見出し画像

「今日の生き物」の下書き的ブレスト vol.7

マウス その高校課程の生物への貢献

ーーはじめにーー
・2021年度以降の授業の小ネタを整理するのが目的ですが,2021年度内に終わるとは思ってません。
・どのみち「分類」の単元でいろんな生き物を学習するなら,普段の授業の中で少しずつ,身の回りの生き物を取り上げておくのがいいんじゃないのという仮説のもとでやります。
・画像はいらすとやさんから拝借します。
ーーーーーーーー

 マウス―動物界 脊索動物門(脊椎動物亜門) 哺乳綱 齧歯目 ネズミ科 ハツカネズミ属 に属する「ハツカネズミ」という種を,飼育用・実験用に改良したものです。同様に実験動物としてよく用いられるラットは,ネズミ科 クマネズミ属 に属する「ドブネズミ」という種を改良したものであり,マウスとは別種にあたります。
 マウスとヒトとの関わり合いは深く,実験動物としては百余年の歴史があります。私も,学部学生の頃に2度,生きたマウスの解剖実習を行いました。食べるわけでもない動物の命を奪う以上,日常生活を送る上で得られる以上の何かを学ばないわけにはいきません。これまでミミズ(環形動物門),カイコ幼虫ならびに成虫(節足動物門),ウシガエル(両生綱),フナ(魚綱),ニワトリ(鳥綱),マウス(哺乳綱)の解剖を行ってきましたが,初めてマウスの頸椎脱臼(安楽死法の1つ)を行ったときは,手が震えたのを覚えています。
 高校課程の理科で学習することの中でも,マウス(野生種のハツカネズミを含む)を使った実験によって明らかになったことがたくさんあります。とりあえず,挙げてみましょう。

・生物の自然発生説
 17世紀のころ,ベルギーのヘルモントは,飲食物で汚れたシャツを放置するといつの間にかハツカネズミが現れることから,生物の自然発生説を唱えます。
 自然発生説の歴史を笑うことなかれ―貴方,目に見えない微生物が自然発生しないことはどうやって示しますか?肉片を入れた瓶をガーゼでおおうと,ウジはわかなくなりますが肉は腐ります。ということは,目に見えるサイズの生き物は自然発生しないが,微生物は自然発生するかもしれません。肉を腐らせている微生物は,空気中に漂っていたんでしょうか,それとも肉から自然発生したのでしょうか。一度肉を加熱すれば…と思った貴方,細菌の中には耐熱性の高い芽胞と呼ばれる形をとるものがあり,加熱して密閉してもその中に微生物の繁殖が認められることがあります。細菌の詳細な分類や生態が明らかでない当時,どうやってその現象に説明をつけますか?

・植物が光によって動物の生命活動に必要な気体を発生することを発見した実験
 18世紀後半,イギリスのプリーストリーは,密閉した狭い空間にハツカネズミを入れるとまもなく死亡するが,植物と一緒に入れておくとしばらく生きることを見出します(プリーストリーはこの実験をロウソクの火とハツカネズミとで行っており,この実験が酸素の発見のさきがけとなります)。その後,オランダのインゲンホウスは,プリーストリーの実験は明るいところでなければ再現できないとし,植物がプリーストリーの発見した気体を放出するには光が必要であることを見出します。

・迷路実験
 20世紀になると,マウスやラットを使って迷路を解かせる実験が行われるようになります。脳の一部を損傷したマウスで実験を繰り返し,脳のどこが迷路学習に大きく寄与しているのかを調べる実験も行われましたし,1990年代になると脳の一部の遺伝子を操作して,迷路学習に寄与する遺伝子の特定を目指す研究も行われるようになりました。こうした迷路実験はマウスの認知機能の理解に貢献し,それはひいては同じ哺乳類である我々ヒトの認知機能の理解に寄与します。

・遺伝子の本体がDNAであることを示唆する実験
 「グリフィスとアベリーの実験」として有名な実験です。1928年,イギリスのグリフィスは,肺炎球菌と呼ばれる細菌を用いて次のような実験を行います。肺炎球菌には,病原性のあるS型菌と病原性のないR型菌がいます。生きたR型菌をマウスに注射してもマウスは死にませんが,生きたR型菌に煮沸殺菌したS型菌を混ぜて注射すると,マウスは死に,さらにそのマウスから生きたS型菌(!)が検出されることを見出します。これは,S型菌の成分の一部がR型菌に取り込まれ,R型菌がS型菌に変化したことを示唆するものでした。
 この実験を受け,1944年,アメリカのアベリーは,その「S型菌の成分の一部」が何であるかを突き止める実験を行います。アベリーによって,その成分がDNAであることが分かり,遺伝子の本体がDNAであるという考え方が広まるようになります。

・遺伝子組換えマウスの作出
 1970年代になると,遺伝子組換えマウスを使った実験が盛んに行われるようになりました。マウスの受精卵に遺伝子操作を行って,皮膚の細胞でGFP(緑色蛍光タンパク質)がはたらくようにした“光るマウス”はよく知られていますね。勘違いしてほしくないことなんですけど,「光るマウス」はなにも,かっこいいから光らせているとかじゃないですよ。
 マウスの遺伝子を解読すると,A,T,G,C…の配列が得られます。DNAが読めたら生命が理解できる―なんて言われがちですが,そうはいきません。生命を要素還元主義的に分解し,要素ごとのはたらきを解析することの意義はもちろん多大なものがありますが,要素が組み合わさることによって,要素単体では生じないはたらきが生み出されることがあります。これを生物の“創発特性”といい,話をたいへんややこしく…じゃない,面白くしているんですよ。
 いま,ある遺伝子のはたらきを調べたいとしましょう。それはつまり,その遺伝子が,体のどこで,どの程度はたらいているのかを調べたいということです。そこで,その調べたい遺伝子の隣に,GFPの遺伝子を挿入します。調べたい遺伝子がはたらくと,隣にあるGFPも一緒にはたらくので,調べたい遺伝子がはたらいている細胞は緑色に光るという状況をセッティングすることができます。マウスは哺乳類のモデル生物でもありますから,マウスで分かったことはヒトにも応用ができるかもしれません(ヒトをGFPで光らせるわけにはいきませんのでね…)。

・ES細胞の樹立
 1981年,マウスを利用してES細胞が樹立します。ES細胞は「胚性幹細胞 Embryonic Stem Cell」の略で,動物の受精卵をある程度の細胞数に至るまで細胞分裂させた後,その細胞をばらばらにして作成します。

 さて,せっかくなので,ここで生物の体を構成する細胞について考えてみることにしましょう。
 私達多細胞生物の体では,細胞が集まって組織(筋組織,神経組織,…)を作り,組織が集まって器官(心臓,肝臓,…)を作り,器官が集まって個体を作ります。個々の細胞は,もとを辿れば1個の受精卵に由来します。つまり,受精卵は「その後その生物の体を構成する細胞であれば,何にでもなれる能力=“全能性”」を持ち合わせていると考えることができます。
 全能性をもつ受精卵に対し,私達の体を構成する細胞の大部分は,例えば筋細胞や神経細胞など,特定の機能や形状に特化しています。これを「細胞の“分化”」といい,全能性はすなわち「その後その生物の体を構成する細胞であれば,何にでも“分化”できる能力」と言い換えることができます。成人した私達の体をつくる細胞は,この分化の能力を失っています、したがって,受精卵から筋細胞や神経細胞に至る過程で,細胞は全能性を失っていくと考えることができますね。さらに,全能性をもつ細胞があるとき突然筋細胞や神経細胞に変化するとは考えにくい(ある時点で何なのか判別がつかない細胞の塊だったものに,次の瞬間急に手足が生え,目が開くわけじゃないのでね)ので,全能性は徐々に失われていくことも分かります。
 先に述べたとおり,ES細胞は,受精卵がある程度細胞分裂を繰り返したもの(胚盤胞といいます)から作成します。受精卵はそれだけで個体をつくることができますが,ES細胞から胎盤を作ることはできません。しかし,適切な環境で培養すれば,胎盤を除いた様々な組織を人工的に作ることができます(ES細胞からは胎盤ができないので,個体も作れません。これを,受精卵の全能性と対比させて,“多能性”といいます)。ES細胞は,適切な環境さえ整えればES細胞のまま何度でも細胞分裂が可能であり,例えば機能不全になった臓器の細胞を,ES細胞から分化させた正常な細胞と置き換えるという,再生医療への大きな期待もありました。
 しかし,ES細胞のもとになった胚盤胞は,そのままES細胞の作成に使われずに細胞分裂が進めば,1つの個体として生まれ出たはずのものです。それを破壊してES細胞を作出することは,否応なく生命倫理の問題を孕むものでした。ひょっとして,マウスだからいいのでは―と思いました?再生医療への期待があるって書いたんですけど,ヒトで同じことができますか?

・iPS細胞の樹立
 2006年,マウスを利用してiPS細胞が樹立します。iPS細胞は「人工多能性幹細胞 Induced Pluripotent Stem Cell」の略で,“i”が小文字なのは当時iPodが流行っており,iPodくらい普及することを祈願してのことでした。
 先日,本シリーズvol.4で,ガードン氏によるアフリカツメガエルのクローン作出を扱いました。件の実験は,動物においても体の各部の細胞は受精卵と同じ遺伝情報をもっており,体の各部に応じた遺伝子のみがはたらいている―というものでしたが,同時に,次のことも明らかになりました。小腸の細胞に特化した細胞の核―すなわち,その機能・形状に応じた遺伝子以外がロックされている状態の核に適切な操作を行うことで,そのロックを外せるということです。
 ガードン氏は,アフリカツメガエルの未受精卵の核を取り除き,小腸の細胞から取り出した核を移植しました。小腸の細胞の核は,小腸の機能やその維持に必要な遺伝子以外ははたらかないようにロックされているはずです。しかし,その核を移植された未受精卵は,細胞分裂を正常に繰り返し,ロックされていたはずの遺伝子がはたらいて,体の各部の細胞に分化したのです。このように,分化した細胞の遺伝子にかかったロックが外れ,「再び受精卵のようになる」ことを,“初期化”といいます。
 この初期化を,核の移植をすることなしに成功させたのが,山中伸弥氏でした。
 先のES細胞が多能性をもつということは,多能性の維持に貢献している因子があるはずです。その因子を虱潰しに調べ,見つかったのが「山中4因子」でした。未受精卵への核の移植などせずとも,体の細胞にその因子を入れてやれば,初期化が起こるのではないか…そう,起こったんですよね。その後研究が進み,4因子のなかの1つが孕む腫瘍形成のリスクを回避するための代替因子探究の中で,ガードン氏の実験で用いられた,核移植を受ける側の未受精卵の中で活発にはたらいているGLIS1と呼ばれる遺伝子が発見されるに至ります。
 先のGFPで光るマウスのところでも書きましたが,どの遺伝子がどこでどのようにはたらいているのかは,今も様々な生物で活発に調べられているのですよ。
 iPS細胞の技術を使えば,例えば皮膚の細胞を初期化して,適切な環境で培養して神経細胞を作ることができます。ES細胞のように,特定の場所の細胞がほしいときに,いちいち胚盤胞を破壊する必要もありません。ES細胞の抱えていた生命倫理の問題を克服する技術として,iPS細胞の研究は大いに盛り上がっています(とはいえ,ES細胞で明らかになったことも膨大であり,初期化のために外来の因子を入れたiPS細胞と,外来の因子を入れていないES細胞の挙動を比較することで明らかになることも多いため,ES細胞が不要であるということにはなりません)。
 例えば,加齢性黄斑変性症(眼の網膜にある,色の識別に大きく寄与する黄斑という部分の機能が衰える病気)の治療において,患者の皮膚からiPS細胞を作り,それを網膜の組織に分化させて移植できたということがニュースになりましたね。このように,現に再生医療の場で大きく取り沙汰されることの多いiPS細胞ですが,実は創薬にも大きく貢献しています。例えば,神経組織に関する遺伝性疾患をもつ患者の皮膚からiPS細胞をつくり,神経細胞に分化させると,その神経細胞はその遺伝性疾患をもちます。つまり,シャーレの上で病気を再現できます。シャーレの上で新規薬剤のテストを行ったりすることができるので,有効性や安全性の確認をより確かなものにすることができます。

――

 (途中からマウスというよりむしろ細胞生物学の話になってしまいましたが)これらはもとを辿れば,膨大な数のマウスを用いた実験があったからこそ明らかになったことですし,ここに挙げた実験は,こんにちの生物教科書・学参の内容の充実に寄与した実験のほんの一部にすぎません。冒頭でも書きましたが,食べるわけでもない動物の命を奪う以上,日常生活を送る上で得られる以上の何かを学ばないわけにはいきません。かつ,動物が受ける苦痛はできるだけ少なくすることが望まれます。
 2018年に実施された東海大学医学部の入試問題では,サルを用いた新規薬剤の動物実験がテーマになっていましたが,問題リード文の末尾に,「なお,ここに示す動物実験は動物に苦痛を与えないような適切なガイドラインに従って行われている」と書いてありました。本当に大事な一文ですし,医療系・生物系を志望する学生の皆さんには,深く深く刺さってほしい一文だと思っています。


それでは,また次回。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?