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性教育(の一端)を,もう少し,もう少し理科でやりませんか。

Twitterの方では何度か言っているんですが,「性教育」を理科でやりませんか。そもそも「性教育」と名前をつけること自体,それを何か特別なものにしているようで私はあまり好きではないのですが,せめて,理科に少し背負わせるのはどうですか。
水は100℃で沸騰する,植物は光が当たると光合成を行う,精子と卵が受精すれば子が生じる。ほら,理科じゃないですか。頭部には脳がある,胸部には肺や心臓がある,下腹部には精巣や卵巣がある―ほら,どこからどう見たって理科じゃないですか。生命の誕生を,ことさら特別な何かにする必要が,どこかにありますか?生殖に係るヒトの生理や生態を,呼吸や縄張り行動といった様々な現象の中に相対化してしまうことで,何か不都合がありますか?

10代からの相談には正しい避妊の方法を知らなかったり、妊娠の仕組みを誤解していたりするような内容が目立つ
(上記リンク記事)

多少下品な物言いになって恐縮ですが,「やればできる」というのはよく言ったものです。原因Pによって結果Qが生じる,PとQの間には因果関係が認められ,再現性もとれる―これは紛れもなく「科学」です。少なくとも,「生命の神秘」などではありません。生命の神秘を文字通りの意味で受け取り続ける人間に,私は与しません。

ふわふわした言葉は,ときとして大事なことを覆い隠してしまいます。命の大切さ,両親への感謝―結構,大いに結構です。しかし,それでは冒頭の記事のような有様は何ですか。命の大切さとやらが分かっていれば,ご両親に感謝の気持ちがあれば,望まない妊娠が避けられるのですか。否,それらはあっても構いませんが,十分ではありません。正しい避妊の方法を知ったり,妊娠の仕組みを理解したりすることこそが肝要です。お気持ちで受精を止めることはできません。

性を巡る様々な事象に,直接的な物言いを避けた表現で闇雲に飾りつけを行い,その中を見えないようにするようであってはならないでしょう。もし貴方が「そうは言っても内容が内容だから」などと考えるなら,その時点で貴方は性教育とやらを特別なものと見なしてしまっているのではありませんか。もしそうであるなら,まずはそこから脱却しなければならないのではありませんか。記事にも書いてありますけど,「問題は何も分かっていない大人たち」なんですよ。
繰り返しますが,だからこそ理科として淡々と学べばいいと思うんです。理科として,努めて淡々と行うんです。植物の雄蕊と雌蕊の説明ができるなら,動物の精巣と卵巣の説明がなぜ同じようにできないのですか。アブラナの柱頭についた花粉が花粉管を伸ばし,精細胞を卵細胞に届ける話ができるなら,ヒトの減数分裂第二分裂中期で休止している二次卵母細胞に,卵管内で精子が融合する話がなぜ同じようにできないのですか。日の長さが長くなると花を咲かせる植物の話ができるなら,およそ月単位の周期を見せる性ホルモンの話や,それに伴う卵細胞の成熟や排卵の話がなぜ同じようにできないのですか。同じではありませんか。
「問題は何も分かっていない大人たち」ですが,大勢の大人を再教育するには時間もお金も人員も足らないでしょう。だから,まずは教育現場にいる大人が,未来の「分かっている大人たち」を作っていかなきゃいけないんです。そういう話を淡々とできる大人を育てるには,私達大人が淡々と話すところから始めないといけないんです(いわゆる疑似科学に関しても私は同じスタンスです。もうすでに毒されてしまった大人に,大した興味はありません。そんな大人を鼻で嗤える人を育てることこそ大切であると考えます)。

上に挙げたような内容―動物の性成熟など―は,高等学校課程の生物で学びます(とはいえ,教科書の本文ではなく,コラムなどが中心になります)。今の学習指導要領では,高等学校の「生物」には生物基礎と生物がありますが,その後者で学習することになります。生物基礎では学習しません。つまり,高校生になって,生物基礎のあとさらに生物を選択しなければ,上に挙げたような内容を学習する機会が失われているのが現状です。こうした内容を生物基礎に降ろしたり,義務教育理科に降ろしたりすることも考えられるのではありませんか。


これらは私達の身体のことです。私達自身や,私達の大切な人々の身体のことです。私達の身体について何がどうなっているかを事実として知らずして,他者に対する真の思いやりが本当に可能でしょうか。言葉だけふわふわキラキラさせて教えた気になっている「性教育」の果てに為される,見掛け倒しの思いやりに,果たして意味がありますか。私たちの身体のことについて周知するために,熱弁を振るう必要は必ずしもありません。特別な時間を設ける必要もありません。事実をただ事実として述べ,医学的に推奨されることを伝え,そうでない行いはただ良くないことと断ずるのです。どうしても熱弁を振るいたいのであれば結構ですが,それほど特別に性のことを大事になさるのであれば,少しは他の科目にその責を分散してもよろしいのではありませんか(性のことが大事ではないと言っているのではありませんよ,光合成の知識と同じくらい大事だと言っているのです。念の為)。

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「寝た子を起こすな」
ふざけるのも大概にしていただきたい。そんな風に腫れもの扱いしているから,いつまでたっても「下ネタ」扱いなんですよ。
「過激な性教育はやめろ」
貴方がウブなだけでしょう。

無論,一部で方向性を誤った性教育の事例はあったのでしょう。それは「学習指導要領を超える内容に取り組めるのは『チャレンジング』な先生しかいない」ということの裏返しであり(弊害ともいいます),批判に批判を重ねて洗練させていくべきことです。蓋をすべきものではありません。

これから大人になる方々のためには,まずは教育現場にいる私たちから変わっていく必要があります。大人の方も,学習者の方も,まずは高校生物程度の知識で構いませんから,科学に立脚した土台を作ってはみませんか。

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