プロのProcrastinator、医師国家試験を受験し勉強論を知る。

8月31日に宿題を終わらせる。
年賀状を年が明けてから出す。

そんな、タスクを先延ばしにする名人のことを”Procrastinator”と呼ぶらしい。



Procrastinator人生

わたしは、生粋のProcrastinatorだ。
生まれてこの方学生の身だったから、この厄介な性格は主に勉強面に表れた。

小学生のころ、はなまる先生に答案を送るのはいつも期限ギリギリだった。
中学生、8月31日に泣きながら美術の課題を作った。
浪人時代の夏休みはyoutubeサーフィンで終わった。
大学生になってからは、周りが試験勉強を始めるたびに、焦りながらも勉強したくなくてずるずる遊び、現実逃避のために寝込み、試験前日にようやくテキストを開くありさまだった。

そうやってタスクを先延ばしにするたびに、自尊心が削れていった。
宿題はコツコツ計画的にやりましょうって先生が言っていたのに。受験生は1日14時間勉強するべきだって言われているのに。みんな夜まで自習室に籠っているのに、もう問題集1周終わっているのに。
それができない私は、「できない子」なんだと。

そのたびに反省した。次は余裕をもってちゃんとやろう、と幾度となく本気で思った。

しかし、生まれ持った性格らしい。
コテサキ の ハンセイ の こうかは まいかい いまひとつだ…
った。

わたしはなんと不真面目な人なんだと思い悩みながら、ふらふら生きること25年。
ついに学生生活の集大成、医師国家試験を迎えてしまう。


医師国家試験

試験日は2月頭。
大学の先生には、少なくとも12月から勉強するように忠告されていたが、
Procrastinatorであり勉強嫌いな私である。1月から1か月間勉強すればどうにかなるだろうという希望的観測のもと、(若干の焦りと不安をかかえながらも)12月のホリデー気分とお正月を楽しみ、「そろそろかな」と1月10日、問題集を手に取った。

そこから1か月は絶望の連続である。
昔勉強した内容をすっかり忘れているし、範囲が膨大なことに気が付いた。
twitterを開けば、過去問10年分終わったとか、あとは復習だけという同級生のツイートを目にした。究極マップ(予備校から配信される直前講座)の受講者が6000人(受験生の2/3)で、それを3周以上するのがスタンダードだと知ったが自分にそんな時間はなかった。

明らかに他の受験生よりも勉強量が足りてないし、1か月で挽回できる量じゃない。そのうえコロナ第6波で大学は閉鎖し、当日コロナ陽性であれば受験資格なしというニュースに震え、一人暮らしの部屋に籠って精神は荒れた。

いやー無理無理無理無理。落ちる。やだ落ちたくない。うわーん。

結局、最低限とされている勉強量(過去問3年分、公衆衛生QB、必修QB)を試験前日に終え、あとは野となれ山となれ、悟った気分で試験に突入した。

2日間、特に手ごたえはなかった。
自己採点する勇気などなく、友達に採点してもらった。

どきどきしながら結果確認。

あれ?
上位1000位にいる…

わたしより勉強してた人より成績がいい…


むむ、わたしって意外と「できる子」?


y=x

勉強、特に学校の試験や受験など、得点にあらわあれる勉強を評価するときに使われる項目には、得点勉強量の2つがある。

どちらも、数値化できて目に見えてわかりやすいから、教育者側も学生側も好んで使う。
教師からは何点取らなければいけないとか、何時間勉強しなければいけないと指導されてきた。中高生のころから友達と点数を見せ合って一喜一憂したし、勉強量を比べて落ち込んだりしてきた。

そんな中で何となく、

得点をy、勉強量をxと置いたとき、
y= x

なのだと無意識にとらえるようになっていたと思う。

勉強すればするほど点数が上がるのは自明だから、この式はあっているはずだった。
そして、Procrastinatorで勉強量xの少ない私は必然的に得点yが低い、つまり勉強ができないのも自明だった。


しかし、今回の国家試験では、勉強量が少ないのに得点が高いという変な結果だった。驚きながら考えた末、ようやくこの式と、自分の勉強力に関する認知が歪んでいることに気が付いた。


y=ax+b

確かに、私は今までprocrastinateしてきた。

小学生のころ、はなまる先生に答案を送るのはいつも期限ギリギリだった。
中学生、8月31日に泣きながら美術の課題を作った。
浪人時代の夏休みはyoutubeサーフィンで終わった。
大学生になってからは、試験前日にようやくテキストを開くありさまだった。

しかし、思い起こせば、これらには続きがあったのだ。

はなまる先生はいつもはなまるをくれたし、提出した美術の課題は今でも母校の玄関に飾ってあるし、希望通り医学部に合格したし、大学のテストは全部受かってストレートで卒業できた。

「先延ばしをした」という自己嫌悪だけが記憶残っているけど、ほんとうは全部どうにかできているのである。
少ない時間でどうにかできる、それは効率性が高いということだ。

わたしはどうやら効率性が高いらしい。

どうしてそれを今まで見落としてきたかといえば、「頭いいんですね」「そんなことないですよ」という謙遜による自己暗示、受験の結果いつも自分より効率性が高い集団にいたこと、他人の勉強量や得点は正確には認知できないことなんかがあげられるだろう。

自分はできない子だとか思い込んで、自尊心を削って、過去の自分にはかわいそうなことをしたものだ。


今までの経験を振り返って、今回の国家試験を鑑みて、改定した勉強の評価のための式はこれだ。

a=効率性、b=予備知識、y=得点、x=勉強量と置いたとき、
y=ax+b

得点yは、傾きである効率性aによって大きく変わる。
例えば、資格試験をうけるとして、効率性aが大きい人は必要点数に達するための勉強時間は少なくて済む。

突拍子もなくb=予備知識を入れたのは、2つの経験に由来する。
ひとつは、国試での公衆衛生である。法律や制度など社会的な知識を問う科目で、これは出題数が全体の35%くらいある。私は医学以外の勉強のほうが好きだったので予備知識があったのか、点数がよかった。
私の兄が、就職の試験の行きの電車で勉強を始めたのに選考を通ったのも、本の虫で一般常識が元から備わっていたからだろう。短期的な試験勉強で得る知識よりも日常で得られる知識量の方が多いため、予備知識量は得点に関与してくる。たとえば、アメリカ帰国は勉強しなくったって英検に受かる。



先延ばしが治らないのには理由がある

私のProcrastinatingが治らないのは、先送りにしても直前に茶々っとやればどうにかなってしまう成功体験を重ねているから、直す必要性を感じられていないのかもしれない。

これを読んでくれているProcrastinator仲間よ。

求められるより勉強時間が少ないとしても、コツコツできないとしても、あまり自分を卑下しないでほしい。

もしかしたら能力が高いからかもしれないから。


かといって、私って頭がいいんだと慢心してはならない。

これは資格試験とか短期的に必要得点稼ぐときには勉強量少なくてもいいという話で、生涯学習や仕事のための技能を身に着けるとか得点に表れない勉強では、procrastinatingしている間に死期を迎えうるから気を付けて。

まあ気を付けてもどうにもならないのがProcrastinatorなんだけれども。








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