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【モンゴル紀行】〜②実際に見たウランバートル〜

筆者:株式会社 Open Sesame 技術顧問 吉田史郎

前回は、モンゴル国について、人口、産業、地政学のあらましを紹介しました。今回は、歴史について少し触れたいと思います。

歴史

同国を訪問するまで、筆者は高校の世界史程度しか知りませんでしたが、モンゴルは13世紀初め、チンギス=ハンがモンゴル人と周辺民族を統合した遊牧帝国であり、急速にその勢力を伸ばし、13世紀後半までにはユーラシア大陸の東西に及ぶ、世界史上で最も広大な領土を持つ蒙古帝国となりました。
タイトルにある写真は、トゥブ県エルデネソムのチョンジンボルドクという丘の上にそびえたつ世界最大級のチンギス=ハーンの騎馬像です。実際に見ると、その巨大さに圧倒されました。

その後700年間は一気に飛ばし、「ノモハン事件」について述べます。

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↑ ザイサンの丘の壁画(ノモンハン事件で大日本帝国をやっつけた壁画)

ノモハン事件とは、1939年満州国とモンゴル国との間で国境線をめぐり発生した戦いのことです。1932年、日本は満州を制圧し清の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀を元首とした日本の傀儡政権、満州国を建国しました。その後、1937年に日中戦争に突入しましたが、満州国の隣に位置するモンゴル国との間で小さな衝突が頻発していくようになります。このモンゴル国の後ろにいたのがソ連です。当時モンゴル国は、ソ連の傀儡国家だったので、「満州 vs. モンゴル」というよりは「日本 vs. ソ連」の紛争ということになります。数回の紛争の結果、日本はソ連に敗北しました。これがノモハン事件です。
ソ連の傀儡国家であったモンゴルも、1980年代後半、ソ連のペレストロイカが波及して民主化運動が高まり、人民革命党(現人民党)の一党独裁政権は1990年に崩壊し、複数政党制による自由選挙と議会制を導入しました。モンゴル人民共和国は名実ともにその歴史的役割を終え、モンゴル国となりました。
余談ですが、首都「ウランバートル」は「赤い英雄」という意味で、ソ連支配下時代の名残りをとどめています。

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↑ 2016年6月の総選挙運動の風景、最大野党人民党が民主党に勝利

to be continued...

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