあるケアハウス「リバーサイドみさと」の建物の中と周囲の敷地であった。「アートコミュニケーション」とは,見て字のごとく,アートを通してコミュニケーションを図るということで,それが果たして可能であるかを探る,実験的な展覧会であった。ケアハウスは元気な高齢者のための居住施設である。その建物内の共同スペースにアート作品を置き,住人たちにアートとコミュニケーションをとってもらおうという趣向である。多くの作品は従来のアートの概念をはみ出した実験的ものが置かれた。具象とは程遠い意味不明の形のオブジェとか,手に取って体験する参加型の作品,「音具」と言われるインスタレーションや手を加えることで形を変える作品などが生活空間の一部に置かれた。既成のアートの概念からはみ出したこれらの作品と高齢者たちが向き合った時,どのような対話やリアクションが生まれるのか,われわれ作家たちは興味津々であった。
 私は,室内にはグレーティングによる虹の演出を試み,屋外の庭先には太陽の贈り物シリーズのオブジェを数個設置した。共用の食堂の天井と壁には虹が現れる(図6(a))。食堂は吹き抜け空間で,窓は南に面している。窓枠の桟に15 cm幅のグレーティングホログラムを7~8 mほど一列に並べた。ここに日光が当たると光が分光して,天井や壁に虹が現れる。太陽の移動とともに虹も移動していく。1日に3度この空間に通ったとしても,何人が気付くかはわからない。ふと天井に目をやったとき,たまたま虹が目に飛び込んできたというくらいでよい。自然を取り込むアート演出はそれでよいと思っている。パチンコ屋の看板ではないのだから。
 図6(b)は,会期も半ばを過ぎたころの野外作品の情景である。春先の設営時には短い草だけしか生えていなかった地面は,2か月もたつと,オブジェの周囲の草花は伸びて花を咲かせ,作品たちはすっかり周囲の環境になじんでいた。また,オブジェの内側は温室効果でもあるためなのか,周囲の草より大きく伸びて育っていることがおかしかった。設置作業をしていた時は,理解不明なものを地面に固定して,何をしようとしているのかといった目で眺められていたが,会期中,様子を見にケアハウスを再び訪れたとき,住人の1人から声を掛けられた。「毎日,裏の川むこうを散歩するのが日課だが,毎日眺めていると,天気のいい日はきれいな色が見えるね。今日はどんな様子に見えるかと,毎日,散歩中楽しみに眺めているよ」と言われた。これぞアーティスト冥利。アートとのコミュニケーションに知識はいらない,感じるだけでよい。そう思わせてくれる体験であった。
 ホログラムインスタレーションだけでなく,高齢者たちは作品たちに毎日接するうち,実験的な作品までもごく自然に受け入れ,おもしろがったり楽しんでいたように見受けられた。既成の概念に縛られた知識に頼ると,実験的なアートを受け入れることはやさしいことではない。知識のよろいを脱ぎすて自然体でアートに接すれば,おのずとそこに対話が生まれることを見せてもらった気がした。

(a)グレーティングホログラムによる
図6 2000「アートコミュニケーション―いきいきわくわく」 ケアハウス・リバーサイドみさと、津南、新潟

(OplusE 2019年11・12月号(第470号)掲載。執筆:石井勢津子氏。
ご所属などは掲載当時の情報です)

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