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コケのこと・理科と科学のこと

―テーマ―
・コケのこと:種子植物で分かっていたこと。コケ植物で分かったこと。
・理科と科学のこと:理科とは,科学とは何ぞやということに関する私見。

―おことわり―
 この投稿は,twitterハッシュタグ「高校生の皆さんにはお手元の教科書を開いていただいて」を使って呟いた内容の清書です。読者層は高校生を想定していますが,大人の方もどうぞ。

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―コケのこと―

 2019年9月26日,次のプレスリリースが京都大学HPに公開されました。大学や研究機関が公開する,新しい研究成果などの情報を,プレスリリースといいます。まずは,プレスリリースの内容の確認から始めましょう。

 陸上植物に共通する生殖成長期移行のための分子スイッチを解明 -コケ植物から種子植物まで・短いRNAが制御する成長期移行-
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2019/190920_2.html

 コケ植物ゼニゴケにおいて、マイクロRNAの一種による標的転写因子の発現制御が生殖成長期への移行を決定していることを明らかにしました。
 この制御メカニズムが生殖成長期移行のための分子スイッチとして、コケ植物から種子植物まで共通であることが確かめられました。

 マイクロRNA,標的転写因子,生殖成長期…いったい,何を言っているのかという声が聞こえてきそうですが,要するにどういうことなのかということから考えていきましょう。とりあえず,自分なりに書き直してみます。

 ゼニゴケという名前のコケがいます。コケも生き物なので,生殖をして子孫を残します。生殖は生き物にとって一大イベントなので,「さぁ,生殖を始めるぞ!」というタイミングは割とシビアに制御されています。
 今回,ゼニゴケが生殖のタイミングを制御するしくみが,遺伝子レベルでまた一つ明らかになりました。また,そのしくみは,種子植物ですでに分かっていたものと同じものでした。

 これならいかがでしょうか。

 とても大雑把な話で恐縮なのですけれど,生き物の一生は,「体を大きくする時期」と,「生殖をする時期」に分けられます。それぞれを,「栄養成長期」と,「生殖成長期」といいます。
 分かりやすいのは完全変態を行う昆虫類で,例えばカブトムシの一生は,もっぱら食べることに特化した幼虫の時期(栄養成長期)と,生殖をする成虫の時期(生殖成長期)に分けられます。また,ヒトの場合は,生殖が可能な年齢に達した後も,ある程度は体が大きくなりますね。これは,「栄養成長と生殖成長が同時進行する時期がある」などと表現されることがあります。

 これは動物だけでなく植物でも同様です。高校で生物を履修した皆さんは,「植物の環境応答」の単元で学習しているはずですね。「連続暗期が限界暗期を超えると開花する植物を短日植物という」,「一度低温に曝すことで,その後の開花が促進される現象を春化という」…どうですか,思い出しましてきましたか?

 種子植物にとって,生殖―すなわち花を咲かせることは一大イベントです。その植物にとって適切でない時期に花を咲かせてしまうと,どうなるでしょう。
 花粉を運んでくれる虫がいないかもしれません。虫がいたとしても,虫が花粉を運んでくれる先となる,同じ種類の別の花が未だ咲いていないかもしれません。また,寒い時期に花を咲かせてしまっては,花粉の形成が低温によって上手くいかないこともあります。ですから,植物が花を咲かせる時期―すなわち,生殖成長を始める時期は,割とシビアに制御されています。

 種子植物には,作物として利用されるものが多くあります(イネ,コムギ,ダイズ…)。ですから,その植物が生殖成長期へ移ることに,どのような制御がはたらいているかを明らかにすることは,品種改良に於いて非常に有益なことです(実るためには,花が咲かなきゃいけないですからね…!)。実際,種子植物を対象とした研究は,コケ植物に比べてよく進んでいました。

 さぁ,高校レベルの生物に+αする形で,今回の研究を紐解いていきましょう(ちょいムズです)。まずは,種子植物が花を咲かせる仕組みについておさらいです。

 今回のプレスリリースの研究の背景にあるのは,私達が普段眼にする植物の,「花の形成に関与する遺伝子」です。高校生物では,“その一部”であるFTと略称される遺伝子や,その遺伝子からつくられるタンパク質(フロリゲン)を学習します。このFT遺伝子が働くと,花が咲くのでしたよね(当然,覚えていますよね?)。
 例えば,シロイヌナズナという植物で明らかにされた,花の形成に関与する遺伝子は,下の図1(出典:http://leading.lifesciencedb.jp/3-e014)にまとめられています。下の図1の真ん中のあたりに,FTと書かれているのが分かりますか?

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図1. シロイヌナズナの開花に関わる遺伝子

 上の図1の中の,オレンジ矢印で結ばれたアルファベットの並びは,1つ1つが遺伝子の略称です。図1のままではごちゃごちゃしているので,以下の図2~4(図1を改変)を使いましょう。図の上方の「春化依存経路(※1)」から,花の咲くしくみを見ていきます。

 下の図2を見てください。シロイヌナズナが寒さを経験すると,VIN3遺伝子と呼ばれる遺伝子がはたらきます。VIN3遺伝子は,FT遺伝子を抑制しているFLC遺伝子を抑制し,FT遺伝子は促進されるかのように見えます(※2:矢印記号の読み解き方は図のキャプションに記します)。

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図2. 春化によってはたらく遺伝子たち ※1…「春化」とは,日本では秋にまいて梅雨前に収穫するコムギを例に説明されることの多い現象です。冬の寒さを経験しなければ開花が促されないという現象で,寒い時期に花を咲かせない仕組みの1つと説明されます。 ※2…図中には,“→”の他に“―|(終点が矢尻でない矢印)”といった記号があります。“→”は促進を,“―|”は抑制を表し,“P→Q”は「PはQを促進する」,“R―|S”は「RはSを抑制する」と読みます。では“X―|Y―|Z”はどうでしょう。「Xは,Zを抑制するYを,抑制する」と読みます。

 次に,下の図3を見てください。図2のように寒さを経験したからといっても,FT遺伝子のはたらきがスタートするとは限りません。例えば,次の図3の左側からスタートする「光周性経路(※3)」にある,CO遺伝子からの促進が必要です。

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図3. 日長によってはたらく遺伝子たち ※3…「光周性」とは,春化と同様,植物が適切な季節に花を咲かせる仕組みの1つです。春化が気温に関係するのに対し,光周性は1日の日の長さに関係します。

 さらに,下の図4を見てください。気温や日長をクリアしたからといっても,やはりFT遺伝子のはたらきがスタートするとは限りません。FT遺伝子は,次の図4の左下から始まる「加齢経路」(※4)の最後にある,AP2遺伝子からも抑制を受けているのです。植物が,そう簡単には花を咲かせないことが分かります。

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図4. 加齢によってはたらく遺伝子たち ※4…加齢に伴う生殖成長の開始は,ヒトでいうところの「生殖可能年齢」のようなものです。開花に必要な温度や日長の条件を満たしている場合でも,発芽したての植物は花を咲かせないのです。

 さて,図4をもう一度よく見てください。加齢経路の始まりの部分に,「miR156」というものがありますね?これが,このnoteの冒頭で引用した,「マイクロRNA」の一種です。やっと出てきました。長々と,本当に申し訳ありません。プレスリリースには何て書いてありましたっけ?

コケ植物ゼニゴケにおいて、マイクロRNAの一種による標的転写因子の発現制御が生殖成長期への移行を決定していることを明らかにしました。

 マイクロRNAの一種による,うんたらかんたらが,生殖成長期への移行を決定していること。種子植物では,このマイクロRNA「miR156」が,生殖成長期への移行に大事な役割を果たしていることがすでに分かっていました。今回の研究で明らかになったこと,それは,コケ植物の生殖成長期への移行にも,このマイクロRNAが使われていたということなのです。

 …だから何だって言うんです?

 仰る通りです。前置きはこのくらいにして,その純朴な問いに答えるために,「理科」と「科学」のお話をしましょう。

―理科と科学のこと―

 理科と科学,区別ついてますか?
 そもそも理科とは何か?というところから考えてみましょう。お手元の理科の教科書は,これまで幾万もの科学者が明らかにしてきた情報を集約したものです。例えば,種子植物が花を咲かせる際にはこの遺伝子がはたらいて,このタンパク質がはたらいて―といった具合です。教科書に掲載されているこうした情報のことを,一般的に「理科」と言っていますね。

 では,科学とは何でしょうか。今日私達が理科と呼んでいるものを明らかにしてきたのが,まさに「科学」です。理科が「結果」であるとすれば,科学は「過程」であると言えるでしょう。

 これまでさんざん見てきたように,種子植物が生殖成長期へ移行する際にはたらく仕組みと同様のものが,コケ植物にも見つかったワケです。
 種子植物もコケ植物も同じ仕組みで生殖を始めると聞いて,「へぇそうですか」と言う―これは理科でしょうか,科学でしょうか。答えは理科です
 一方で,種子植物が生殖を始めるにはこのような仕組みがあるという既知の結果から,「コケ植物でも同じ仕組みがあるかもしれない」という仮説を立て,研究し明らかにする―これは科学です。図5にまとめてみました。

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図5. 理科と科学の違い

 もう一度敢えて問いましょう。コケで何かが明らかになったって,だから何だって言うんです?

 種子植物とコケ植物の生殖の仕組みに別個の理論があるのではないようなんです。陸上植物全体の生殖の仕組みについて統一的な理論がつくられつつある場に,私達は居合わせているのです(…これだけで,十分面白くありませんか?)
 そして,科学的な研究をするためには,これまでの科学という方法で何が分かったかという理科の知識が必要だということを,今日は皆さんに知ってもらいたかったのです。

―高校生の皆さんへ―

 植物の生殖の仕組みでさえ,よく分かっていないのです。科学の世界は分からないことに満ちていて,現代社会は未解決のことだらけです。そしてこれから皆さんは,その解決を目指す人々の仲間入りをします。
 確かに,様々な問題の解決には,理科だけでなく,数学や言語や社会の知識も必要です。私は理科を教える身ですから理科について書きますが,お手元の理科の教科書で学ぶことのできる内容は,これまでの科学の到達点である,あなたがこれから武器にすることのできる理科の知識です。さぁ,理科を勉強しましょう。理科を。(結)

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