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研修医日記②〜救外は小粒でもピリリと辛い

当院では、初期研修医は週に一回、救急外来で当直することになっている。

当直中は楽しい。先生たちとUberEatsをたしなめるし、患者さんの診察、手技もたんまりやらせてもらえる。

でも朝を迎えると、なぜか気分が重くなりその後数日間考えこんでしまう。なんなら体調も悪くなる。

楽しいはずなのに妙だな、と理由をかんがえてみたら、どうやら以下のような感情の積み重ねのようだった。

「わからない」
まだ働き始めて1ヶ月だし、わからないのは当然ではあるけど、「わからないです」「できないです」と言うのは毎回敗北宣言してるみたいで不甲斐ない。それによって他の先生に負担をかけているわけではあるし、時々自分の勉強不足が原因の時もあるから自責の念も生まれる。
そして毎晩わからないものが山積しつつも忙しさの中で質問も勉強も出来ず、わからないまま患者さんが右から左へ流れていくのも気持ち悪い。

需要と供給の不一致
患者さんは辛さの原因検索と治療を求めてやってくるけど、救急外来の役割は緊急の治療が必要か判断して、必要な場合にのみ処置をすること。この需要と供給できるものの不一致によって、患者さんが不満げに帰っていくのが辛い。
3ヶ月前からお腹痛いですって来院されて、CTと採血で問題ないのだけ確認して、「緊急性はなさそうなので昼間にクリニックに行ってください」って説明すると不満気で。
お門違いなんよと自己防衛したい気持ちが半分、辛さを取り除けない申し訳なさ半分、残ってしまう。

知らない人種
足が腐った独居老人とか、アルコール依存症の崩壊家庭とか、暴言吐くおじいさんとか。今まで出会ったことのない種類の人がたくさんいて、刺激が強すぎる。
何がこの人をそうしたのか、家族はどうすれば良かったのか、この先誰が助けてくれるのか。色々考えてしまうが、夜中の救急外来で何かをしてあげられるわけじゃない。

汚い
昔産婦人科の先生が、「おじさんとかもう触れない」とかいっていて、おいおい医者がそんなこと言っていいのかと生意気にも思ったが、ようやく理解共感できるようになった。
人間、めっちゃ汚い。年齢性別関係なく、生き物はすべからく汚い。
汗、血、ガサガサな肌、膿、排泄物、唾液、悪臭。至るところに病原体は潜んでいる。診療中は必死だから考えないようにしているけど、じわじわとメンタルがやられる。
一人ならまだしも、何人もの違う汚さに出会い、暴露され、そのままベッドで仮眠をとるのはFilthy。too Filthy.

嫌がられる
認知症の人、不穏の人、子供など、治療に協力できず暴れ泣きじゃくる人も多い。そんな人を押さえつけながら処置するのは自分が悪人みたいに思えて精神衛生上よろしくない。その人に必要なことだから仕方ないけど、内心謝りたおさないとやってられない。

敬語の消失
お年寄りにため口で話すのは良くないと思っていたが、働き出してみたら私も時々ため口をきいており、自己嫌悪に陥る。そうなる理由は二つ。敬語が面倒くさいのと敬意がないのと。お年寄りは大抵耳が悪かったり理解力が低下していて長文は理解できないため、エッセンスだけで会話しようと思うと自然と敬語は抜け落ちる。それに、敬語は尊敬している相手につけるものだけど、救外で見る高齢者は幼児のように退行している人も多くて、「痛いよー」などと言われると、「うんうん、もうちょっと頑張ろうね」と、ついつい子供相手しているかのようになだめてしまうのだ。時々我に返っては、こちとら25の小娘なのに生意気なことを、と自己嫌悪に陥るが治りはしない。


これらの嫌悪感一個一個は、業務の忙しさの中では無視できる小ささだけれど、当直明けの疲れた心身には響いてしまうらしい。

こういうのは慣れなんだろうか。
じゃなきゃ困る。医者を続けられない。

とか言いつつ、次の当直はどんな症例がくるのか楽しみだったりする。


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