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「今日の生き物」の下書き的ブレスト vol.8

ウイルス 生き物じゃないんですけど,免疫の単元について

 

ーーはじめにーー
・2021年度以降の授業の小ネタを整理するのが目的ですが,2021年度内に終わるとは思ってません。
・どのみち「分類」の単元でいろんな生き物を学習するなら,普段の授業の中で少しずつ,身の回りの生き物を取り上げておくのがいいんじゃないのという仮説のもとでやります。
・画像はいらすとやさんから拝借します。
今回は生物ではないです
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 今更ですが,生物で学習する「生物とは何ぞや」をちょっとだけかいつまんでみましょう。

・膜によって内外を隔てている(≒細胞でできている)
・膜の内側で化学反応を行う(≒代謝を行う)
・遺伝子を持ち自律的に増殖する

 表現にはばらつきがありますが,概ねこのように言われることが多いでしょう。生物は己の内と外を割と厳密に区別します。しかし,ホットコーヒーに落とした角砂糖が速やかに溶けて拡散するように,そして定期的に整理整頓しない本棚が荒れていくように,物質とはてんでばらばらに動いて混沌となろうとするもの。内と外という秩序を保つためには,それ相応のエネルギーが必要であり,動物は他の動物を食べることで,植物は光合成を行うことでそれを獲得します。太陽から地球に届いたエネルギーの一部は,一時的に植物の体内で化学反応によって炭水化物の形をなし,動物に食われてその身体の一部となったり,熱(体温)となったり,動力の源になったりして,やがてすべて大気や宇宙空間に放散します。
 太陽のエネルギーの別の一部はアスファルトを温めたりもしますが,それは植物の体内で炭水化物の形をなしたエネルギーよりも速やかに―せいぜいその日の夜のうちに放散します。つまり,生物に取り込まれたエネルギーは,非生物に取り込まれたエネルギーよりもゆっくりと,ゆらぎながら地球上を動いており,生物のからだはそのゆらぎが生体物質と呼ばれる形で可視化されていると考えることができます。
 しかし,いかにゆるりと動くとはいえ,エネルギーは否応なく流れ行くものであり,エネルギーを失った身体は秩序を失います。それはすなわち,物質としての身体に“耐用年数”があるということであり,耐用年数を迎える前に,遺伝子は情報としての己を新しい身体に載せ替えることができるよう,一般に生殖と呼ばれる機能を身体にもたせるのです。

 では,ウイルスはどうでしょう。ウイルスは,核酸(DNAなどのことです)がタンパク質の殻(カプシドといいます)で包まれた構造をしています。中には,そのタンパク質の殻をさらに脂質の膜(エンベロープといいます)で包んだ構造をしているものもいます。ですから,一応,内と外の境界はあると言っていいでしょう。では,その膜の中で化学反応をしているかといえば,していません。そして,自律的に増殖しているかといえば,これもしていません。ウイルスは生物の細胞の中にある装置を借りてしか,自分と同じ構造をもつものを複製することができません。したがって,ウイルスを生物にカテゴライズすることはできません。
 また,「新型コロナウイルスは人が人へ広める感染症であり,接触機会を減らすことが感染拡大の防止に貢献する」と言われるのは,ウイルスがそもそも大気中などでは増殖できないためです(「新型」だからといって,大気中で増殖するようなことはありません。ウイルスはウイルスであり,ウイルスに許された範疇で振る舞います。だから,従来の手洗いなどが有効なんです)。

 とはいえ,ウイルスは私達と同じように遺伝情報として核酸をもち,内と外があり,他の生物の細胞を利用すれば自分と同じ構造をもつものを複製することができます。その辺の石ころと同じように非生物と断じてよいものかといえば,確かに疑問符が立ちます。しかし,一般にウイルスと細菌や菌類との混同が激しい昨今の風潮にあっては,あえてウイルスを,いわゆる化学物質のような物言いで表現したいと個人的には思います。牛海綿状脳症(BSE)等の原因であるプリオンのような,感染性のタンパク質に寄せてウイルスを捉えるということです。

 さて,ウイルスにはどのようなものがいるでしょう。昨今はその名を見聞きしない日はないコロナウイルスをはじめ,インフルエンザウイルス,ノロウイルス,エイズウイルス,ヒトパピローマウイルス…と,ウイルスの名のつくものは結構な種類があります。取り急ぎ,ごくざっくりとそれらを分けられるようにしておくと,自身の健康を守る上で少しばかり役に立つかもしれません。

・エンベロープ(脂質の膜)をもつかどうか
 コロナウイルス,インフルエンザウイルスなどはエンベロープをもつウイルスです。脂質の膜なので,それを分解するアルコールや石鹸がめちゃくちゃ効きます。
 2つのシャボン玉が1つに合体する様子をイメージしてみてください。2つがくっつくだけじゃなくて,1つの球体になる様子です。このとき,それぞれのシャボン玉の中にあった空気は,同じ1つの膜の中におさまることになりますよね。脂質の膜をもつウイルスが細胞に感染するのも,ちょうどこれと似たようなことが起こります。私達の身体の細胞も脂質の膜(=細胞膜)を持っているので,ヒト細胞に感染性のあるウイルスと私達の細胞の細胞膜どうしは,先の喩えのシャボン玉のように融合し,ウイルスの中身は細胞の中へと侵入します。
 例えば,手の平の皮膚の表面には,死んだ細胞の層である角質層があるため,手でウイルスに触れても感染は起こりません。これを免疫学では“物理的防御”といいます。例えば化粧品の広告で「お肌に浸透」といった文言が出ることがありますが,これは角質層までです(たぶん,画面の下の方に小さく書いてあります)。なにせ,生物は身体の内と外をある程度厳密に区別するのですから,皮膚は外にある物質をそう簡単には通しません。しかし,身体の表面をすべて角質層のような頑丈なもので覆ってしまうと,今度は消化管での栄養の吸収や,肺での酸素の取り込み・二酸化炭素の排出ができません(消化管の内側は,身体の外側に面しています)。したがって,消化管の内側や肺の内側は,外界に対して皮膚のような防御をするわけにはいかず,そこにある細胞は細胞膜を外に露出せざるをえません。エンベロープをもつウイルスは,そういうところから体内に侵入することができます。
 栄養の吸収や呼吸の場は,どうしても内を外に多少は開かねばなりません。その分,腸や肺では様々な免疫担当細胞も活発にはたらいているのですが,ウイルスの量が膨大であったり,ウイルスの増殖のスピードが早かったり,体力が落ちていたりすると,防ぎきれないものが出てくるのでしょう。

 他方,ノロウイルスにはエンベロープがありません。そのため,アルコールも効かないとされています。石鹸で手を洗うのは,よく手を揉んで水で流すことでウイルスを流し去ることができるので,感染予防になります。アルコールは水で洗い流さないので,活性を保ったノロウイルスが手のひらに残るだけです。つまり,予防したいウイルスがエンベロープを持つにせよ持たないにせよ,石鹸による手洗いが有効です。真新しい,きらめく特効薬のようなものを期待して「手洗いなんかよりもっと科学的な方法を」という声もSNSで見たことがありますが,ワクチンの接種が未だのいまは,手洗いこそが科学的に効果の実証された有効な手段です。勉強と一緒で,地味な努力をこつこ(略
 なお,いわゆる「空間除菌(空間除ウイルス?)」という言葉がありますよね。ウイルスのエンベロープとヒトの細胞膜はほぼほぼ同じようなもの(ヒトの細胞内で殖えたウイルスの中身は,まさにヒトの細胞の細胞膜をまとって細胞から出てくるのでね…)ですから,ウイルスに効くものはヒトの細胞に効きます。WHOは,例えば「消毒剤を(トンネル内、小部屋、個室などで)人体に対して空間噴霧することはいかなる状況であっても推奨されない」といった声明を出していますので,余計なことはせず,手洗いとうがいとマスク着用の励行に努めましょう。

・逆転写酵素をもつかどうか
 エイズウイルスは逆転写酵素と呼ばれる酵素をもつウイルスです。これが結構えげつないことをしてくる酵素で,このウイルスはこの酵素を使い,自身の設計図を,私達の細胞が核の中に大切に保管しているゲノムの中に紛れ込ませます。
 私達の細胞の内部構造をざっくり2つに分けると,核の中と核の外に分けることができます。核の中には,タンパク質の設計図であるDNAが大切に保管されており,このDNAは核の外に出ることはありません。核の中ではDNAの写しであるmRNAを合成し,それを核の外へと運び出して,その写しをもとにタンパク質が合成されるという仕組みになっています(たとえ話で恐縮ですが,「核は図書館で,1本の染色体はDNAというタンパク質の設計図を収録した百科事典1冊に相当します。ただしそれは禁帯出本なので,タンパク質を図書館の外で合成する際は,図書館の中にはコピー機があるので,そこで設計図の写しであるmRNAを合成し,図書館の外に持ち出すんです」と説明したりします)。
 ここで,DNAからその写しであるmRNAを合成することを“転写”,mRNAの情報をもとにタンパク質が合成されることを“翻訳”といい,DNAからmRNAを介してタンパク質へと,その情報が一方通行に流れることを“セントラルドグマ”といいます。大事なのは,この情報の流れが一方通行であるということ。一方通行であるからこそ,最近話題のmRNAワクチンを体内に取り入れても,その情報がDNAに作用することはありません。
 ただし,エイズウイルスが属するレトロウイルス科のウイルスに関しては例外です。これは“逆転写”―すなわち転写の逆を行い,自身がRNAとしてもつ遺伝情報からDNAを合成し,それを細胞の核の中―さらには私達のゲノムの中に組み込みます。先に述べたとおり,核の中には数多のタンパク質の設計図がまとめられているのですが,その中にエイズウイルスの設計図が紛れ込むという事態が起こります(タンパク質の百科事典としての染色体の1頁に,エイズウイルスの設計図が書き込まれてしまうということです)。エイズウイルスは免疫の司令塔とも呼ばれるT細胞に感染し,免疫不全を引き起こします。
 ただし,現在は適切な投薬の継続によって,性交渉してもパートナーに感染させず,妊娠しても子に感染しないほど,コントロールが可能になっています。詳しくは政府広報をご参照ください。

※なお,子宮頸がんの原因になるヒトパピローマウイルスのDNAも核内に入ります(図書館の床に,ヒトパピローマウイルスの設計図が落ちているような事態が発生します)。このウイルスの予防にはHPVワクチンがあり,その安全性は名古屋スタディ等の大規模調査で確認されています。ただし,ご存知のように接種率等の現状は芳しくありません。

 さて,こんなことを書くとコロナウイルスのmRNAワクチンで体内に取り入れたmRNAが逆転写されないかが心配になるかもしれませんが,コロナウイルスは逆転写酵素をもちません。そこは大丈夫です。

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 新型コロナウイルスに対するワクチンの開発・治験が進んでいます。mRNAワクチンは,新型コロナウイルスのタンパク質の一部の情報をもつmRNAをヒトの細胞に取り込ませ,ヒトの細胞内で新型コロナウイルスのタンパク質を作らせます。このタンパク質を,体内の免疫担当細胞が認識し,「このタンパク質の持ち主は,一度体内に侵入したことがあるから,次入ってきたらすぐに攻撃してやるぞ」という免疫記憶を成立させます。
 ウイルスのタンパク質を体内で合成させると聞くとそれはそれで不安かもしれませんが,ウイルスはウイルスとしてあるときに感染性を示すのであって,そのタンパク質の一部が感染性を示すことはありません。切り落とした化け物の腕が,腕だけで襲ってくるようなことはないのです。腕だけでも不安になるのなら,罹っているのはウイルスではなく,呪いの類でしょう。

 新型コロナウイルスは,確かに「化け物」と言えるかもしれません。ただし,あくまでもそれは「未知のもの」であるということであって,ウイルスであること,コロナウイルスのグループであること,故に予防には石鹸が有効であることは分かっています。化け物は,私達が耳と目を閉じ,学ぶことをやめている限り,化け物のままです。いま私達一般市民にできることは,手洗いうがい,マスクの着用,そして密を避けることですが,そこに付け足すものを考えるとすればそれは,知ろうとすることでしょう。その際,情報源の吟味にはくれぐれもお気をつけて。高校生の皆さんには,ぜひともお手元の教科書を開いていただいて。

それでは,また次回。

(…そういえば,がんは種類によってはウイルス感染によって引き起こされ,それを予防するワクチンがあるということは,高校課程の生物ではやらないですね。細胞周期のところで,がん抑制遺伝子とも言われるp53遺伝子に雑談レベルで触れてもいいかもしれません。2020年の帝京大学医学部で,p53遺伝子を背景とした問題が出ましたね)

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