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【モンゴルのクラシック音楽〜開発コンサルが見たモンゴル文化〜】①かつてのウランバートル

筆者:株式会社 Open Sesame 取締役 山根春夫

初めてモンゴルに行ったのは1995年だった。まだ、社会主義体制の名残が強く、町の中心に羊羹型のソ連式アパートが立ち並び、周辺にゲル地区が白く散在するモノトーンの街というのが第一印象だった。道路はやたら広いが車はほとんど走っていない。役所の敷地の中で、牛が草を喰んでいるのを見て驚いた覚えがある。食事をしようにも我々日本人が行けるような店は冴えない中華料理店が3軒あるのみで、日本から持って行ったレトルト食品が頼みの綱だった。

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↑ 旧ソ連時代のアパート群。カザフスタンなど旧ソ連圏では一般的。

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↑ ほとんど車の走っていない街の大通り。東京で言えば、新宿通りか靖国通りか?

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↑ 街中の牛。日本で言えば、丸の内オフィス街の歩道で牛が草を喰んでいるようなもの。

   
街には、昔懐かしい(見た覚えがある訳ではないが…)トロリーバスが走っていて、街路の上を張り巡らされた線の下を走っている。時々、電気をとるポールが線からはずれて、運転手がバスの上に乗って元に戻そうと格闘している様子は冬の朝の風物詩だ。街には、まだ民族衣装を来た人が多く行き交っていて、真冬の極寒の中でも手袋をせず、長い袖の中に手をくるんで平然と歩いている。こちらが、当時インターネットもない中、アメリカのL.L Beanから郵便で取り寄せたマイナス40度対応と銘打ったダウンコートに厚手の手袋、スキー用アンダー、ブーツという完全装備で恐る恐る歩いているのと対照的だ。

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↑ 街を行き交う人々。東京でいえば、銀座か新宿といったところ


このときの滞在で、世界で一番日本人に似ているのはモンゴル人ではないかという印象を持った。会議などで、皆さん背広を着てくるが、初対面だと日本人なのかモンゴル人なのかほとんど見分けがつかない。日本人だと思って、「初めまして」と挨拶をすると、怪訝そうな表情で、「あー」と間の抜けた反応のこともあった。私はどう見ても日本人だと思うが、街で道を聞かれたこともある。この時の印象はいまだに変わらないが、似ているというのはあくまで外見の話であって、内面は日本人とは随分違うなと感じる経験をその後何回もした。


国際協力の仕事で1995年にモンゴルに行ったのが最初だったが、その後ひょんなことでモンゴルのクラシック音楽の世界の方々と知り合うことになり、話が発展してモンゴル国立オペラハウスでのコンサートに出演することになったのはその2年後の1997年だった。

to be continued...


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