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緊急車両と不謹慎

うちの子供たちは働く車が大好き。
特に緊急車両が好きで、街で見かけると大興奮で喜んでしまう。
「不謹慎」と言うことはまだ分からないと思うし、説明したところで上手く伝えられるのか不安でいつもなんとなく気まずい思いをしながらもやり過ごしてしまうんだけど、こういうことっていつ頃教えたらいいんだろう。
好きなものの裏側に実は悲しいことがあるって気づいてしまったら少し複雑な気持ちになってしまうかもしれないし、でも、わたしとしては深刻な状況の中で、子供たちの無邪気さに救われることもあるので、教えるのを躊躇っている。

昨年義母が亡くなった。
若年性認知症だった義母は数年前から施設に入所していて、6年前わたしが初めて会った頃はすでに会話もできない状態のことが多かった。
それでも、調子がいい時にはほんの数語だけれど言葉のやりとりができたし、妊娠を伝えたときには、エコー写真を見て微笑んでくれたのが分かった。
月に一度、美味しい物を持って施設に会いに行くのは楽しみで、長男も「(地名)のおばあちゃん」と呼んでとても懐いていた。

施設から、義母の体調が悪くなってきているとの知らせを受けて、夫は義母が好きだった上高地への旅行を決行した。
ヘルパーさんを頼んで、わたしと子供たちは足手まといになってしまうので留守番。代わりに義母もよく知っている、夫の小学校時代からの友人が付き添った。
ヘルパーさんと一緒に写真に写っている義母は、すごく生き生きとした表情をしている…わたしフィルターがかかっているかもしれないけれど。

絵描きで破天荒だった義母の葬儀は、本人が生前親交のあったお寺で行った。
若い頃から、お寺で修行をしていたらしい。夫の行動には日々度肝を抜かれているけれど、子が子なら親も親だね、とてもいい意味で。
葬儀に来たのは親戚や友人、絵画教室の教え子、それに、今の夫の会社の仲間たち。
亡くなった人に目も耳もないと言われればそれまでだけど、夫がこれだけの人に囲まれて生きているっていうことが義母に伝わっていたらいいな、と思った。

参列した義母の古くからの友人が「子供たちの笑い声に救われた」と言ってくれた。
葬儀中に子供達が大はしゃぎしていたこと、正直わたしは「みんなが悲しんでいるのに不謹慎」だから静かにさせないと、という思いがずっと頭にあって、失礼がありませんように、と思っていたのだけれど、これにはわたしが救われた。
不謹慎なんていうのは大人が、社会が作っている概念で、そんなことを気にすることはない、笑いたければ笑えばいいし、泣きたければ泣けばいい。

四十九日はお寺さんと我が家の4人だけで行った。
元気にはしゃぐ子供たちは、会う人みんなにパパにそっくり、と言われる。
夫が小さかった頃、こんなふうだったのかなあ。
もう骨になった義母には何も聞けない。
葬儀の時は緊張していて何も感じなかったわたしも、そんなことを思ったら、気づいてしまったら涙が止まらなくなって、声を上げて泣いてしまった。
お寺のそばではイノシシ狩りが行われていた。
響いた銃声に言葉も出ないわたしと夫。
大きな音がしたね、と楽しそうに話す長男。
不謹慎なんてどうでもいい、今、確かに生きていること、それ以上に大切なことはない。

今も、救急車を見ると、興奮する子供達を尻目に少し戸惑ってしまう。
それでも「かっこいいね!」と言うのは子供たちに不謹慎なんて概念はないから。
そんなのなくていいから。
思ったことを、思った通りに。
この先、そういう訳にはいかないことも多いかもしれない。
悪い意味ではなくて、それが自分や大切な人を守る道かもしれない。
だけど、自分の気持ちに、自分だけは気づいてあげられる大人に慣れているといいな、とか思って、わたしは手を振る。

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